ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

別れ霜

一葉が「淺香のぬま子」として筆をとり明治二十五年の改進新聞に掲載された『別れ霜』は「井筒にかけし丈くらべ振わけ髮のかみならねば斯くとも如何(いかゞ)しら紙にあね樣こさへて遊びし頃これは君さまこれは我今日は芝居へ行くのなり否(いや)花見の方が我れは宜しと戲れ交はせし」幼馴染の男女の悲恋を描いた心中作品である。二人が邂逅する雪の夜の場面の前段では、女は車夫となった男を路傍に認め「ぶる〳〵と震へて立止まり」、その人力車へ乗りこむ。幼馴染の女を乗せたことを知らない男が牽く車は降りしきる雪の中、池の端から萬世橋、鍋町(神田鍛冶町)、本白銀町(日本橋の本石町、室町、本町)、日本橋、京橋あたりまで不可解に思われるほどの彷徨をすることになる。途中、萬世橋の附近で、最盛期には二千頭もの馬が東京の中心部を歩んだという鉄道馬車の喇叭の描写があることにも惹かれる。

明治二十五年二月四日、雪の日の一葉の日記は有名だが、そこには、半井桃水の家へ車で訪問する際、「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたえがたければ、傘にて前をおほひ行く」とあり、また帰宅の折の車上のことを「白がい〳〵たる雪中、りん〳〵たる寒氣ををかして歸る。中々におもしろし。ほり端通り、九段の邊、吹きかくる雪におもてもむけがたくて、頭巾の上に肩かけすつぽりとかぶりて、折ふし目計(ばかり)さし出すもをかし」と書いている。

また、この場面は当然ながら、一葉の『十三夜』の「下」で、息もつかせず一挙に語られ、そこにある阿関と録之助の束の間の再会の、それを読むことさえ何かはしたないことをしているような気持がする奇跡の描写を思い出させる。『十三夜』の場合には、車上にある阿関とその車を牽く録之助はお互いに幼馴染の相手であることに気づいておらず、阿関が録之助を道すがらで認めた瞬間に阿関は「車より濘(すべ)るように下り」て、それ以降、録之助の車に乗ることはなかったのであった。したがって、『十三夜』における車は人を乗せて運ぶという本来の機能をそこで失ってしまうのに対して、『別れ霜』の車は本来の機能が失調してしまうという点では類似しているが、その失調が過剰なまでの迷走となって表れている。

馳せ出(いだ)す車一散(いつさん)、さりながら降り積る雪車輪にねばりてか車上の動搖する割に合せて道のはかは行かず萬世橋(よろづよばし)に來し頃には鐵道馬車の喇叭(らつぱ)の聲はやく絕えて京屋が時計の十時を報ずる響空に高し、萬世橋へ參りましたがお宅は何方(どちら)と軾(かぢ)を控へて佇む車夫、車上の人は聲ひくゝ鍋町(なべちやう)までと只一言、車夫は聞きも敢へず力を籠めて今一勢と挽き出(いだ)しぬ、皚々(がい〳〵)たる雪夜の景に異(かは)りはなけれど大通りは流石に人足絕えず雪に照り合ふ瓦斯燈の光り皎々(かう〳〵)として、肌をさす寒氣の堪へがたければにや、車上の人は肩掛深く引あげて人目に見ゆるは頭巾の色と肩掛の派手模樣のみ、車は如法(によほふ)の破(や)れ車なり母衣(ほろ)は雪を防ぐに足らねば、洋傘(かうもり)に辛く前面を掩ひて行くこと幾町、鍋町は裏の方で御座いますかと見返れば否鍋町ではなし、本銀町(ほんしらかねちやう)なりといふ、然らばとばかり馳せ出す又一町、曲りませうかと問へば、眞直にと答へて此處にも車を止めんとはせず日本橋迄行きたしといふに何(なに)かは知らねど詞(ことば)の通り、河岸(かし)につきて曲りてくれよ、とは何方(いづかた)右か左か、左へいや右の方へと又一橫町(ひとよこちやう)、お氣の毒なれど此處を折れて眞直に行て欲しゝと小路(こみち)に入りぬ、何の事ぞ此路は突當り、外に曲らん路も見えねば、モシお宅はどの邊でと覺束なげに問(とは)んとする時、何とせん道を間違へたり引返してと復(また)跡戾り、大路(おほぢ)に出(いづ)れば小路(こうぢ)に入(い)らせ小路を縫(ぬひ)ては大路に出で走幾走(そういくそう)、轉幾轉(てんいくてん)、蹴立(けたつ)る雪に轍(わだち)のあと長く引てめぐり出(いづ)れば又以前の道なり、薄暗き町の片角(かたかど)に車夫は茫然と車を控へて、仰の通りに參りましたら又以前の道に出ましたが若しやお間違ひでは御座いますまいか此角(これ)を曲ると先程の絲屋の前眞直に行けば大通りへ出(で)て仕舞ひますたしか裏通りと仰せで御座いましたが町名は何と申しますか夫次第大抵は分りませうと問掛けたり、車上の人は言葉少に兎に角曲つて見て下され、たしか此道と思ふやうなりとて梶棒を向きかへさせぬ、御覽なされまし矢張りこゝは元の道これで宜しう御座いますかと訝しみて問ふ車夫の言葉に、ほんにこれは違ひたりもう一つ跡(あと)の橫町がそれなりしかも知れずと曖昧の答へ方、さればといふて挽き返す一橫町こゝにもあらず今少し先へといふ提燈(ちやうちん)搖り消して商家に火を借りしも二度三度車夫亦(また)道に委(くは)しからずやあらん未だ此職(このしよく)に馴れざるにやあらん同じ道行返(ゆきかへ)りて困(かう)じ果てもしたらんに强くいひても辭(じ)しもせず示すが儘(まゝ)の道を取りぬ、夜は漸々(やう〳〵)に深くならんとす人影ちらほらと稀になるを雪はこゝ一段と勢をまして降りに降れど隱れぬものは鍋燒饂飩(なべやきうどん)の細く哀れなる聲戶を下(おろ)す商家の荒く高き音、さては按摩の笛犬の聲小路一つ隔てゝ遠く聞ゆるが猶更(なほさら)に淋し、さても怪しや車上の人萬世橋にもあらず鍋町にもあらず本銀町も過ぎたり日本橋にも止まらず大路小路幾通りそも何方に行かんとするにか洋行して歸朝の後に妻を忘るゝ人ありとか聞きしがこれは又いかに歸るべき家を忘れたるか歲もまだ若かるを笑止といはゞ笑止思へば扨(さて)も訝しき事なり、今度は京橋へと急がせぬ、裏道傳ひ二町三町町名は何と知れねど少し引き入りし二階建に掛行燈(かけあんどん)の光り朧々として主(ぬし)はありやなしや入口に並べし下駄二三足料理番が欠伸催すべき見世がゝりの割烹店あり、車上の人は目早く認めて、オヽ此處(こゝ)なり此處へ一寸(ちよつと)と俄(にはか)の指圖(さしづ)に一聲(いつせい)勇ましく引入れる車門口に下ろす梶棒と共にホツト一息內には女共が口々に入らつしやいまし。