ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

にごりえ

一葉の『にごりえ』 の名高いお力の独白の場面は、お盆の十六日、お力が「我戀は細谷川の丸木橋わたるにや怕(こわ)し渡らねばと謳ひかけしが、何をか思ひ出したやうにあゝ私は一寸失禮をします、御免なさいよとて三味線を置いて立」ち、「店口から下駄を履いて筋向ふの横町の闇へ姿をかく」すところから始まる。

お力が三味線で唄いかけたのは、次のお座付唄『わが戀は』である。

わが戀は 細谷川の丸木橋 
わたるにや怕(こわ)し わたらねば
想ふお方にや 逢へやせぬ

我が戀(先斗町 筆香) - YouTube

もとは『平家物語』の「小宰相身投」にある、平通盛と、小宰相の代わりに上西門院が自ら筆をとって返したという次の歌にあるのかもしれない。

我がこひはほそ谷河のまろ木橋
ふみかへされて濡るゝ袖かな

ただたのめほそ谷河のまろ木橋
ふみかへしてはおちざらめやは

お力の独白にあたる文を「」で括ってみると、これはもう言文一致体であろう。お力の心中にあたるところを、その時代の口語体で書かず、文語体で書いてしまえば想いに乖離が生まれて直接読み手に伝わらない。(『源氏物語』の文語体は、書かれた当時は口語体であった。)

お力は一散に家を出て、「行かれる物なら此まゝに唐天竺(からてんぢく)の果までも行つて仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、何うしたなら人の聲も聞えない物の音もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない處へ行かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だ」と道端の立木へ夢中に寄かゝつて暫時そこに立どまれば、渡るにや怕し渡らねばと自分の謳ひし聲を其まゝ何處ともなく響いて來るに、「仕方がない矢張り私も丸木橋をば渡らずばなるまい、父さんも踏かへして落てお仕舞なされ、祖父さんも同じ事であつたといふ、何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば爲る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商賣がらを嫌ふかと一ト口に言はれて仕舞(しまふ)、ゑゝ何うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう、人情しらず義理しらずか其樣な事も思ふまい、思ふたとて何うなる物ぞ、此樣な身で此樣な業體(げふてい)で、此樣な宿世(すくせ)で、何うしたからとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦勞する丈間違ひであろ、あゝ陰氣らしい何だとて此樣な處に立つて居るのか、何しに此樣な處へ出て來たのか、馬鹿らしい氣違じみた、我身ながら分らぬ、もう〳〵皈(かへ)りませう」とて橫町の闇をば出はなれて夜店の並ぶにぎやかなる小路を氣まぎらしにとぶら〳〵步るけば、(後略)

今回読み直していて、例のメフィストフェレス=朝之助の「お前は出世を望むな」の終助詞「な」は禁止を意味する辞なのか、気持を添える「お前は出世を望む、な?」という辞かで解釈が大きく変わるところで思ったのだが、一葉がどのようなつもりで書いたかはわからないにせよ、ここは「渡るにや怕(こわ)し渡らねば」のように曖昧に二重拘束的にとった方がかえってよい気がする。お力が「ゑツと驚」いたのは、その言葉がとても偶然の一致と思えなかったからである。

お前は出世を望むなと突然に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし樣子に見えしが、私等が身にて望んだ處が味噌こしが落、何の玉の輿までは思ひがけませぬといふ(後略)