ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ブヴァールとペキュシェ

前の記事で、「主題」はネットワーク (「網目」とか「磁場」とかともいう) の非線形性である増幅作用を通じた類似や反復にもとづく意味作用によって、希薄で多様で移ろいやすい「意味」をようやく開示すると書いたが、その同じ仕掛け=装置へ「主題」のかわり…

主題論的批評について

『リオ・グランデの砦』(1950) のクリップを再掲するが、もしこのクリップだけしか見ていないならば、モーリン・オハラがつけている「白いエプロン」が、白いエプロンである以上のものを参照していると考え、物語において明確に意味付けることは困難である。…

リオ・グランデの砦

このジョン・フォードの美しい『リオ・グランデの砦』(Rio Grande, 1950) は、すでに簡単に取り上げているが、また性懲りもなく書いてしまうことにする。この作品は何十回見ても、見るたびに感動してしまう。メキシコと合衆国の国境となっているリオ・グラン…

太陽は光り輝く

1859 年というから南北戦争前であるが、ダニエル・エメットによって作曲された "Dixie“ は、ジョン・フォードの作品でいったい何回使われているのだろうか?『リオ・グランデの砦』(1950) のフィナーレでは、ジョン・ウェインの傍でこの曲にあわせてモーリン…

静かなる男

アーゴシー・ピクチャーズで製作され、リパプリックから配給されたジョン・フォード監督の『静かなる男』(The Quiet Man, 1952) は映画化の構想が実現されるまで、十数年の時を要した作品である。前の記事にも書いたけれど、蓮實さんの批評が好きなところは…

主題論的批評

最近は、蓮實重彦の批評スタイルを「主題論的批評」と呼ぶことにする申し合わせがどこかでなされたのか、ネットでよく目にする。しかし、そこで語られる「主題論的批評」は昔よく使われていた「表層批評」とほとんど変わり映えしていない。 「主題論的批評」…

コリーン・ムーア

ウィリアム・A・サイター監督の『踊る青春』(Why Be Good?, 1929) は、もちろんコリーン・ムーア嬢の主演映画だけれども、これを見たのは、前の記事でキング・ヴィダー の 『曠野に叫ぶ』(The Sky Pilot", 1921) に二十歳ちょっと過ぎぐらいのムーア嬢が出演…

キング・ヴィダーの若い頃

植草甚一さんが映画監督であるキング・ヴィダーの生い立ちを書いている文章があって、以前それを要約したことがある。以下それを中心にまとめ直して再掲しておく。 キング・ヴィダー (King Vidor) 監督は、1894 年 2 月 8日に合衆国テキサス州のガルベストン…

映像の修辞学

この「パンザーニの広告」の画像は懐かしいので取り上げてみることにした。1980 年に朝日出版社から出た『映像の修辞学』(ロラン・バルト著、蓮實重彦・杉本紀子訳) に所収された論文「イメージの修辞学 パンザーニの広告について」で分析されている広告写真…

情報の貧困

インターネットにはありとあらゆる情報があるというのは、もちろん嘘だと思う。「情報の洪水」などという言葉は幻想である。こと映画に限ってみても、作品の題名を検索すると往々にして一番上位にでてくる Wikipedia の記事をあまり気乗りはしないが読んで感…