ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ノリの悪い話

主題論的批評について

『リオ・グランデの砦』(1950) のクリップを再掲するが、もしこのクリップだけしか見ていないならば、モーリン・オハラがつけている「白いエプロン」が、白いエプロンである以上のものを参照していると考え、物語において明確に意味付けることは困難である。…

主題論的批評

最近は、蓮實重彦の批評スタイルを「主題論的批評」と呼ぶことにする申し合わせがどこかでなされたのか、ネットでよく目にする。しかし、そこで語られる「主題論的批評」は昔よく使われていた「表層批評」とほとんど変わり映えしていない。 「主題論的批評」…

方向音痴

方向音痴なので、右も左もわからないが、1991 年のベルリンの壁崩壊を社会主義に対する資本主義の勝利などと言うのは、決定的に間違っている気がしてならない。逆にソーシャル・ビジネスと普通のビジネスの違いも何かよくわからない。ソーシャルとわざわざつ…

資本主義としてのハリウッド映画

2007 年くらいにトルコ出身の経済学者、ダニ・ロドリック教授が提唱した 「国際政治のトリレンマ」というのは、新自由主義の歪みが顕在化し始めた頃から、しばしばその説明概念として引用されている。トリレンマというのは、「グローバル化、国家、民主主義…

港町について、つらつら考える

ジャズが生まれたのは港町ニューオリンズだし、エルビスを生んだメンフィスだってミシシッピ川沿いの中継港だし、ビートルズを生んだのも港町リバプールである、アルゼンチン・タンゴだってラ・プラタ川沿いのブエノスアイレスやモンテビデオ付近で生まれた…

日本をもっと高齢化社会に

2015 年に亡くなられた偉大なポルトガルの映画監督、マノエル・ド・オリヴェイラは、亡くなられる一年前の105 歳まで作品を発表している。クリント・イーストウッド監督も、中島貞夫監督も、明日から『イメージの本』(2018) が日本で封切られるジャン・リュ…

哀しいほど元気だった

去る 3 月 30 日に DVD が発売された『息の跡』を再々見した。作品が素晴らしいのはもちろんだが、小森はるか監督のこの作品に親しみを感じるのは、まるで日本の製造業に活気があった頃の現場のようだと感じたせいかもしれない。学生時代に講義を受けた思い…

豊かさ (2)

言わずもがなとは思うものの見田さんの最新刊が良いと思ったのは、その肯定的な語り方にある。善意からきているとは思うが、高度資本主義の「成長の限界」の物語に操作されて語るものの上辺だけに思える「悲観主義」の警鐘によって、事態は改善されるどころ…

豊かさ

なんとはなしに、平成最後の東京大学卒業式の総長式辞なるものを読んでいると、見田宗介さんの名前が出てきて、2018 年に唯一読んだ岩波新書である 『現代社会はどこに向かうか — 高原の見晴らしを切り開くこと』が引用されていた。そこに出てくる consummat…

映像

プラトン以来綿々と続く「オリジナル」が「コピー」に優越すると いう考え方は、20 世紀に入ってジル・ドゥルーズ、ヴァルター・ ベンヤミン、ジャン・ボードリヤール、中井正一などによる考察があったものの、21 世紀に入っても至るところに紋切り型の制度…

非常線の女

昨日の記事に少しだけ関連する。 昨年バングラデシュで行った健診結果をまとめ、学会発表のために来日したバングラデシュの医師と本日お会いしたときに、終わったばかりの学会発表のことが話題となった。その医師が発表を終えると、何故そんなに異常率が高い…

見える化(2)

前回の記事で触れたことは、よく言われるような長期的な視点での資源配分がなされず短期的な視点ばかりが強調されることにも確かに通じてはいると思うのだが、こういった現状批判を具体性を欠く理念的なもので行なっても意味はあまりないと思う。 過去の事象…

見える化

アブダクションがもたらす仮説の質の高さは、空間的にせよ時間的にせよどこまでの範囲の情報を考慮し、共存させているかに依存する部分が大きいのでないかと思う。アイザック・ニュートンが運動の三法則をアブダクションしたときに、「林檎の実」が彼の眼の…

塵埃と頭髪

詳しくは、「『ボヴァリー夫人』論」を参照。 『ボヴァリー夫人』で「塵埃」と「頭髪」の機能の類似にはっきりと気づかせてくれるのはジュスタンのところである。 ジュスタン1: そう言うがいなや、彼はマントルピースに手をのばしてエンマの靴をとった。その…

シンセシス (3)

今まで述べたような側面がある一方で、蓮實重彦はドゥルーズの著作のひとつを『マゾッホとサド』という邦題で翻訳したように、本来、それぞれの領域は絶対的な差異として存在しており、両者の間には多様な関係があって良いはずのものを安易な一般概念で重ね…

シンセシス (2)

蓮實重彦に関してはその比喩においてもアブダクション的なものを感じる。たとえば、この前の「群像」の 1 月号に掲載されていた「パンダと憲法」にしたところで、「民主主義は体質的に好きになれない」といいながら、論理的に説明できないので比喩を使うしか…

シンセシス

アブダクションとは仮説的なものを発見する推論であり、シンセシスを行うための基礎となるものであるというのは、吉川弘之先生から大昔に教わった。学生のときの思い出などほとんど残っていないが、たまたま東大総長を勤められることになる吉川先生と蓮實重…

友よ映画よ

いまでは死語になったかも知れないが「ポストモダン」などという粗雑な言葉が日本でも 80 年代の後半になるとかなりの頻度で流通していたと思う。 そんな言葉の流行とは別に、雑誌「話の特集」1976 年 1 月号から 1977 年 12 月号まで山田宏一さんによって連…

畏怖の念、謙虚さ、覚醒

『「ボヴァリー夫人」論』の序章、特にはそこの註 (1) を読むとその謙虚さにうたれる。そこにはまず一次的な言説である「作品=テクスト」に対する限りない「畏怖」が存在する。次に「テクストをめぐるテクスト」である批評は、作品 (= 一次的言説) の「意味…

またそこか

英語リスニングのコツについての「紋切り型辞典」の項目のひとつに、「内容語」は強く長く発音され「機能語」は弱く短く発音される、というのがあって、そのこと自体が間違っているといいたいわけではないが、だからといって「内容語」の方が重要だからそう…

おもしろい (完)

新聞を読まなくなって久しいが、ちょっと前に昼メシを食べに店に入ったら、テーブルに新聞が置いてあり、何とはなしに新井紀子さんが書いたものが目に留まったので読んでしまった。その内容は既にどこかで読んだものと大差なかった。 その真偽はよく分からな…

おもしろい (9)

たとえば、プルーストの『失われた時を求めて』なんかは、明らかに「主題論」と「説話論」の連携としての「記憶」の不可思議な仕組みについて書かれた小説のように思える。しかし、ここでは、もっと具体的な効用として、退屈な文章の主題を取り替えてみると…

おもしろい (8)

『三四郎』の演芸会の場面では、シェークスピアの『ハムレット』が上演されているわけだが、その演芸会が終わって三四郎が下宿に帰った夜の出来事が次のように書かれている。 夜半から降り出した。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一…

おもしろい(7)

夏目漱石の『三四郎』が、「水」抜きでは語れないぐらいのことは今や周知の事実であり、それをここに繰り返すのはジャイアント・パンダを「かわいい」と誰もが芸もなく繰り返すぐらい醜悪なことだと思いつつも、「主題論」と「説話論」の連携がここまで完璧…

おもしろい(6)

主題体系と説話体系とか便宜上言っているけど、これはもともとひとつの「記号」を頭の中に二つの異なる体系を同時に走らせて読みとるということで、英語の音を聞きながら同時に日本語の意味を理解しているのと結構近いのかなという気もしたりする。 フェルデ…

おもしろい (5)

すでに記事として一度取りあげた一葉の『十三夜』をもう一度ごく簡単にとりあげてみる。「上」「下」二部から構成されているこの小説の語りにおいて、「お関」と「録之助」という幼なじみの二人の間にある明白なテクスト上の「類似」が見られることで、この…

おもしろい (4)

もっと端的な例だと、「光」が主題となって物語の語りを分節する場合には、「光」の表情の変化が様々に記述される。森鷗外の「舞姫」を例にとってみる。 物語は、主人公の豊太郎が船に乗って日本へと向かう帰路、船がセイゴン(サイゴン)に寄港した場面から…

おもしろい (3)

前回の記事であげた「主題」において発現する機能とは、もっとも一般的に言えば物語の語りを分節することである。ここで注意しないといけないのは、短編小説の場合は特にそうなのだが、まったく同じ「主題」が単調に繰り返される例は寧ろ希であり、「主題」…

おもしろい(2)

説話論と主題論の実例。 正岡子規には『わが幼時の美感』という文章があって、下はその冒頭部分を引用したものである。 極めて幼き時の美はただ色にありて形にあらず、まして位置、配合、技術などそのほかの高尚なる複雑なる美は固より解すべくもあらず。そ…

おもしろい

前の記事でジル・ドゥルーズの『差異と反復』(1968, Différence et répétition) の冒頭を引用した後、その続きをしばらく読んでいた。なんでこの本、何度読んでもこんなにおもしろいんだろう。例えば、冒頭から続く次の一節。 祝祭というものには、「再開不…