ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

新開

『魅せられて 作家論集』の冒頭に収められている、蓮實重彥の樋口一葉論『恩寵の時間と歴史の時間』は、蓮實が大学行政に携わって多忙だった時期に発表されたものを改稿しているので、やや中途半端な感も受け、『にごりえ』を論じたその文章は、800ページを超える『「ボヴァリー夫人」論』に較べれば圧倒的に短いものである。もちろん、蓮實が半井桃水を題材に煉瓦のような厚みの「凡庸な芸術家の肖像」を書き、それと同じくらい厚い 『一葉女史論』を書かなければいけない理由などどこにも存在しないのだから、それはそれでよい。ここで言いたいのは、にもかかわらず、その『恩寵の時間と歴史の時間』という論説は、樋口一葉という作家を考える場合、極めて重要だと思われるということである。

蓮實は、『たけくらべ』のテクストが新吉原遊郭に隣接する界隈が舞台であると容易に想像させるのに較べて、『にごりえ』のテクストは、作品の舞台となっている「新開」という土地を読者に厳密に同定させようとしておらず、この点が、作品の抽象度を高めていると言っている。

それから、蓮實はこう書いている。

新開地とは、過去を持たない土地ということにはかならないからだ。この新開地には、つい先だって田畑が耕されていたのかもしれない。あるいは、野生の草が生い茂る野原であったかもしれず、濁った水をたたえた沼のほとりに拡がる土地であったかもしれないのである。いずれにせよ、それは長らく人の住まうことのなかった土地であり、おそらく明治維新以降の都市への人口の集中と、おそらくは手さぐりで始まったものに違いない開発の波が、それまで人の住まうことのなかったその土地に、ぽつりぽつりと家を建てさせていくことになったのだろうと、おぼろげながら想像できる。

そうして蓮實は、「『にごりえ』の舞台となる土地には、歴史の記憶というものがいささかも堆積されていない」と書いている。この部分については論旨はよくわかるものの、厳密には明治の東京における「新開」についての事実誤認だと思う。

以下、松山恵の『都市空間の明治維新』にある服部撫松の『東京新繁昌記』を孫引させてもらうと、次のようにある。

一新以降、都下の事物日に新開を競ひ、月に繁華を鬭はす。最も著明なる者は市街の新開也。……地稅の改正有つてより、私有地に屬する者は、彈丸(わづか)の地と雖も稅を課せざる無し。故に公邸矦宅*1、競ふて新街を開き、以て貸地と爲す。……愛宕下坊の如きは大小の矦邸竝列して一商戶を見ざる者、今皆繁華の新街と爲り、芝切通しより新橋通りに至るまで、百貨の肆店、櫛比軒を列ね、矦邸の跡を見ず。……蠣殼坊・濱坊の如きは則ち都下の中央に位して、新繁華の最第一と爲す。……本所深川も亦た以て多しと爲す可し焉。……邸主は恰も地主(おほや)の賃居(たながり)の如く、邸隅に龜宿(ちゞみ)し、全く舊矦邸の景況を一變す。小華族の如きは尊姐(おくさま)親ら箕箒を執り、一僕一婢に過ぎず(以下略)

維新の時期の行政は、旧武家地を桑茶畠にする政策も取ったので、旧武家地がいったん桑茶畠に変わり、それから「新開」へと変貌した例もあるようだが、その土地に「歴史の記憶が堆積されていない」というのは言い過ぎのように思われる。そこには、極めて大きな歴史的断層があり歪んだエネルギーが内包されているということだと思う。

*1:大名華族の邸宅など