ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

対髑髏 (全)

對髑髏 蝸牛露伴作 (一) 旅に道連れの味は知らねど 世は情けある女の事〳〵但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮かれ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき…

武藏野 (6)

(八)自分は以上の所說に少しの異存もない。殊に東京市の町外れを題目とせよとの注意は頗る同意であつて、自分も兼ねて思付いて居た事である。町外れを「武藏野」の一部に入れるといへば、少し可笑しく聞こえるが、實は不思議はないので、海を描くに波打ち際…

武藏野 (5)

(六)今より三年前の夏のことであつた。自分は或友と市中の寓居を出でゝ三崎町の停車場から境まで乘り、其處で下りて北へ眞直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向つて、「今時分、何にしに…

武藏野 (4)

(五)自分の朋友が嘗て其鄕里から寄せた手紙の中に「此間も一人夕方に萱原を步みて考へ申候、此野の中に縱橫に通ぜる十數の徑の上を何百年の昔より此かた朝の露さやけしといひては出で、夕の雲花やかなりといひてはあこがれ、何百人のあはれ知る人や逍遙しつ…

武藏野 (3)

(四) 十月二十五日の記に、野(• )を步み林を訪ふと書き、又十一月四日の記には、夕暮に獨り風吹く野(• )に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。「自分はたちどまつた、花束を拾ひ上げた、そして林を去つて(﹅﹅﹅﹅﹅)のら(◦◦)へ出た…

武藏野 (2)

(三)昔の武藏野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以て絕類の美を鳴らして居たやうに言ひ傳へてあるが、今の武藏野は林である。林は實に今の武藏野の特色といつても宜い。卽ち木は主に楢(なら)の類(たぐひ)で冬は悉く落葉し、春は滴る計りの新綠萠え出づる、…

武藏野

武藏野 國木田獨步 (一)「武藏野の俤(おもかげ)は今纔(わづか)に入間郡(いるまごほり)に殘れり」と自分は文政年間に出來た地圖で見た事がある。そして其地圖に入間郡(いるまごほり)「小手指原(こてさしはら)久米川は古戰場なり、太平記元弘三年五月十一日源…

三四郞

歴史的仮名遣いの練習の続き。「エ段」の拗長音「キョウ、ショウ、チョウ、……」がこの例文ではたくさん出てきた。以下、二種類の異なるあらわし方をまとめておく。二番目のあらわし方をするのは漢音由来の表記である。第一番目: 妙(めう)に、何疊(でふ)、敎…

セロ彈きのゴーシュ

歴史的仮名遣いの練習。(字音仮名遣いは別として)「じ/ぢ」「ず/づ」、現代発音の「わ」「い」「う」「え」「お」の文字またはその前の文字が変わることがあるだけなのだが、なかなか自然にできるようにならない。手近に歴史的仮名遣いの『セロ彈きのゴーシ…

香も高きケンタッキー

ジョン・フォード監督『香も高きケンタッキー』(Kentucky Pride, 1925) が高画質で見られるなんて、これは夢だろうか。ちょうど蓮實重彥の『ショットとは何か』(2022) も出たところなので、この映画のたまに動くことはあっても基本はフィックスされたキャメ…

若菜集

古本を見ていたら『若菜集』の復刻版があったので買って何ということなしに眺めていた。下の詩『春の歌』なんか「冰」は「氷」で今はあまり使わない漢字だなあ。しかし、「冰」は「氷」の正字だと辞書にある。現在は名詞は「氷」で、動詞は「凍る」を使うの…

五重塔 (2)

前の記事、「一葉の墓」で示した泉鏡花の『貧民倶樂部』にも増して、『五重塔』のこの部分では「写実」を遥かに超えて、文そのものが巨大な台風のように荒れ狂っている。文が嵐を写しとるのではなく、表現自体を暴風雨へと生成変化させること。明治のこの時…

風流佛

露伴の『風流佛』を読んだ。仏師である珠運の話だから、漢字の音読みは呉音が基本となるが、なかなか直ぐに出てこない。下に挙げたところでは「聖書の中へ山水天狗樂書したる兒童が日曜の朝字消護謨に氣をあせる如く」なんて、どうしたらこんな比喩が出てく…

二人比丘尼色懺侮

明治二十二年四月に発表された尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺侮』を読んだ。明治二十三年一月発表の『緣外緣』(對髑髏) がどのくらい影響を受けているかを確認するためである。 冒頭の一部分だけを載せておく。『二人比丘尼色懺侮』は 2019 年に岩波文庫が復刊…

仮名遣い

露伴の「対髑髏」のテクストを読んでいて、自分は仮名遣いのことを何も知らないということがよく分かって、あれこれ調べてとても勉強になった。たとえば、テクストの最後にある「狂ひ狂ひて行衞しれず。」の「行衞」は、「ゆくへ」とするのがよいのだろうか…

対髑髏 (3) 幸田露伴

(三) 聞けば聞く程筋のわからぬ 戀路(こひぢ)のはじめと悟りの終り能々(よく〳〵)たゞして見れば世間に多い事其時お妙は長江(ちやうこう)を渡る風輕(かろ)く雲を吹(ふい)ておぼろにかすむ春の夜の月大空に漂よふ樣(やう)に滿面の神彩(しんさい)生々(いき〳〵…

対髑髏 (2) 幸田露伴

(二) 色仕掛生命(いのち)危ふき鬼一口(ひとくち)*1と 逃げてまはりし臆病もの仔細うけたまはれば仔細なき事年は今色の盛り、春の花咲き亂れたる樣(やう)に美しき婦人(をんな)と一ツ屋の中(うち)に居るさへ、我柳下惠(りうかけい)*2に及ぶべくもあらぬ身の氣…

対髑髏 (1) 幸田露伴

對髑髏 蝸牛露伴作 (一) 旅に道連(みちづれ)の味は知らねど 世は情(なさけ)ある女の事〳〵但しどこやらに怖い所あり難(がた)い所我(われ)元來洒落(しやれ)といふ事を知らず數寄(すき)と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼(から)を負ふ蝸牛(でゞむし)の…

「對髑髏」 (三) 蝸牛露伴作

(三) 聞けば聞く程筋のわからぬ 戀路のはじめと悟りの終り 能々たゞして見れば世間に多い事其時お妙は長江を渡る風輕(かろ)く雲を吹(ふい)ておぼろにかすむ春の夜の月大空に漂よふ樣に滿面の神彩(しんさい)生々(いき〳〵)と然も柔(やさ)しく、藍田(らんでん)…

「對髑髏」 (二) 蝸牛露伴作

(二) 色仕掛生命危ふき鬼一口*1と 逃げてまはりし臆病もの 仔細うけたまはれば仔細なき事年は今色の盛り、春の花咲き亂れたる樣に美しき婦人(をんな)と一ツ屋の中に居るさへ、我柳下惠(りうかけい)*2に及ぶべくもあらぬ身の氣味惡し。然しながら何千萬人浮世…

「對髑髏」 (一) 蝸牛露伴作

(一) 旅に道連の味は知らねど 世は情ある女の事〳〵 但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮れ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき角頭(かくとう)*1の眼に力…

官能小説家

高橋源一郎の『官能小説家』を読んだ。 「いや、だからどこまでがほんとうで、どこまでが興味本位の噂話なのか、はっきりとは申し上げられないわけなのです。先生(注:漱石)、実は、わたしは一葉女史や半井桃水といささか縁があるものでして」 「どういう縁な…

胡砂吹く風

半井桃水の『長尾拙三 探偵博士』『胡砂吹く風』前後編を読んだ。もとは新聞小説である。変体仮名や合字に多少途惑うものの、言文一致体でもないのにある程度まではスラスラ読めてしまう、このひっかかりのなさで感じたことは、誰でも読める平易な文体という…

通俗書簡文

半井桃水の『開化の復讐(あだうち)』『水の月』を読んだ。いずれも1891年の出版(出版社は日本橋區新和泉町にあった今古堂)で一葉が桃水に師事したころの小説である。『水の月』の序を書いている「梅園主人」とは誰なのだろうか。その序文は一葉の『月の夜』…

一葉の習作

武藏國 (武州) 江戶は、明治維新の折に江戶府となりすぐに東京府となつた。其處へ東京市が制定されたのは、明治十一年のことであり、一葉の生きた時代、東京市は十五區よりなつてゐる。一葉の作品は言ふまでもなく、其のほとんどが東京市を舞臺としてゐる。…

ほとゝぎす

明治二十九年七月十二日の一葉の日記にこの随筆を短期間で書いたことが記されている。発表されたのは、六月十五日の明治三陸地震による津波被害義捐のための文芸倶楽部の臨時増刊(七月二十五日)であった。なお、一葉の日記は同年の七月二十二日で途絶えてい…

小鍛冶 —— 『たけくらべ』の引用

『たけくらべ』は一葉の作品であるから数々の引用がそのテクストに含まれていることはいうまでもない。たとえば、 (前略)いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郞位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都…

洋傘

京マチ子の『濡れ髪牡丹』(1961) や梶芽衣子の『修羅雪姫』(1973) に出てくる刀が仕込まれた傘とまではいかなくとも、和装の女性は和傘を携えるという凡庸な思い込みがあったので、一葉が日記に「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたへがたければ、傘にて前を…

一葉の作品は、ときどき出來すぎてゐて笑つてしまふことがある。『にごりえ』のこゝもさうである。 ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ凉しく、見おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆ…

「暗夜」と「にごりえ」

「家は本鄕の丸山福山町とて、阿部邸の山にそひて、さゝやかなる池の上にたてたるが有けり。守喜といひしうなぎやのはなれ坐敷成しとて、さのみふるくもあらず、家賃は月三圓也。たかけれどもこゝとさだむ。」と日記に書いた貸家へ、樋口一家は 一八九四年五…