ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

一葉の作品は、ときどき出來すぎてゐて笑つてしまふことがある。『にごりえ』のこゝもさうである。

ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ凉しく、見おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆけば、まあ此處へお座りなさいと手を取りて、あの水菓子屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らしき四つ計の、彼子が先刻の人のでござんす、あの小さな子心にもよく〳〵憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする、まあ其樣な惡者に見えまするかとて、空を見あげてホツと息をつくさま、堪へかねたる樣子は五音の調子にあらはれぬ。

水菓子屋で桃を買つてゐる子の名前は「太吉」なのだが「太吉郞」が正式な名前らしくテクストには一度だけさう呼ばれてゐる。お力は「鬼々とい」はれてゐるので、まるで桃太朗である。『にごりえ』には犬は「唇は人喰ふ犬の如く」、雉は芭蕉の俳句を引用して「蛇くふ雉子と恐ろしくなりぬ」と出てくるので、猿も何處かでひよつこり顏を出してゐるのではと思はず探してしまつたが、これは登場してゐない。一葉の作品中には「猿蟹」が『花ごもり』に「一寸法師」が『わかれ道』に出てくる。

一葉が丸山福山町に移轉した 1894 年の 7月(日淸戰爭も1894年7月から始まつてゐる)には、博文館から巖谷小波(いわやさざなみ)の「日本昔噺」叢書の第一編として『桃太朗』が出版されてゐる。これを讀んでみると、桃太朗は犬、猿、雉に黍團子を與へるところが、知つてゐることとは違つてゐて驚いた。犢(こうし)ほどある斑犬(ぶちいぬ)が、「就きましては私も大分腹が減つて居りますから、只今召上がりました其御品を、何卒(どうぞ)一個(ひとつ)頂かして下さりませぬか!」と桃太郞にお願ひすると、桃太朗は吝嗇(けち)なのかどうかしらないが、「是は日本一の黍團子、一個は遣られぬが半分やらう。」と犬に半分しかあげないのである。猿、雉についても同じで、半分づゝしかあげない。