ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

わかれ道

紀貫之の「糸による物ならなくにわかれ路の心ぼそくも思ほゆる哉」は、この一葉の作品『わかれ道』だけにとどまらず、「おぬひ」または「お縫」が登場する『ゆく雲』にも関係していると思われる。

一葉の作品ぐらい手に筆をとって書いた文章であることを感じさせるものはないと思うのだが、『わかれ道』は作中にも手で生きている二人の男女、吉(吉三)とお京が登場する。吉は傘の油引き、お京は針仕事で生計をなんとかたてている。この作品はその二人の登場人物の手の動きの寡黙なる雄弁さのようなものが感じられる作品である。

「上」では、裏長屋住まいしているお京のもとを吉が尋ねて「こと〳〵と羽目を敲(たた)」き、お京が「仕立かけの縫物に針どめして」、格子戸に添った雨戸を開ける。吉が部屋にあがった後、お京はお餅なら勝手に焼いてお食べと言って、依頼された縫物を続けるため針を再びとる。会話をしながら吉は、餅を炭火で焼くのだが、「鐵網(かなあみ)の上へ餠をのせて、おゝ熱々と指先を吹いてかゝりぬ」とあって、その後、「燒あがりし餠を兩手でたゝ」いたとあるので、時間までが想像できる。一葉は吉の視線をまったく描写していないが、吉は会話を続けながら、お京が針仕事をしているその手元に惹かれていることは、ほぼ間違いないと思われる。

「下」の冒頭は一葉の作品の中ではもっとも官能的な描写であろう。ただ、月が出ていて、水の中にものを落とせば、次に悲劇が起こるだろうことも予感させるのである。

十二月三十日の夜(よ)、吉は坂上の得意場へ誂(あつら)への日限の遲れしを詫びに行きて、歸りは懷手(ふところで)の急ぎ足、草履下駄の先にかゝるものは面白づくに蹴かへして、ころ〳〵と轉げると右に左に追ひかけては大溝(おほどぶ)の中へ蹴落して一人から〳〵の高笑ひ、聞く者なくて天上のお月さま宛(さ)も皓々(こうこう)と照し給ふを寒いといふ事知らぬ身なれば只(ただ)こゝちよく爽(さわや)かにて、歸りは例の窓を敲(たた)いてと目算ながら橫町を曲れば、いきなり後より追ひすがる人の、兩手に目を隱して忍び笑ひするに、誰れだ誰れだと指を撫でゝ、何だお京さんか、小指のまむしが物を言ふ、恐嚇(おどか)しても駄目だよと顏を振のけるに、增らしい當てられて仕舞つたと笑ひ出す。