「家は本鄕の丸山福山町とて、阿部邸の山にそひて、さゝやかなる池の上にたてたるが有けり。守喜といひしうなぎやのはなれ坐敷成しとて、さのみふるくもあらず、家賃は月三圓也。たかけれどもこゝとさだむ。」と日記に書いた貸家へ、樋口一家は 一八九四年五月一日、龍泉寺町から移転する。西方町の山から滲み出して来る清水が流れこむ三坪位の池を六畳二間の縁側から眺めることができたという、その丸山福山町の貸家は様々な文学者が訪問した家でもある。斎藤緑雨、平田禿木、馬場孤蝶、戸川秋骨、島崎藤村、川上眉山、幸田露伴、徳田秋声、上田敏、泉鏡花、半井桃水、戸川残花、文学者ではないが横山源之助(二葉亭四迷や松原岩五郎と知己であった)……。一葉がそこで息をひきとった後でさえ、森田草平が偶然下宿し、夏目漱石もそこを訪問したというのだから、神話的な家であったとさえいえよう。一葉は、七月には『暗夜』、十二月には『大つごもり』を発表し、以降の傑作はみなこの場所で書かれることになるのだから「奇跡の十四ケ月」は「丸山福山町時代」とほぼ一致するのである。
旧武家地と新開の密接な関係についてはすでに触れたが、『暗夜』の舞台は「都會(みやこ)ながらの山住居にも似たるべし」とあり、「松川さまのお邸といへば何となく怕(こわ)き處のやうに人思ひぬ」ともある荒廃した松川邸とその土地であり、『にごりえ』の方は新開となっており興味深い。蓮實重彥は『にごりえ』のテクストは、作品の舞台となっている「新開」という土地を読者に厳密に同定させようとしていないと指摘したが、『暗夜』の松川屋敷がある土地もまた、「此家(注:松川邸)よりは遠からぬ染井の別墅(べっしょ)」と小説を四分の三ほど読み進んだところでようやく出てくるだけで、場所の同定にはほど遠い。『暗夜』と『にごりえ』には以下のような類似点があることがすぐにわかる。
「恨まれるは覺悟の前、鬼だとも蛇だとも思ふがようござります」
「あの小さな子心にもよく〳〵憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする」
「誰れ白鬼とは名をつけし、無間地獄のそこはかとなく景色づくり、何處にからくりのあるとも見えねど、逆さ落しの血の池、借金の針の山に追ひのぼすも手の物ときくに、寄つてお出でよと甘える聲も蛇くう雉子*1と恐ろしくなりぬ」
「菊の井のお力とても惡魔の生れ替りにはあるまじ」
「あの姉さんは鬼ではないか、父さんを怠惰者にした鬼ではないか、お前の衣類のなくなつたも、お前の家のなくなつたも皆あの鬼めがした仕事、喰ひついても飽き足らぬ惡魔にお菓子を貰つた喰べても能いかと聞くだけが情ない」
「お力が鬼なら手前は魔王」
「成程お力を鬼といふたから私は魔王で御座んしょう」
*1:芭蕉の「蛇食ふと聞けばおそろし雉子の聲」から