ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

Duke Ellington

I Ain’t Got Nothing But the Blues

“I Ain’t Got Nothing But the Blues” の作曲はデューク・エリントンで下の演奏は1944年の録音だと思う。Duke Ellington - I Ain't Got Nothing But The Blues歌っている男性歌手は盲目のアル・ヒブラー。もちろん、20 世紀を代表するといってよいポピュラー…

Rex Stewart

デューク・エリントン楽団時代の演奏を何曲か聞く。1936: Lazy Man’s Shuffle: Duke Ellington & His Orchestra - Lazy Man's Shuffle (1936)1938: Boy Meets Horn Duke Ellington & His Orchestra - Boy Meets Horn - 19381938: Braggin’ in Brass: Duke El…

Jump for Joy

最近、散歩しながらいつも聞いているのがエリントン楽団の “Never No Lament” なんだが、この 4 時間近くあるアルバムを多分死ぬまで聞き続けるのだろう。今日は “Jump for Joy” の Herb Jeffries が歌っている方の 1941 年のテイクを聴いているとなぜか涙が…

Don’t Get Around Much Any More

Legrand Jazz にあったこの曲は、もちろん Duke Ellington の代表曲であり、もともとは 1940 年の “Never No Lament” が原題であった。この原題は The Blanton-Webster Band と称され、エリントン楽団がもっとも充実していたとされる 40 年代の演奏を集めた…

Jack the Bear

1940 年の 2 月から 10 月にかけての デューク・エリントン楽団のメンバーは、下記の通りである。 Rex Stewart (cnt), Cootie Williams, Wallace Jones (tp), Joe Nanton, Juan Tizol, Lawrence Brown (tb), Barney Bigard (cl,ts), Johnny Hodges (as,sop),…

Do Nothing Till You Hear From Me

この曲にまだ歌詞がなく “Concerto for Cootie” として演奏された 1940 年の録音は絶品だと思う。Cootie Williams はこの年にベニー・グッドマン楽団に移籍してしまうし、Jimmy Blanton は健康上の理由から 1941 年の終わりにはエリントン楽団を去ることがこ…

Perdido

Duke Ellington の Perdido (Juan Tisol 作曲) を聴く。Ellington を聞いていると、40年代に西海岸でポピュラー音楽に接した著名なフランクフルト学派の一人が書いているようにポピュラー音楽とは「規格化」し、そこに己の感性を従属させることではなく、今…

Duke Ellington と Tiger Rag

Duke Ellington は、Tiger Rag のコード進行を使って 様々な曲を演奏している (いわゆる contrafact)。以下はその例だが探せばまだあると思う。 1928:Hot and Bothered: 1929:Tiger Rag (Part 1): Tiger Rag (Part 2): High Life: 1930:Hot and Bothered: 19…

Caravan

これも名高い Duke Ellington のナンバーであるが、最初に録音されたのは 1936 年である。 1936:Barney Bigard and his Jazzopaters:※ 以下のプレイヤーの名前を見れば、全員、当時のDuke Ellington 楽団の面々であることがわかる。Cootie Williams (tp), Ju…

Take the ‘A’ Train

よく知られた Duke Ellington の “Take the ‘A’ Train” の録音をいくつか紹介しておくことに。 1941: Rex Stewart (cnt) Ray Nance (tp,vln) Wallace Jones (tp) Joe "Tricky Sam" Nanton, Juan Tizol, Lawrence Brown (tb) Barney Bigard (cl,ts) Johnny Ho…

Things Ain’t What They Used to Be

バングラデシュに行くには直行便がないので、シンガポールのチャンギ国際空港で次の便を待ちながら、Duke Ellington と Ray Brown が、24歳の誕生日も迎えないうちに亡くなってしまったベーシスト、ジミー・ブラントンに捧げた 1971 年のアルバム “This One’…

スイングしなけりゃ意味ないね

ディック・ミネが27歳ぐらい (1935) のときの録音である。 Ivie Anderson が歌ったデューク・エリントンのこの代表曲は、1932 年にレコードが出たが、この年に昨日の記事の Bubber Miley は亡くなったのである。デュークがこの曲を作曲したのは1931 年だが M…

Bubber Miley

最初聞いたときは、本当に不思議な音だと思った。Bix Beiderbecke は 28 歳で、この人は 29 歳で亡くなった。 1926:East St. Louis Toodle-Do (1926): 1927:Texas Blues Destroyers: East St. Louis Toodle-Do (1927): 1928:The Mooche: Blues With a Feelin…

Ivie Anderson

エリントンの曲からすでに紹介したものを除いて何曲か紹介。サム・ウッド監督によるマルクス兄弟出演の映画『マルクス一番乗り』(A Day at the Races, 1937) にも出演していたなあ。1949 年に 45 歳でこの世を去った。ということは、ビリー ・ホリデイとほと…

The Blanton-Webster Band

デューク・エリントン楽団。 Harlem Air-Shaft: Pitter Panther Patter: Jack the Bear: Sepia Panorama: Body and Soul: Never No Lament: Ko-Ko: Conga Brava: I Got It Bad: Chloe: The Flaming Sword: Sophisticated Lady: Rocks in my Bed: The Side Wa…

Caravan

Reveille with Beverly

第二次世界大戦中に日本軍が連合国軍側に向けて行ったラジオによるプロパガンダ放送の女性アナウンサーが「東京ローズ」と呼ばれたのは周知のとおりであるが、Jean Ruth Hay は、女性のディスク・ジョッキーで、当時世界中に従軍している兵士達が眠りから覚…

1927-8 年のデューク・エリントン

1928 年のルイ・アームストロングは確かに凄いが、デューク・エリントンもハーレムのコットン・クラブに 1927 年 12 月から出演するようになる。同じ年の 10 月にはアデレード・ホールとあの “Creole Love Call” をレコーディングしている。ボリス・ヴィアン…

I Let a Song Go Out of My Heart

Mildred Bailey の歌っている “I Let a Song Go Out of My Heart”。 これは 1938 年に歌われたものであるが、オリジナルは、もちろん同年のデューク・エリントンのもの。 さらに同年には、ベニー・グッドマンがマーサ・ティルトンの歌で演奏したものも残され…

りんごの木の下で

周防正行監督の『シコふんじゃった。』(1991) で流れていた。この曲は、1905年の音源が残っている。 デューク・エリントンのアレンジが素晴らしい。 日本では、ディック・ミネが歌った。 シコふんじゃった。 発売日: 2014/09/12 メディア: Prime Video この…

“Moon” がタイトルにある曲

それこそ何曲あるか知らないけど、思いつくまま何曲か紹介。トミー・ドーシー楽団でフランク・シナトラが歌った “Polka Dots and Moonbeams” は素敵な曲。“Polka Dots” とは「水玉模様」のこと。 デューク・エリントンの “Moonglow”。この曲もいろいろカバー…