一葉の『暗夜』を読んで、なぜか泉鏡花の『貧民倶樂部』を読んだ。もちろん一葉の『暗夜』には、鏡花の『貧民倶樂部』のように人間が動物に生成し、跳梁するようなところはない。以下は鹿鳴館を思わせる六六館を貧民が占拠するところの『貧民倶樂部』の描写である。
三十餘人の貧民等、暴言を並べ、氣焰を吐き、嵐、凩(こがらし)、一齊に哄(どツ)と荒れて吹捲くれば、花も、もみぢも、ちり〴〵ばら〴〵。 興を覺まして客は遁出し、貴婦人方は持餘して、皆休息處に一縮。 貧民城を乘取りて、「さあ、此からだよ。賣溜の金子(かね)はいくらあらうと鐚一錢(びたいちもん)でも手出をしめえぜ。金子で買つて凌ぐやうな優長な次第(わけ)ではないから、餓ゑてるものは何でも食ひな。寒い手合は、そこらにある切(きれ)でも襯衣(しやつ)でも構はず貰へ。」とお丹の下知に、狼は衣を纏ひ、狐は啖(くら)ひ、狸は飮み、梟謠へば、烏は躍り、百足、蛇(くちなは)、疊を這ひ、鼬(いたち)、鼯鼠(むさゝび) 廊下を走り、縱橫交馳(かうち)、亂暴狼藉、あはれ六六館の樓上は魑魅魍魎に橫奪されて、荒唐蕪涼(ぶりやう)を極めたり。
鏡花には『一葉の墓』という短い文章がある。「門前に」から始まるその文章は、一葉の作品そのものにオマージュを捧げているかのようである。
一葉の墓 泉鏡花作
門前に燒團子賣る茶店も淋しう、川の水も靜に、夏は葉柳の茂れる中に、俥、時としては馬車の差置かれたるも、此處ばかりは物寂びたり。樒線香など商ふ家なる、若き女房の姿美しきも、思なしかあはれなり。
或時は藤の花盛たりき。或時は墓に淡雪かゝれり。然る折は汲み來る閼伽桶の手向の水も見る〳〵凍るかとぞ身に沁むなる、亡き樋口一葉が墓は築地本願寺にあり。
彼處のあたりに、次手あるより〳〵に、予行きて詣づることあり。寺號多く、寺々に附屬の卵塔場少なからざれば、はじめて行きし時は、寺內なる直參堂といふにて聞きぬ。同一心にて、又異る墓たづぬるも多しと覺しく、其の直參堂には、肩衣かけたる翁、頭も刷立のうら少き僧、白木の机に相對して帳面を控へ居り、訪ふ人には敎へくるゝ。
花屋もまた持場ありと見ゆ。直參堂附屬の墓に詣づるものゝ支度するは、裏門を出でゝ右手の方、墓地に赴く細道の角たる店なり。藤の棚庭にあり。聲懸くれば女房立出でゝ、いかなるをと問ふ。桶にはさゝやかなると、稍葉の密かなると區別して竝べ置く、なかんづく其の大なるをとて求むるも、あはれ、亡き人の爲には何かせむ。
線香をともに買ひ、此處にて口火を點じたり。兩の手に提げて出づれば、素跣足の小童、遠くより認めてちよこ〳〵と駈け來り、 前に立ちて案内しつゝ、やがて淺き井戶の水を汲み來る。さて、小さき手して、かひ〴〵しく碑を淸め、花立を洗ひ、臺石に灌ぎ果つ。冬といはず春といはず、其も此も樒の葉殘らず乾びて、橫に倒れ、斜になり、仰向けにしをれて見る影もあらず、月夜に葛の葉の裏見る心地す。
目立たざる碑に、先祖代々と正面に記して、橫に、智相院釋妙葉信女と刻みたるが、亡き人の其の名なりとぞ。
唯視たるのみ、別にいふべき言葉もなし。さりながら靑苔の下に靈なきにしもあらずと覺ゆ。餘りはかなげなれば、ふり返る彼方の墓に、美しき小提燈の灯したるが供へありて、其の薄暗かりしかなたに、蝋燭のまたゝく見えて、見好げなれば、いざ然るものあらばとて、此の邊に賣る家ありやと、傍なる小童に尋ねしに、無し、あれなるは特に下町邊の者の何處よりか持て來りて手向けて今しがた歸りしと謂ひぬ。
去年の秋のはじめなりき。 記すもよしなき事かな、漫步きのすさみなるを。