ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

曉月夜

『たけくらべ』のヒロインは「美登利」という名だが、「みどり」とは本来、色を指す語でなく、草木の新芽や若葉から連想されるような新鮮でつややかな感じを表した語であるといわれている。実際、乳幼児を「みどりこ」といったり、「緑の黒髪」といったりするのは、その本来の意味で使っているのだと思う。藤村の『千曲川旅情の歌』に出てくる「緑」はどういう使われ方なのだろうか。

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
綠なす蘩蔞は萠えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色はづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む

色の名称としての「みどり」「あを」の色相は現在のものとは違っており、両者はかなり重なっていると思う。実際、信号機の「青」は緑色である。すでにあげた幸田露伴の『五重塔』の例文では、「少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の靑〻と、見る眼も覺むべき雨後の山の色をとゞめて翠(みどり)の匀ひ一トしほ床しく」とあり、色相としての「あを」と「みどり」は区別されていないように見える。また、この露伴の文章では「みどり」に「翠」が当てられているが、明治期には松葉の色のような「みどり」には「翠」の字を当てることが多い。

『曉月夜』は一葉が書くことで一貫して追求した「恋愛の悲劇」を描いた初期の作品である。正直、ああまたかと倦厭(うんざり)しながらも一葉の作品を読むことがやめられないのは、凡庸とも思えるひとつのテーマをただ「よりよく書く」ことだけ追い求めて、彼女以前には存在していなかったはずの日本の近代小説の作家として自らを開花させていったことが、その作品を読むことを通じてまぎれもない事実として確認できるからである。一葉の作品を読むことは、生きることと書くことが同義語であった作家への最低限の敬意ではなく、喜びである。

『曉月夜』に戻ると、ここにあげた出だしの部分と続く部分を読むとおもわず噴きだしてしまう。「美辞麗句」と云うが、現在、「美辞麗句」を書ける人などそもそも見当たらないので、そこにある『竹取物語』の明治版のような物語の語り方がとてもキッチュな感じを受けて新鮮なのである。一葉の作品というと悲劇性ばかりが強調されるが、西鶴の「好色五人女」が心中を描いていてもどこか可笑しいのと少し似ていて、一葉の文章にはしばしば笑いを禁じることができない突拍子もないところがあり、そこはとても魅力的である。尚、ここに出てくる西行の歌とは、「風になびく富士の煙の空に消えてゆくへもしらぬわが思ひかな」である。

櫻の花に梅が香(か)とめて柳の枝にさく姿と、聞くばかりも床しきを心にくき獨りずみの噂、たつ名みやび男(を)の心を動かして、山の井のみづに浮岩(あくが)るゝ戀もありけり、花櫻香山家ときこえしは門表の從三位よむまでもなく、同族中に其人ありと知られて、行く水のながれ淸き江戶川の西べりに、和洋の家づくり美は極めねど、行く人の足を止むる庭木のさまざま、翠色(すゐしよく)したゝる松にまじりて紅葉(もみぢ)のあるお邸(やしき)と問へば、中の橋のはし板とゞろくばかり、扨(さて)も人の知るは夫(それ)のみならで、一重と呼ばるゝ令孃(ひめ)の美色、姉に妹に數多き同胞(はらから)をこして肩ぬひ揚げの幼なだちより、いで若紫ゆく末はと寄する心の人々も多かりしが、空しく二八の春もすぎて今歲廿(ことしはたち)のいたづら臥(ぶし)、何ごとぞ飽くまで優しき孝行のこゝろに似ず、父君母君が苦勞の種の嫁いりの相談かけ給ふごとに、我まゝながら私し一生ひとり住みの願ひあり、仰せに背くは罪ふかけれど、是ればかりはと仔細もなく、千篇一律いや〳〵を徹(とほ)して、はては世上に忌はしき名を謠はれながら、狹き乙名(をとめ)の氣にもかけず、更けゆく歲を惜しみもせず、靜かに月花(つきはな)をたのしんで、態(わざ)とにあらねど浮世の風に近づかねば、慈善會に袖ひかれたき願ひも叶はず、園遊會に物いひなれん賴みもなくて、いとゞ高嶺の花ごゝろに苦るしむ人多しと聞きしが、牛込ちかくに下宿住居(げしゆくずまひ)する森野敏とよぶ文學書生、いかなる風(かぜ)や誘ひけん、果放(はか)なき便りに令孃(ひめ)のうはさ耳にして、可笑(をか)しき奴と笑つて聞きしが、その獨栖(ひとりずみ)の理由(わけ)、我れ人ともに分らぬ處何ゆゑか探りたく、何ともして其女一目見たし、否見たしでは無く見てくれん、世は冠(かぶ)せ物の滅金(めつき)をも、祕佛と唱へて御戶帳(みとちやう)の奧ぶかに信を增さするならひ、朝日かげ玉だれの小簾(をす)の外には耻かゞやかしく、娘とも言はれぬ愚物(ばか)などにて、慈悲ぶかき親の勿體をつけたる拵(こしら)へ言かも知れず、夫れに乘りて床しがるは、雪の後朝(あした)の末つむ花に見參(げんざん)まへの心なるべし、扨(さて)も笑止とけなしながら心にかゝれば、何時(いつ)も門前を通る時は夫れとなく見かへりて、見ることも有れかしと待ちしが、時はあるもの飯田町の學校より歸りがけ、日暮れ前の川岸づたひを淋しく來(く)れば、うしろより、掛け聲いさましく駈け拔けし車のぬしは令孃(ひめ)なりけり、何處(いづく)の歸りか高髷(たかまげ)おとなしやかに、白粉(おしろい)にはあるまじき色の白さ、衣類(きもの)は何か見とむる間もなけれど、黑ちりめんの羽織にさらさらとせし高尙(けだか)き姿、もしやと敏われ知らず馳せ出せば、扨(さて)こそ引こむ彼の門內(もんない)、車の輪の何にふれてか、がたりと音して一ゆり搖れゝば、するり落かゝる後ろざしの金簪(きんかん)を、令孃(ひめ)は纎手(せんしゆ)に受けとめ給ふ途端、夕風さつと其袂を吹きあぐれば、飜がへる八つ口ひらひらと洩れて散る物ありけり、夫れと知らねば車は其まゝ玄關にいそぐを、敏何ものとも知らず遽(あわたゞ)しく拾ひて、懷中におし入れしまゝ跡も見ずに歸りぬ。

乘り入れし車は確かに香山家の物なりとは、車夫が被布(はつぴ)の縫(ぬひ)にも知れたり、十七八と見えしは美くしさの故ならんが、彼の年齡(としごろ)の娘ほかに有りとも聞かず、噂さの令孃(ひめ)は彼(あ)れならん彼(あ)れなるべし、さらば噂さも噓にはあらず、噓どころか聞きしよりは十倍も二十倍(もつと)も美し、さても、其色の尋常(なみ)を越えなば、土に根生(ねお)ひのばらの花さへ、絹帽(しるくはつと)に挾まれたしと願ふならひを、彼(あ)の美色にて何故ならん、怪しさよと計(ばか)り敏は燈下に腕を組みしが、拾ひきしは白絹の手巾(はんけち)にて、西行が富士の烟(けむ)りの歌を繕ろはねども筆のあと美ごとに書きたり、いよいよ悟めかしき女、不思議と思へば不思議さ限りなく、あの愛らしき眼に世の中を何と見てか、人じらしの振舞ひ理由(わけ)は有るべし、我れ夢さら戀なども厭やらしき心みぢんも無けれど、此理由(わけ)こそ知りたけれ、若き女の定まらぬ心に何物か觸(ふ)るゝ事ありて、夫れより起りし生道心(なまだうしん)などならば、かへすがへす淺ましき事なり、第一は不憫のことなり、中々に高尙(けだか)き心を持そこねて、魔道に落入るは我々書生の上にもあるを、何ごとにも一と筋なる乙女氣(ぎ)には無理ならねど、さりとは歎かはしき迷ひなり、兎も角も親しく逢ひて親しく語りて、諫むべきは諫め慰むべきは慰めてやりたし、さは言へど知りがたきが世の中なれば令孃(ひめ)にも惡(わろ)き蟲などありて、其身も行きたく親も遣りたけれど嫁入りの席に落花の狼藉を萬一と氣づかへば、娘の耻も我が耻も流石に子爵どの能く隱くして、一生を箱入りらしく暮らさせんとにや、さすれば此歌は無心に書きたるものにて半文の價値(ねうち)もあらず、否この優美の筆のあとは何としても破廉耻(はれんち)の人にはあらじ、必らず深き仔細ありて尋常(なみ)ならぬ思ひを振袖に包む人なるべし、扨(さて)もゆかしや其(その)ぬば玉の夜半(よは)の夢。

はじめは好奇の心に誘はれて、空しき想像(おもひ)をいろいろに描きしが、又折もがな今一と度(たび)みたしと願へど、夫よりは如何に行違(ゆきちが)ひてか後ろかげだに見ることあらねば、水を求めて得ぬ時の渴きに同じく、一念此處に集まりては今更に紛らはすべき手段もなく、朝も晝(ひる)も燭をとりても、はては學校へ行きても書を開らきても、西行の歌と令孃(ひめ)の姿と入り亂だれて眼の前を離れぬに、敏われながら呆れる計(ばか)り、天晴(あつぱ)れ未來の文學者が此樣のことにて如何(どう)なる物ぞと、叱りつける後より我が心ふらふらと成るに、是非もなし是上(このうへ)はと下宿の世帶一切たゝみて、此家にも學校にも腦病の療養に歸國といひ立て、立いでしまゝ一月ばかりを何處に潛みしか、戀の奴(やつこ)のさても可笑(をか)しや、香山家の庭男に住み込みしとは。