樋口一葉
(三) 聞けば聞く程筋のわからぬ 戀路のはじめと悟りの終り 能々たゞして見れば世間に多い事其時お妙は長江を渡る風輕(かろ)く雲を吹(ふい)ておぼろにかすむ春の夜の月大空に漂よふ樣に滿面の神彩(しんさい)生々(いき〳〵)と然も柔(やさ)しく、藍田(らんでん)…
(二) 色仕掛生命危ふき鬼一口*1と 逃げてまはりし臆病もの 仔細うけたまはれば仔細なき事年は今色の盛り、春の花咲き亂れたる樣に美しき婦人(をんな)と一ツ屋の中に居るさへ、我柳下惠(りうかけい)*2に及ぶべくもあらぬ身の氣味惡し。然しながら何千萬人浮世…
(一) 旅に道連の味は知らねど 世は情ある女の事〳〵 但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮れ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき角頭(かくとう)*1の眼に力…
高橋源一郎の『官能小説家』を読んだ。 「いや、だからどこまでがほんとうで、どこまでが興味本位の噂話なのか、はっきりとは申し上げられないわけなのです。先生(注:漱石)、実は、わたしは一葉女史や半井桃水といささか縁があるものでして」 「どういう縁な…
半井桃水の『長尾拙三 探偵博士』『胡砂吹く風』前後編を読んだ。もとは新聞小説である。変体仮名や合字に多少途惑うものの、言文一致体でもないのにある程度まではスラスラ読めてしまうこのひっかかりのなさで感じたことは、誰でも読める平易な文体というの…
半井桃水の『開化の復讐(あだうち)』『水の月』を読んだ。いずれも1891年の出版(出版社は日本橋區新和泉町にあった今古堂)で一葉が桃水に師事したころの小説である。『水の月』の序を書いている「梅園主人」とは誰なのだろうか。その序文は一葉の『月の夜』…
武藏國 (武州) 江戶は、明治維新の折に江戶府となりすぐに東京府となつた。其處へ東京市が制定されたのは、明治十一年のことであり、一葉の生きた時代、東京市は十五區よりなつてゐる。一葉の作品は言ふまでもなく、其のほとんどが東京市を舞臺としてゐる。…
明治二十九年七月十二日の一葉の日記にこの随筆を短期間で書いたことが記されている。発表されたのは、六月十五日の明治三陸地震による津波被害義捐のための文芸倶楽部の臨時増刊(七月二十五日)であった。なお、一葉の日記は同年の七月二十二日で途絶えてい…
『たけくらべ』は一葉の作品であるから数々の引用がそのテクストに含まれていることはいうまでもない。たとえば、 (前略)いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郞位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都…
京マチ子の『濡れ髪牡丹』(1961) や梶芽衣子の『修羅雪姫』(1973) に出てくる刀が仕込まれた傘とまではいかなくとも、和装の女性は和傘を携えるという凡庸な思い込みがあったので、一葉が日記に「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたへがたければ、傘にて前を…
一葉の作品は、ときどき出來すぎてゐて笑つてしまふことがある。『にごりえ』のこゝもさうである。 ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ凉しく、見おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆ…
「家は本鄕の丸山福山町とて、阿部邸の山にそひて、さゝやかなる池の上にたてたるが有けり。守喜といひしうなぎやのはなれ坐敷成しとて、さのみふるくもあらず、家賃は月三圓也。たかけれどもこゝとさだむ。」と日記に書いた貸家へ、樋口一家は 一八九四年五…
『魅せられて 作家論集』の冒頭に収められている、蓮實重彥の樋口一葉論『恩寵の時間と歴史の時間』は、蓮實が大学行政に携わって多忙だった時期に発表されたものを改稿しているので、やや中途半端な感も受け、『にごりえ』を論じたその文章は、800ページを…
明治二十四年十月の一葉の日記。後藤明生の『挾み撃ち』の主人公が「ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早…
松原岩五郞の『最暗黑の東京』(1893) に「文久店」とあるのは、一葉が龍泉寺で開いてゐた駄菓子屋とおなじものと考へてよいのだらうか。當時の1錢は現在の200圓ぐらゐに考へれば、當たらずも遠からずといふことらしい。寬永通寳眞鍮四文錢は、明治5年9月24日…
一葉の『暗夜(やみよ)』を読んで、なぜか泉鏡花の『貧民倶樂部』を読んだ。もちろん一葉の『暗夜』には、鏡花の『貧民倶樂部』のように人間が動物に生成し、跳梁するようなところはない。以下は鹿鳴館を思わせる六六館を貧民が占拠するところの『貧民倶樂部…
この作品は、もともと『萬葉集』の高橋虫麻呂の歌にある蘆屋の菟原処女(うなひおとめ)伝説を思い出させる。この菟原処女伝説は平安時代には『大和物語』で舞台を生田川に移して語られ、明治時代に入っても森鷗外が伝説をもとに戯曲『生田川』を書いたことは…
リュミエール兄弟の『工場の出口』がパリのグラン・カフェで上映されたのは、1895 年 12 月 28 日であるが、その頃、一葉は傑作『十三夜』を発表したばかりである。一葉の作品をちょっと思い出してみれば、一葉が「出入り口」にことの他執着した作家であるこ…
いまの年齢の数え方だと十九歳のときに、一葉が書いた小説が『闇桜』というメロドラマである。メロドラマはこの作品中に引用されている『生写朝顔話』からもわかるように距離の演出だが、この作品ではお千代が自ら心の中で距離を作りだし、その距離をお千代…
『われから』を読んで、あるときから、一葉はもしかしたら黙示録を書いたのではないかという愚にもつかない想像が頭から離れない。まず、『軒もる月』でお袖が櫻町の殿の艶書を裂いて燃やす場面の描写に較べて、美尾が家出したときの與四郎のそれはなんとつ…
蓮實重彥が黒沢清の映画について書いた時評に次のような文章がある。 活劇やホラーが「説明責任」の無視に終始するなら、ラヴストーリーは「説明責任」だけで成立している。 この「説明責任」という言葉を使わせてもらうと、一葉の作品『軒もる月』の話者は…
紀貫之の「糸による物ならなくにわかれ路の心ぼそくも思ほゆる哉」は、この一葉の作品『わかれ道』だけにとどまらず、「おぬひ」または「お縫」が登場する『ゆく雲』にも関係していると思われる。一葉の作品ぐらい手に筆をとって書いた文章であることを感じ…
『たけくらべ』のヒロインは「美登利」という名だが、「みどり」とは本来、色を指す語でなく、草木の新芽や若葉から連想されるような新鮮でつややかな感じを表した語であるといわれている。実際、乳幼児を「みどりこ」といったり、「緑の黒髪」といったりす…
藤原定家の「梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ」という歌が袖の涙に月が映り光が散乱している様を想起させるからだろうか、一葉作『軒もる月』の主人公の「袖」という名はちょっと作りすぎた感がなくもない。だが、この小品の語り手は主…
青空文庫の旧字旧仮名で読んだのだが、下に挙げた範囲だけでも、意味が通らないところがある。確認したらかなり怪しい。「孤燈」は「蘭燈」でランタンのことではないだろうか。「何ものぞ俄(には)かに」のところは、「何ものぞ佛(ほとけ)に」となっていて全…
一葉の随筆『あきあはせ』の中にある「月の夜」から。 さゝやかなる庭の池水にゆられて見ゆるかげ物いふやうにて、手すりめきたる所に寄りて久しう見入るれば、はじめは浮きたるやうなりしも次第に底ふかく、この池の深さいくばくとも量られぬ心地になりて、…
一葉が「淺香のぬま子」として筆をとり明治二十五年の改進新聞に掲載された『別れ霜』は「井筒にかけし丈くらべ振わけ髮のかみならねば斯くとも如何(いかゞ)しら紙にあね樣こさへて遊びし頃これは君さまこれは我今日は芝居へ行くのなり否(いや)花見の方が我…
ロラン・バルトの日本論『表徴の帝国』(l'empire des signes) の初めの方には、時枝誠記が『國語學原論』他で語っている「辞」による「詞」の総括、いわゆる日本語の「風呂敷型構造」の見事としかいいようがない要約がある。時枝本人が語っているよりもよく…
井戶は車にて綱の長さ十二尋(ひろ)、勝手は北向きにて師走(しはす)の空のから風ひゆう〳〵と吹ぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竈(かまど)の前に火なぶりの一分(ぷん)は一時(じ)にのびて、割木ほどの事も大臺(おほだい)にして叱りとばさるる婢女(はした)の身つら…
一葉の『にごりえ』 の名高いお力の独白の場面は、お盆の十六日、お力が「我戀は細谷川の丸木橋わたるにや怕(こわ)し渡らねばと謳ひかけしが、何をか思ひ出したやうにあゝ私は一寸失禮をします、御免なさいよとて三味線を置いて立」ち、「店口から下駄を履い…