ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

この子

藤原定家の「梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ」という歌が袖の涙に月が映り光が散乱している様を想起させるからだろうか、一葉作『軒もる月』の主人公の「袖」という名はちょっと作りすぎた感がなくもない。だが、この小品の語り手は主要登場人物をあくまで「女」または「女子(をなご)」として示すだけであり「袖」とは呼ばない。「袖」が出てくるのは「女」の独白の中に限られ、しかもその固有名詞は、主人公のモノローグ中に登場する「我が良人」と「櫻町の殿」という二人の人物がそれぞれ「女」へ呼びかける独立語、「袖よ」「袖、」に留まっている。それは、たとえば、『にごりえ』のナレーターが「誰しも新開へ這入るほどの者で菊の井のお力を知らぬはあるまじ、菊の井のお力か、お力の菊の井か」と語るのとは対照的といってよい。

二葉亭四迷 (1864年生まれ) とほぼ同年代である一葉(1872年生まれ)は「言文一致」の小説を書くことはなかったし、書こうともしなかったということは厳密にいえば正しくない。一葉には『この子』という全編が主人公の述懐からなる小説があり、「私の身の一生を敎へたのはまだ物を言はない赤ん坊でした。」というような文から読みとれるように、この小説は言文一致体で書かれている。とは云っても、この作品はもともと地の文をもたない小説であって、言文一致の使用はあくまで主人公の「私」の独白の文章についていえることである。独白の中での言文一致の使用というのであれば『にごりえ』の名高いお力のモノローグがそうである。地の文までが言文一致体を使用したものをはじめて「言文一致の小説」としてしまうならば、一葉はやはりそのような小説は書かなかったといえるのかもしれない。

ところで、婦人雑誌「日本之家庭」に一葉が寄稿した小説『この子』を青空文庫で読んで、いつ「私」の名前が明かされるか楽しみにしていたら、次のところに至った(姓は山口であることはすでにわかっている)。下に出てくる「實子」にはなんと「じつし」とルビが振ってある。「みつこ」とは振っていない。本当に「じつし」と読むのだろうか。「みつこ」ではないだろうか。いつか確認しようと思っている。

※ 「小室の養女」というところはその前に「實家の親、まあ親です、それは恩のある伯父樣ですけれども」とある。

※ 追記:その後、博文館の「校訂一葉全集」を確認したら「じつこ」とふりがながあった。

思へば人は自分勝手なもので、よい時には何事の思ひ出しも有りませぬけれど、苦しいの、厭のと言ふ時に限つて、以前あつた事か、これから迎へる事についてか、大層よさゝうな、立派さうな、結構らしい、事ばかり思ひます、左樣いふ事を思ふにつけて現在の有さまが厭で厭で、何うかして此中をのがれたい、此絆を斷ちたい、此處さへ離れて行つたならば何んな美しく良い處へ出られるかと、斯ういふ事を是非とも考へます、で御座いますから、私も矢張その通りの夢にうかれて、此樣な不運で畢るべきが天椽では無い、此家へ嫁入りせぬ以前、まだ小室の養女の實子で有つた時に、いろ〳〵の人が世話をして吳れて、種々の口々を申込んで吳れた、中には海軍の潮田といふ立派な方もあつたし、醫學士の細井といふ色白の人にも極まりかゝつたに、引違へて旦那樣のやうな無口さまへ嫁入つて來たは何うかいふ一時の間違ひでもあらう、此間違ひを此まゝに通して、甲斐のない一生を送るは眞實情ない事と考へられ、我身の心をため直さうとはしないで人ごとばかり恨めしく思はれました。