京マチ子の『濡れ髪牡丹』(1961) や梶芽衣子の『修羅雪姫』(1973) に出てくる刀が仕込まれた傘とまではいかなくとも、和装の女性は和傘を携えるという凡庸な思い込みがあったので、一葉が日記に「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたへがたければ、傘にて前をおほひ行く」と書いたその傘を『別れ霜』の「車上の人は肩掛深く引あげて人目に見ゆるは頭巾の色と肩掛の派手模樣のみ、車は如法(によほふ)の破(や)れ車なり母衣(ほろ)は雪を防ぐに足らねば、洋傘(かうもり)に辛く前面を掩ひて行くこと幾町」という絵になる場面で「洋傘(かうもり)」に変えて使っていることが不思議な気がした。『たけくらべ』でもそうで、「美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緖を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから反仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍かしきやうに、馳せ出でゝ緣先の洋傘(かうもり)さすより早く、庭石の上を傳ふて急ぎ足に來たりぬ。」とあるように、信如は「大黒傘」だが、美登利の方は「洋傘(かうもり)」である。
どうも、その頃は洋傘の方がお洒落だったらしい。一葉の時代、洋傘は純国産のものが製造されるようになり、明治16年に鹿鳴館が落成し西洋を積極的に模倣する気風だったので、一気に普及したとある。いまだ現在と地続きである近代に批判的な目をむけているように感じられ、その面でも貴重な一葉の作品だが、一方でそのテクストには「寫眞(ダゲレオ・タイプと思われる寫眞鏡という言葉も出てくる)」「汽車(当時は民営)」「洋傘」「電信」などの近代化の産物が紛れこんでいることも見落すことができない。