ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

たま襷

この作品は、もともと『萬葉集』の高橋虫麻呂の歌にある蘆屋の菟原処女(うなひおとめ)伝説を思い出させる。この菟原処女伝説は平安時代には『大和物語』で舞台を生田川に移して語られ、明治時代に入っても森鷗外が伝説をもとに戯曲『生田川』を書いたことはよく知られている。しかし、この伝承を身近に感じるのは、夏目漱石が『草枕』に翻案して書いているからである。採り上げたのは鷗外よりも漱石の方が早いと思う。

「ささだ男に靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思ひ煩(わずら)つたが、どちらへも靡きかねて、たうとう

あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも

と云ふ歌を咏(よ)んで、淵川(ふちかは)へ身を投げて果てました」

この「あきづけば」の歌は大友家持へ贈った日置長技娘子(へきのながえのをとめ) の萬葉集の相聞歌を漱石がここに置いたものである。日置長技娘子の歌では露は「尾花」の上にあるものを歌っているが、萬葉集の歌では「萩(はぎ)」の花と秋露が一緒に出てくるのが普通である。下に載せた一葉の『たま襷』の最後の部分では、露は花園におりているのだろうが、「尾花」でも「萩」でもなく「荻(をぎ)」が登場していることに深く感動した。どちらに「靡(なび)こうか」というのであれば、尾花より柔らかい荻の方がもっと感じが出るし(ヒロインの名は青柳いと子であり「名のみ聞ても姿しのばるゝ」と話者はわざわざ断っており、「糸子が心は春の柳、そむかず靡びかずなよなよとして」という修辞もある)、荻の「友ずり」が自分の陰ごとに聞こえるという表現にも感心した。一葉が近代文学を創始できたのは、古典を充分消化できていたからである。初期の一葉は身につけた古典を素材として「引用の織物」を紡いでいるわけだが、その「ほころびが切れ」た裂け目に後期の作品が誕生したのかもしれない。

漱石はこの伝説の処女をミレーの絵を介してオフェリアと結びつけていくのだが、一葉の時代には、まだ『ハムレット』は日本では本格的に受容されておらず、一葉がオフェリアのことをどの程度認知していたかは自分にはわからない。しかし、オフェリアと一葉の作中女性は、どこか共鳴するものがあると思う。一葉の作品で『うつせみ』の雪子はオフェリア的人物といえる。『にごりえ』のお力は「私は其頃から氣が狂つたのでござんす」と語っている。尚、『われから』や『ゆく雲』ではちらりとではあるが、男性の狂者が登場している。

※ 前の記事で女性の方から手紙をしたためたのは、優子とお力だけのようなことを書いたが、この作品の糸子も遺書ではあるが書いており、『暗夜』のお蘭もまた書いているので訂正する。

戀は一方に强く一方に弱はきものと聞くは僞はり何方(いづれ)すてられぬ花紅葉の色はなけれど松野の心ろ根あはれなり、然(さ)りとて竹村の君が優さしき姿一度は思ひ絕えもしたれ、淺からぬ御志(みこゝろざし)の忝(かだじけ)なさよ、斯く思ふは我れに定操(ていそう)の無ければにや、脆(も)ろき情(こゝろ)のやる方もなし、扨(さて)も松野が今日の詞、おどろきしは我のみならず竹村の御使者もいかばかりなりけん、立歸りて斯く斯くなりしとも申さんに、何は置きて御さげすみ恥かしゝ、睦ましかりしも道理、主從とは名のみなりしならんなど、彼の君に思はれ奉らん口惜しさよ、是も誰れ故雪三(せつざう)故なり、松野が邪心一ツゆゑぞ、然(し)かはあれども御使者歸路につき給ひし後、身を投げ出しての詞(ことば)今も忘れ難し、御身(おんみ)は竹村を床しと覺すか、綠どのとやら慕はしく思ひ給ふか、さらばいか斗り雪三憎しと覺すなるべし、さりながら徃日(いつぞや)の御詞は僞りなりしか、汝さへに見捨ずば我が生涯の幸福ぞと、忝けなき仰せ承はりてよりいとゞ狂ふ心止がたく、口にするは今日始めてなれど、盡くしたる心はおのづから御覽じしるべし、姿むくつけく器量世におとりしとて厭(い)とはせ給はゞ、我れも男のはしなり、聞かれ參らせずとて只やはある、他人の眺めの妬ましきよりはと、花に吹く嵐のおそろしき心ろも我れ知らず起らんにや、許るさせたまへとて戀なればこそ忠義に鍛へし、六尺の大男が身をふるはせて打泣(うちなき)し、姿おもへば扨(さて)も罪ふかし、六歲のむかし我れ兩親に後れし以來、延びし背丈は誰(たれ)の庇護(かげ)かは、幼稚(えうち)の折の心ろならひに、謹みもなく馴れまつはりて、の心うごかせしは、搆へて松野の咎ならず我が心ろのいたらねばなり、今我れ松野を捨てゝ竹村の君まれ誰れにまれ、寄る邊をと定だめなば哀れや雪三は身も狂すべし、我(わが)幸福を求むるとて可惜(あたら)忠義の身世の嗤笑(ものわらひ)にさせるゝことかは、さりとて是れにも隨がひがたきを、何(なに)として何(な)にとせば松野が心の迷ひも覺め、竹村の君へ我が潔白をも顯(あか)されん、何方(いづれ)にまれ憎くき人一人あらば、斯くまで胸はなやまじを、果敢(はか)なの身やとうち仰げば空に澄む月影きよし、肘を寄せたる丸窓のもとに何んのきぞ風に鳴るの友ずり、我が蔭ごとか哀れはづかし、見渡す花園は夜るの錦を月にほこりて、轉(まろ)ぶ白玉の露うるはしゝ、思へば誰れも消ゆる世なるを、我が身一ツなき物にせば、何方(いづく)に何の障りか有るべき、我れ憂き世の厭はしきは今はじめたることならず、捨てんは兼てよりの願ひなり、歎くべきことならずと嫣然と笑みて靜かに取出す料紙硯(りやうしすゞり)、墨すり流して筆先あらためつ、書き流がす文(ふみ)誰れ〳〵が手に落ちて明日は記念(かたみ)と見ん名殘の名筆