ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

雑記

上野昻志さん

前の記事で白土三平の『忍者武芸帳』のことを書いた後、偶然にも上野昻志さんが 2020 年に書いた『「読解力」を巡る一考察』なる文章をネットで見つけて、それを読んでいたら『忍者武芸帳』 のことが出てきた。上野さんの文章は中公新書の『教養主義の没落』…

クロモジ

部屋の加湿を忘れて寝てしまい、翌朝喉の調子が良くなかったので、普段は舐めることなどない飴でも試してみようと思いたち、近所のドラッグストアを物色していたら、「クロモジ」という名前が向こうから勝手にやってきて目に入ったので、迷うことなく「養命…

魔法の杖

字を読めるようになった頃、家に置いてあった本の一部は教えられた通りに読もうと思っても正しく読めないのが不思議だった。その最も初期の体験がこの『魔法の杖』という本を開いたときであろう。ときどき、改めて読んでみたいと思っていたが、昭和二十一年 …

敬語

わけあって、『おくのほそ道』を読みなおした。そのときに、下にある引用中の「折(をり)〳〵にの給ひ聞え給ふを」の部分を「機会ある度に言葉をかけて下さり私にお聞かせになるので」と読んだのだが、これで良いかどうかは分からない。ただし、同じ『おくの…

現代国語

現代国語の問題——年度は不明だが「共通一次 (大学共通第一次学力試験)」で出題されたらしい——に芥川龍之介の『秋』が抜粋されていた。取り上げられているのは以下の部分で、問題文の最初に次のような説明がある。「次の文章は、芥川龍之介の小説『秋』の一節…

ハリー・ベラフォンテ

日本に居て合衆国を生々しく感じた最近の出来事といえば、大谷翔平選手が自チームのベンチでひまわりの種らしきものをもぐもぐと噛みながら、その殻を片手に持った紙コップへ吐き出している光景をテレビで見かけたことくらいしか記憶がない。ハリー・ベラフ…

無題

近所をぶらぶらするいつもの散歩でも春は楽しい。ミスミソウの花が可憐であった。近くにカタクリの花も咲いていたし、ヒメウズの花も咲いていた。ヒメウズも可憐な花だとは思うが、ほっそりとした茎についた花はあまりにも小さく、おまけに下を向いているの…

ダニエル電池

高校入試問題を見ていたらダニエル電池に関する問題が出ていて、その問題自体は興味をそそられるものではなかったが、不図、ダニエル電池の起電力を計算しようと思ったら熱力学を忘れている。以下は単なる忘備録である。異種金属を接触させると一方がすぐに…

ちばてつやの少女漫画

『ユキの太陽』が宮崎駿の処女作だということとはあまり関係ないし、漫画を特別好きという訳でもないのだが、ちばてつやの少女漫画にだけはなぜか執着があるらしく、つい最近も気がついてみると『島っ子』『みそっかす』『アリンコの歌』『リナ』『ユキの太…

カラツバ法

大きな数のかけ算は, 基本的に筆算などしないことにしているが, 計算機科学のカラツバ法はときどき遊びでやってみることがある.たとえば, を計算するのにしたがって,かけ算の結果を使いまわして, かけ算を 回だけ実行すれば良いのがポイントなのだ. これくら…

JLGの死

JLG が亡くなったことについて、彼の作品を完全に見たわけでもない自分に何も言う資格はない。ただ普段と明らかに違っている自分を発見したのは、塾で小学生に国語を教えていて——それは古典の教材だった——その小学生相手にあろうことか古典の大事さをとうと…

ニイナ

メディアで名前をよく見かける紀藤正樹弁護士は靑木正兒の甥にあたるんだということをたまたま知った。最近、青空文庫にその靑木正兒が書いた『九年母』(1956) という随筆——鶴屋八幡の広報誌 「あまカラ」60 号に掲載されたもの——があるのを読んでいたら、こ…

ちょっとマゾヒスティック

千葉雅也の『現代思想入門』がよく売れているらしい。それで思い出したのだが、浅田彰の『構造と力』が出版されたのが 1983 年のことだということである。この本に自分はほとんど影響を受けなかった。自分にとっての 1983 年は蓮實重彥の『監督小津安二郎』…

「アクション」を摑む

映画はもちろんその文章も大好きなので、小森はるかさんが「文學界」今月号の特集 「『ジョン・フォード論』を読む」に寄せている文章——「掴む」が旧字で「摑む」となって『「アクション」を摑む』と題されている——をそれはもう熱心に読んだ。決して長くはな…

雑記

腰を少し痛めてしまったからという訳でもないが、新聞・TVと同様、必要に迫られない限りなるべく遠ざけるように心がけているネット上の文書をあれこれちょっと読んだ。普段遠ざけている理由は見たり読んだりすると単純に不快になることが多いからだし、これ…

縞揃女辨慶 安宅の松

歌川國芳 (一勇齋國芳) の浮世絵 (『縞揃女辨慶(しまそろひをんなべんけい)』1844 年刊の十枚揃いの一枚) にある狂歌師、梅の屋による画讃は、をさな 子も ねた(だ)る 安宅の 松の鮓 あふぎづけなる 袖にすがりてと書いてある。三行目の最後の「る」が読めな…

竹取物語 (17)

中将とりつれはふとあまの羽ころも うちきせ侍りつれはおきなをいとをし かなしとおほしつる事もうせぬ此き ぬきつる人は物思ひなくなりにけれは 車にのりて百人はかり天人くして 上りぬそのゝちおきな女ちのなみたを なかしてまとへとかひなしあの書をき し…

竹取物語 (16)

内外なる人の心とも物におそはるゝ やうにて相たゝかはん心もなかりけり からうしておもひおこして弓矢をとり たてんとすれとも手にちからもなくな りてなへかゝりたる中に心さかしき ものねんしていんとすれともほかさまへ いきけれはあれもたゝかはて心地…

竹取物語 (15)

かくやひめいはく月のみやこの人にて父母 ありかた時の間とてかの國よりまうて こしかともかく此國にはあまたの年を へぬるになんありける彼國の父母の事も 覚えすこゝにはかくひさしくあそひき こえてならひ奉れりいみしからん心地 もせすかなしくのみある…

竹取物語 (14)

かくやひめみれはせけんこゝろほそく あはれに侍るなてうものをかなけき侍る へきといふかくやひめのあるところにいたり て見れはなをものおもへるけしきなり それを見て有佛なに事思ひ給ふそお ほすらん事なにことそといへはおもふ事も なしものなん心そく…

竹取物語(13)

ゆるさしとすとてゐておはしまさ(?)んと するにかくやひめこたへてそうすをのか 身は此國にかくやひめうまれて侍らは こそつかひ給はめいとゐておはしまし かたくや侍らんとそうす御門なとかさあらむ なをゐておはしまさんとて御こしをよせ 給ふに此かくやひ…

竹取物語 (12)

このないしかへりまいりて此よしをそう す御門きこしめしておほくの人ころ しける心そかしとのたまひてやみに けれとなをおほしおはしましてこの 女のたはかりにやまけんとおほして 仰給ふ汝かもちて侍るかくやひめ奉れ かほかたちよしときこしめして御つか…

竹取物語 (11)

それを見給ひてあなかひなのわさやと のたまひけりよりそおもふにたかふ事をは かひなしといひけるかひにもあらすと見 給ひけるに御心ちもたかひてからひつ のふたに入られ給ふへくもあらす御 腰はおれにけり中納言はいくいけた たるわさしてやむことを人に…

竹取物語 (10)

中納言よろこひ給て万の人にもしらせ 給はてみそかにつかさにいましてをのこ ともの中にましりてよるをひるにな してとらしめ給ふくらつ丸かく申を いといたくよろこひてのたまふこゝにつか はるゝ人にもなきにねかひをかなふる 事のうれしさとの給ひて御そ…

竹取物語 (9)

大納言南海のはまにふきよせられたる にやあらんとおもひていきつきふし給へり 舟にあるをのことも國につけたれとも 國のつかさまうてとふらふにもえおきあか り給へぬをみれは風いとおもき人にて はらいとふくれこなたかなたの目にはすもゝ を二つ付たるや…

竹取物語 (8)

たゝとねり二人めしつれとしてやつれ たまひて難波の邊におはしまして とひ給ふ事は大伴の大納言の人や舟に のりてたつころしてそかくひのたま とれるとや聞ととはするに舟人こたへて いはくあやしき事かなとわらひてさる わさする船もなしとこたふるにをち…

竹取物語 (7)

世の人々あへの大臣火ねすみのかは衣 をもていましてかくやひめにすみ給ふと なこゝにやいますなととふある人のいふか はは火にくへてやきたりしかはめら〳〵 とやけにしかはかくやひめあひ給はすと いひけれはこれを聞てそとけなきものを あへなしといふ大…

竹取物語 (6)

左大臣あへのみむらしはたからゆた かに家ひろき人にておはしける其年 きたりけるもろこし船のわうけいとい ふ人のもとに文をかきて火ねすみの かはといふなる物かひてをこせよとてつかう まつる人の中に心たしかなるをえら ひて小野のふさもりといふ人をつ…

竹取物語 (5)

かくやひめあやしかりてみれははちの 中に文ありひろけてみれは うみ山のみちに心をつくしはてないし のはちのなみたなかれけ(き?)かくやひめひ かりやあるとみるにほたるはかりのひかりた になし をくつゆのひかりをたにもやとさまし をくらの山にてなにも…

竹取物語 (4)

いつれもをとりまさりおはしまさねは御心 さしのほとはみゆへしつかうまつらん事は それになんさたむへきといへはこれよき事 なり人のうらみもあるましといふ五人の 人々もよき事なりといへはおきないりていふ かくやひめ石つくりの御子には佛の御石の はち…