リュミエール兄弟の『工場の出口』がパリのグラン・カフェで上映されたのは、1895 年 12 月 28 日であるが、その頃、一葉は傑作『十三夜』を発表したばかりである。
一葉の作品をちょっと思い出してみれば、一葉が「出入り口」にことの他執着した作家であることがわかる。『たけくらべ』の名高い書き出しは、「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」だし、美登利と信如の名場面として記憶されている雨の場面は、大黒屋の門前での出来事であり、その格子門には霜の朝、水仙の作り花がさし入れられるだろう。『にごりえ』の冒頭、「おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか」は、いうまでもなく銘酒屋菊の井の店前の出来事である。『十三夜』の冒頭は、「例は威勢よき黑ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子戶の外に立てば」とある。
この執着は「奇跡の十四ヵ月」として知られる期間の作品にとどまらない。処女作として知られる『闇桜』でも、お千代は夢に良之助が「學校を卒業なされて何といふお役か知らず高帽子立派に黑ぬりの馬車にのりて西洋館へ入り給ふ」ところを見たと語っているし、『曉月夜』で敏が一重の姿を見初める場面には、「敏われ知らず馳せ出せば、扨こそ引こむ彼の門內、車の輪の何にふれてか、がたりと音して一ゆり搖れヽば、するり落かヽる後ろざしの金簪(きんかん)を、令孃(ひめ)は纎手(せんしゆ)に受けとめ給ふ途端、夕風さつと其袂を吹きあぐれば、飜がへる八つ口ひらひらと洩れて散る物ありけり、夫れと知らねば車は其まヽ玄關にいそぐを、敏何ものとも知らず遽(あわたゞ)しく拾ひて(後略)」とある。もしかすると、そこで落とされた「風になびく富士の煙の空に消えてゆくへもしらぬわが思ひかな」という西行の歌が書かれた白絹の手巾は『たけくらべ』の水仙とどこでもない場所で反響しあっているのかもしれない。『暗夜』では、直次郎がお蘭の屋敷の門の前で車の輪にかけられるし、『五月雨』ではお八重と優子の出会いの場面は「御稽古がへりとや孃さまの乘したる車勢ひよく御門內へ引入るゝとて出でんとする我と行違ひしが何に觸れけん我がさしたる櫛車の前にはたと落しを知らず曵しかばなど堪るべき微塵になりて恨みを地に殘しぬ」と語られている。他にもあるが、これ以上の列挙はやめにする。
一葉の「出入り口」は多くの場合、物語を始めたり、物語を新たな局面へと活気づけ導くための主題であろうが、そのことはいったん置いておいて、いまは読むことを続けることにする。
『五月雨』と『花ごもり』を比較すると、一葉は自身の『五月雨』を大胆に改作して『花ごもり』を書いたように思われる。実は、『五月雨』はあまりのれなくて、くだらないところばかり目についた。たとえば、女性の方から文を書いたことがはっきりとわかるのは、この作品の優子と『にごりえ』のお力ぐらいであるが(『ゆく雲』のお縫は微妙である)*1、その手紙が「岩間の清水」から「常盤木のきみ」に宛ててあるところは思わず頬が弛んでしまったし、一葉の『われから』に登場する猫は「玉」だが『五月雨』では「たま」であるとか、「いすかのはし」や「目元のしほ」という表現であるとか、谷崎潤一郎も『陰翳礼讃』で書いている「玉虫いろの口紅」とか、難癖をつけているに過ぎないが「あやめ」は池には咲かないとかである(ただし漢字は「菖蒲」)。『闇桜』と較べて『五月雨』ははるかに安定してきているし、和歌による趣向もあるのだが、それらがかえってのれなくした原因なのかもしれない。
【朗読書】 五月雨 樋口一葉〈『武蔵野』一気読み版〉 - YouTube
*1:訂正:女性の方から手紙をしたためたのは、優子とお力だけではなく、『たま襷』の糸子も遺書ではあるが書いており、『暗夜』のお蘭もまた書いている。