ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

「對髑髏」 (一) 蝸牛露伴作

(一)
旅に道連の味は知らねど
世は情ある女の事〳〵
但しどこやらに怖い所あり難い所

我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮れ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき角頭(かくとう)*1の眼に力の及ぶだけの世を見たく、いざさらば當世江口の君*2の宿假(か)さず宇治の華族樣*3香煎湯(かうせんゆ)*4一杯を惜み玉ふとも關(かま)はじよ、里遠しいざ露と寐ん草まくらとは一歲(ひとゝせ)陸奧(みちのく)の獨り旅*5、夜更けて野末(のずゑ)に疲れたる時の吟、それより露伴と自號(じがう)して*6頓(やが)て脆(もろ)くも下枝(しづえ)を落(おち)なば*7、摺附木(すりつけぎ)*8となりて成佛する大木の蔭小暗き近邊(あたり)に何の功をも爲さゞる苔の碧(あを)みを添へん丈の願ひにて、囈語(ねごと)にばかり滴水(しづく)とく〳〵試みに浮世そゝがばや*9と果敢(はか)なき僣上(せんじやう)*10是れ無分別なる妄想の置所、我から呆(あき)るゝほど定まらぬ魂魄(こんぱく)宙宇に彷徨(さまよひ)し三十年來自ら笑ふ一生定力(ぢやうりき)なく、行藏(かうざう)多くは業風(ごふふう)に吹(ふか)る*11と古人の遺されし金句に歲の市立つ冬の半夜蝙蝠(かはほり) 騷ぐ夏の夕暮などは膽(きも)を冷やし骨を焚く*12感じを起す事もありしが、三日坊主の一時(いつとき) 精進(しやうじん)後はゆつたりのつたりにて丁度明治二十二年四月の頃は中禪寺の奧*13、白根が嶽*14の下、湯の湖(うみ)*15のほとりの客舍に五目竝(ごもくなら)べの修行を兼て*16病痾(やまひ)を養ひ居たりしに、有難き溫泉(ゆ)の功能(きゝめ)忽ち平癒するや否、丈夫素(もと)より存す衝天(しようてん)の氣などといきり出して元來(もとこ)し道を歸るを嫌ひ、御亭主是から先へ行く道は無いかと問へば。どうも此處は行留りの山の中、見らるゝ通り前は前白根(まへしらね)奧白根(おくしらね)*17雲の上に頭を出して居る始末、登山は夏さへ六かし、其續き橫手の方は魂淸峠(こんせいたうげ)*18と俗に呼ぶ木叢峠(こむらたうげ)、此頂上は上野(かうづけ)下野(しもつけ)兩國の境界(さかひ)、山々折(を)り累(かさ)なりて當方より越(こゆ)る六里の間に暖湯(ぬるゆ) 飮むべき家もなし、殊更時候大分違ひて、大澤(おほさは)德次良(とくじら)*19あたりは野州*20の名花八汐(やしほ)*21の眞盛りなれど、此近邉(あたり)はそれもまだ咲かず、況(ま)して峠は一面の雪、五尺六尺谷間には積り居りて道も碌には知れず今年になつてから越した人は指の數に足らぬ位、とても遊び半分なぞに行かるべき地(ところ)にあらず、御客樣是非もなし中禪寺までお戾りあつて足尾とか庚申山(かうしんざん)*22とか里近き孫山(まごやま)でも見物致されよとの言葉。おのれ我を都會(みやこ)育ちの柔弱者と侮つたりや、其義ならば旋毛曲(つむじまが)りの根性天の邪鬼(じやく)の意氣地見せつけ吳れんと詰らぬ事に僞勢(ぎせい)*23張り、股引もなき細臑(ほそずね)踏みはだけて。其峠何程の事あらん、燒飯作れ草鞋(わらぢ)買うて來よ、少しばかり難義でも同じ道を歸るより面白からんに鼻歌を山の神に聞せて越ん。さて〳〵途方もない事、雪沓ならでは中々凍(こゞ)ゆべし、强てとならば國境まで案內者僦(やと)はるべし、然し名產の肉蓯蓉(にくじゆよう)*24取つて腎藥にでもせんとの御思召ならば時節惡し、醉興(すいきよう)は要らぬ者と昔時(むかし)よりの敎もあるものを。面倒な事、愚圖々々せずと我云ふ通りにせよ、案內者は僦ふべし雪沓も買ふべしと罵りて*25裾其の儘(まゝ)にグイと端折り沓しつかりと穿き締め、身の丈六尺計りの樵夫(こり)を案內として心いさましく登りける、四五町ばかり來て見れば成程人は噓つかぬ者、一面の雪表面(うはべ)は凍りて下は柔なり、段々と登り行く勾配急になり屢々(しば〳〵)滑るに少し萎(ひる)みて、見れば案內者は猪(しゝ)の毛皮の沓はきて鐵雪橇(かなかんじき)に踏答へ悠々と步む憎さ、負じと我も息張りて追付ば其大男ふりかへりて。此通りの雪なれば道も何もある譯(わけ)では無ければ谷を傳はりて行くだけの分、あなた樣若し堪忍(がまん) 强く少時(しばし)の難澁を忍ばれるなら一層勾配の烈しき代り頂上へ達する近道を行きませうかと尋ねられ。エーまゝの皮、さう仕ようと決斷し又登る一里あまり、樅(もみ)の木柘(つげ)の木タモの木ドロの木唐松など生ひ茂りて蔭暗く、此山の本名木叢(こむら)峠の名は體をあらはして森々(しん〳〵)と物凄く、梢(こずゑ)を渡る風に露はら〳〵と襟首に落ち、顏を撲(う)つ空翠(くうすい)*26は引く息に伴つて胸惡し、雪に印(しる)せる兎鹿の足痕漸く減りて、耳に音信(おとづれ)し鳥の聲(こゑ)も次等(しだい)々々に絕え、身は攀(よ)ぢ登るの苦しさに汗ばみながら心を掩ひし五慾*27の塵衣(ぢんえ)は一枚々々剝(はが)るゝ如く、昨日の榮華縱橫無盡に神通を逞しくせし第六識魔王*28は眷屬(けんぞく)味方を失ひて薄ら淋しく、何といふ事はなけれど世界よりの落武者となつたる樣に心臆せられて、人間老衰の曉五官半(なかば)死して最期に近よりたらん時此境界に似通ふ者あらば何程なさけなく如何程力弱く如何程賴み少なき者ならん乎(か)とそゞろ悲しく思ふ時、岩を透(とう)すまで銳き鳥の聲眞黑(まつくろ)の梢より射出(いだ)されギヨツとして頸(くび)を縮むる途端、眼にはくら〳〵と湧き亂るゝ唐草樣(からくさやう)の者見えし。是にてお別れ申します、此處(こゝ)兩國の境界(さかひ) 卽ち頂上なり、是より左り手左り手と谷を傳ひ下らるれば一つの沼*29あり、其沼の左りをまた〳〵下らるれば片科川(かたしながは)*30の水源是ぞ坂東太郞と末は呼ばるゝ、それに傍(そう)て行(ゆか)れなば溫泉*31湧き出る小川村といふに着(つく)べし、此處より其村までまだ四里餘少しも人家なし、能々(よく〳〵)氣を注(つ)けて迷はぬ樣致されよ、さらばと案內者の云ふに又一段に淋しさを增し、今朝(けさ)の似非(えせ)勇氣挫け果て茫然と見下すに、曇り空の日の光り力なく常は見ゆると聞し會津の方の山々も雲がくれて見えず、流石に足の爪先佇む間に冷(ひえ)を覺えける。

案內者に別かれて獨り下る覺束なさ、雪沓なれば滑り〳〵薄ら氷(ひ)に向臑(むかふずね)疵つき岩角に頰を擦り雪頽(なだれ)に埋められし木の枝に衣(きもの)を裂き、行けども行けども迷うたりや沼の邉りに出ず、樺の木折りて火を燒(た)きあたりながら燒飯を取り出して食ふに木屑を嚙(かむ)樣にて甘(うま)からねど饑(うゑ)を凌ぎたれば、色々方角を考へ正して進む、元より時計も持(もた)ぬ男なれば時刻分らず、頻りと氣をあせる中ほの暗くなつて來たれば、是れ大變なり又々曾(かつ)て荒山(あらやま)に行き暮したる時の樣になりては叶はじと急ぐ程に沼のほとりに來たり、嬉しやと思へば日は冬の*32沒(い)り易く、雪は最早無けれど沓の底は切れて足は痛し、折(をり)ふしプツリと沓の紐きれて悲しと道の邉に坐りて夫を繕(つくろ)ひ繫がんとするに、アツ燈(ひ)の光り幽(かすか)に動(ゆら)ぐを見付け嬉しや嬉しやとたどり行けば、丸木の掘立柱笹葺(さゝぶき)の屋根したる小家、尙蕾の堅き山櫻の大木の根方(ねかた)に立(たて)り、所がらとて時候のかくも變る者ぞと驚かれぬ、萩(はぎ)の垣結ふ丈の事もせざるは枝折戶(しをりど)の面倒も嫌へるにや、家の橫手に幅一間計りの小河流るれば筧(かけひ)して水呼ぶ世話も要らぬと見えたり、此樣にしても世は渡らるゝ者と有り難く、尙近く寄て火の洩る戶の際に立ち、中禪寺の湯元より峠越して道に迷ひし者、盡く疲れ果て殊さら夜になりて難義いたしますが、小川村まではまだどれ程の道法(みちのり)でござりますか、且は雪沓を切らして步み難く困りますに草鞋一足御讓り下さるまいかと云へば。それは〳〵お氣の毒な事、小川まではもう二十町*33ばかり川に添うて行かれさへすれば間違ひなし、お履物をお切らしなされては眞に御難義ならんが生憎草鞋一足もない事羞かし、然し私しのはき捨の草履にても宜しくば參らせませうと云ふはアラ不思議、なまめかしき女の聲、かゝる山中に似合(にあは)しからずされど是も獵師か何ぞの娘ならん、唯弱りたるは足の裏痛み惱みて右の小指左りの拇指は生爪まで剝したれば是より二十町到底(とても)あるけず、出來る事なら一夜の宿を賴まんと。眞に申し兼たれど、小川まで二十町と承はりては疲れたる身の中々に步み難く、痛み所(しよ)さへあれば憫然(ふびん)と思し召て一夜の宿りを許したまへ。それは思ひも寄らぬ事、女子(をなご)許りなればと云ひ乍(なが)ら、板戶引き開け身體(からだ)を半分出す女年は二十四五なるべし、後面(うしろ)に燈(ひ)を負ひて後光さす天女の如く、其色の皎(しろ)さ、其眼のぱつちりとしたる、其眉つきの長く柔和なる、其口元の小さく締りたる、其髮の今日洗ひたる乎(か)と覺えて結ひもせず後に投げ掛けて末の方を引裂きたる白紙にて一寸(ちよと)纏(まと)めたる毛のふさ〳〵としてくねらざる美しさは人にあらず、おのれ妖怪かと三足(みあし)ほど退(さが)つて覗へば女も我をつく〴〵と見て。傷ましやお前樣の風情、御足(おみあし)のあちこち怪我なされしか紅き者も見ゆるに御袖も草木に障(さ)へられてか綻び切れ御顏色もいたく衰へ苦し氣に居らせらるゝに、成程是より小川まで僅かの道なれど行き惱み玉ふべし、留め難き所なれども世捨人にもあらぬ御方に假(かり)の宿りに心止(と)むなとも申し難ければ*34抂(ま)げて一夜を明させ申すべし、强くお斷絕(ことわり)申すもつらし、いざ爰(こゝ)に御腰かけられよ、御洗足の湯持て參らんと云はれて氣味の惡さ、今更迯(にげ)出さんも流石なれば持前のづう〳〵しく腰打掛けて有難しと禮いふ中(うち)小桶に熱き湯汲み來りて甲斐々々しく洗ひくれんとするを。是は恐れ入り升(ます)ナニ自分で濯(そゝ)ぎます。イエ〳〵御遠慮なしにサア御足(おみあし)をお伸しあそばせと問答する暇に指の股の泥まで奇麗に落ちて疊の上にあがり叮寧に挨拶すれば、女莞爾(にこ〳〵)と笑ひながら。山中なれば御馳走も出來ねど幸ひ小川村と同じ脉(みやく)の溫泉の背戶*35の方に湧き居れば一風呂御這入りあつて一日の疲勞(つかれ)をお休めなされ、サア此方へござれ御背中を流しませうか。ハテ狐にでも誑(ばか)さるゝではないかと內々危ぶみ居る我手を取る樣にして。湯殿へと申しても片庇廂(かたびさし)雨露を凌ぐばかり、いぶせけれど*36湯は天然の靈泉まことに能く暖まりますといふ口上噓らしくなく、底まで見え透く淸き湯槽(ゆぶね)大事なからうと這入れば、無類の心持(こゝち) 遙(はるか)に湯元より結構、晝間のつらかりしも忘れ悠々と上つて來るを待ち付て女。御召憎うはござりませうが御着物の綻びを縫うてあげます間是をと、後より引きかけて吳れるはぼてつかぬフラネル*37の浴衣に重ねたる黑出(くろで)八丈の綿入れ、女物なれば丈ありてユキ無く兩手のぬつと出るは可笑けれど親切かたじけなし、餘程ふしぎな取り扱ひどうした運命だらうと怪みながら少し煙(けむ)にまかれて。ハイハイ是はどうも恐縮。御帶(おみおび)にも岩角の苔が付て居りますれば可笑くとも之をと笑ひながら出すは緋縮緬のしごき。ハイ〳〵と帶にして是も大方藤蔓か知れぬと觀念し、座敷へ來て居爐裏(ゐろり)の傍に坐る肩へ羽折り吳るゝは八反の鼠小辨慶(こべんけい)のねんねこ。湯覺(ゆざめ)をなされて若しお風邪でも召ては何處ぞのお方に濟みませぬと味な口きゝ、どん〳〵と柴折(をり)くべ自在にかけし鍋の沸き立つを取り下(おろ)して。定めし御空腹でござんしたらう、サア御膳も出來ましたがお氣の毒なは麥飯、暖い丈を取り柄に山家(やまが)の不自由をお許しなされと取り出す蝶足(てふあし)*38の八寸*39、盛(つけ)て吳るゝ山獨活(やまうど)の味噌汁香氣椀に溢る、禮云ひながら我は甘(うま)く食へば女も。妾も御一所に片付て仕まひましよかと最(い)と無造作に喰ふに膳なく、椀を爐椽(ろぶち)に置んとして流石に馴ずやたゆたふを。此膳お用ゐなされと突やれば。そんならおとり膳*40とやらに、オホヽ、御免なされと顏も赤めず、宵よりの所業一々合點の行かぬ事どものみなり。

さて飯も了りたれば、女は我に關(かま)はず手ばしこく膳椀とり片付て火影(ほかげ)ゆらぐ行燈の下に坐り、我衣物(きもの)の綻びを綴くる樣(さま)、十年も連添ひたる女房の樣に見榮も色氣もなく仕こなす不思議さ、さりとては何物ならん、世を捨たる女かと見れば黑髮匂やかにして尼にもあらず、世を捨てざる女かと見れば此容色を問ふ人もなき深山(みやま)の獨り住(ずみ)訝かしく、何にせよ口不調法なる我口惜く問ひ出づる詞を知らで樣々考ふる中、女は綻び繕ひ了りて其まゝ疊み置き、爐の傍に來て我とさしむかひ笑(ゑ)まし氣に。若き御方の何故(なにゆゑ)の御旅行か知ねど定めし面白き事もござりましたらうにチトお聞せなされと却つて向ふより切り掛けられ。イヤ〳〵我等等*41凡夫の癖に山あるきは好(すき)なれど、歌の一つも讀み得ねば面白き所あつてもお話し申す言葉拙(つたな)し、お前樣こそ見受る所御風流の御生活(おくらし)、由緖あるお方とは先程より思ひましたが、さりとては盛りの御身を無殘の山住み、如何なる仔細か御話しなされてよき事ならば。ホヽ中々の事賤(しづ)の女(め)に何の由緖のありませう、唯妾しは妙(たへ)と申す氣輕者、去歲(こぞ)より此處に移りしばかり、おまへ樣は。露伴と名乘る氣輕者。扨(さて)は氣輕と云はるゝか。如何にも。何の上の氣輕。我は何とも知らず山に浮かれ水に浮かるゝだけの氣輕、おまへ樣は。浮世を厭ふだけの氣輕。ハテ怪しからぬ、浮世を眞誠(まこと)に厭ひ玉ひなば御頭(おんつむり)をもゴツソリと剃り丸(まろ)め玉ひ、墨染の衣に御身をやつされ、朝は山路に花を採り夕は溪川(たにがは)に閼伽(あか)を汲みて供(くう)ぜられ看經(かんきん)念佛の勤めあるべきに、珠數(じゆず)さへ持ち玉はざる計りか、昔しの人は美しき面に焚鐵(やきがね)當たるさへあるに*42、お前樣は誰に見よとての黑髮、油こそ無(なけ)れしなやかに、友仙の御下着紅(べに)こそなけれ仇めかしく色作らせらるゝ事疑はし、世を疎み玉ふとは詐り、深く云ひ替(かは)せし殿御(とのご)を恨らむる筋の有るかなどにて口舌(くぜつ)の餘り强(すね)玉ふての山籠り、思はせぶりの初紅葉(はつもみぢ)あきくちから濃うなるといふ色手管(いろてくだ)、是は失禮圖(づ)に乘て饒舌(しやべ)りました。アラ此人の口の憎さ、其樣な浮たる事にはあらず、全く世をば避け厭ひて。マザ〳〵とした御戲談(ごじようだん)、さらば世を厭ふとは如何なる譯と押返して問ば。要らぬ事尋ねて可惜(あたら)夜の更(ふく)るに御休みなされと身を起して戶棚より出すは綿まづしき瘦せ蒲團かと思ひの外、緋緞子(ひどんす)の蒲團淺黃綸子(りんず)の抱卷(かいまき)紅羽二重(こうはぶたへ)の裏付けて獵虎(らつこ)の襟、驚かるゝ贅澤。サア御寢(ぎよし)なれと我を押やりて小屛風立てまはすに是非なく話しを中途にして。然らばお先へ御免蒙ると橫になれば、蓬萊(ほうらい)の夢見さうな雲鶴(うんかく)の錦の丸枕に茶を詰めあるやゆかしき香(かをり)、鼻の頭(さき)に立つ不審どうも眠らればこそ、ソツと屛風の外を覗けば爐の傍(そば)に尙端然(たんねん)と坐して何やらを讀み居る美しさ人形の樣なり、一時間も經(たて)ど我は尙寐られねば又覗くに矢張動かず、二時間も過ぎて又伺ふに女は元の通り、眞夜中頃にも心愈々(いよ〳〵)冴て後先(あとさき)揃はぬ此家の始末を考へながら又覗けば女は頻りと火箸もて灰搔き起し居れど柴木最早(もはや)盡て爐の暖かならず、小叢峠の麓なれば流石に寒氣を覺えてや、獨り言に溫泉(ゆ)にでも入らんと云ひ捨てゝ湯殿の方へ行きしが少時して歸れば爐の火は全く細々となりしに尙其傍に端然と坐りたる樣子何の用ありとも見えず、全く寐るべき夜具なき故(ゆゑ)と知(しら)れたれば、我男の身として自分ばかり暖(ぬく)まり居(ゐる)をさもしき樣に思ひなし、今眼さめたる振して突(つ)と起出(おきいづ)れば。御手水(おてうづ)かと案內するに連れ、用たして戾りがけ心付たる顏して。お妙さままだおよらず*43か。ハイ。誰人を待るゝ戀か知らねど大分夜も更けましたらうに。ホヽ御調戲(おからかひ)なさらずと能うおやすみなされ。イヤ違ひましたら幾重にもお詫をしますが、お獨り住(ずみ)の御樣子、其處へ推(おし)て一泊を願ひましたれば御臥床(おんふしど)を奪ひましたかとも危ぶみます、若し萬一左樣なれば我等こそ男の身、野宿の覺(おぼえ)もござれば柱に憑(もた)れて眠る一夜位苦にもならざれ、お前樣さうして居られては心苦し、寢溫(ねぬく)もりの殘りしは氣味あしくも思しめさんがどうかお休みなされと云へば顏少し赤め。御言葉の通り眞(まこと)に夜具一揃より持たざれど、おとめ申したる時より妾しは斯うして夜を明して大事ないと思ひ定めましたれば御構ひなく。それではどうも。そう仰しやらずと。我らが困ります。妾しが困ります。マアお前樣御臥(おやす)みなされ。マア〳〵あなた御寢(ぎよし)なれ。其では際限なし、露伴男でござる、瘦我慢致して是より御暇(おいとま)申す、女性(によしやう)に難儀させて我心よく眠らば一生の瑕瑾(かきん)、母の手前朋友の手前恥かしく夜道まだ〳〵樂な事なり。それ程までに仰せらるゝを背き難し、あなたに夜道步行(あるか)せましては妾しの心遣ひ皆空(あだ)となる事なれば御言葉には從ひませうが、それではあなたに寐床暖めて頂いた樣な者、のめ〳〵と其にくるまつてあなたを火もなき爐の傍に丸寐させては、假令(たとへ)ば妾し夢に戀人に逢(あは)うとも面白からず、妙も女でござんす、妾し一生の瑕瑾持佛(ぢぶつ)の手前はづかしく、どうしてもあなたを能うお臥(やす)ませ申さでは。其樣に言葉を廻されてはどうして良いやら譯が分らず、無骨者の我等閉口しますに。ホヽ閉口なされたら溫順(おとなし)く妾しの云ふ事を聞てお臥(やす)みあれ。イヤ〳〵拙者の申す通りになされ。マア頑固に剛情を張られずとも。頑固でも何でも拙者の申す事聞かるゝがよい。ハイハイ到底(とても)あなたの頑固には叶ひませぬからあなたの申さるゝ通りに致しましよう、ホヽホヽ、まあ怖い顏をして。怖い顏は生れ付です。怒られたの。イエ御厚意に向つて何の怒りませう、唯少し眞面目になった計り。ホヽ可愛らしい眞面目に。ハイ眞面目に。妾しも眞面目に申しませう、サア露伴樣。何。殿御の仰しやる事さへ通れば女子(をなご)の云ふ事は通らずともよいと思はるゝか。何。御自分の御言葉だけを無理やりに心弱い妾しに承知させて妾しの眞實には露かゝらぬと酷(むご)らしうおつしやるか。知らん。知らんとは御卑怯な、サア此方へござれ御一所に臥(やす)みませう、妾しもあなたの御言葉を立てますればあなたとて妾しの一言(いちごん)を立(たて)て下さつたとて御身體(おからだ)の解(と)くるでもあるまい汚るゝでもござるまいに何故さう堅うなつて四角ばつてばかり居らるゝか、エヽ野暮らしいと柔らかな手に我手を取りて睛(ひとみ)も動かさず平氣に引立てんとする其美しさ恐ろしさ。我膽(きも)も凍るばかり慄然(ぞつ)として眼を瞑(ふさ)ぎ唇を咬(か)み切(し)め心の中にて「孽海(げつかい)茫々たり*44、首惡(しゆあく)*45色慾に如くは無く、塵寰(ぢんくわん)*46擾々(ぜう〳〵)*47たり、犯(をか)し易きは惟(たゞ)邪淫なり。拔山蓋世(ばつざんがいせい)の雄、此に坐して身を亡ぼし國を喪ひ、繡口錦心(しうこうきんしん)*48の士、茲(これ)に因りて節(せつ)を敗り名を隳(おと)す。始は一念*49の差たり、遂に畢世(ひつせい)贖(あがな)ふ莫きを致す。何ぞ乃ち淫風日に熾(さか)んにして、天理淪亡(てんりゝんぼう)*50するや。當(まさ)に悲むべく當に憾(うら)むべきの行ひを以て、反(かへつ)て計を得たりとなし*51、而(しかう)して衆怒衆賤(しゆうどしゆうせん)*52の事、恬(てん)として羞づるを知らず。淫詞を刊し、麗色を談じ、目は道左(だうさ)の嬌姿(けうし)*53に注ぎ、腸(はらわた)は簾中(れんちゆう)の窈窕(えうてう)*54に斷ゆ。或は貞節、或は淑德、嘉(よみ)すべく敬すべきを、遂に計誘(けいゝう)して完行(くわんかう)なからしめ*55、若くは婢女、若くは僕妾、憫(あはれ)むべく憐(あはれ)むべきを、竟(つひ)に勢逼(せいひよく)して終身を玷(けが)すを致し*56、既に*57親族をして羞を含ましめ、猶子孫をして垢を蒙らしむ。總(すべ)て心昏(くら)く氣濁り、賢遠ざかり佞(ねい)*58親しむに由る。豈(あに)知らんや天地容(ゆる)し難く、神人震怒(しんど)し、或は妻女酬償(しうしやう)し*59、或は子孫受報す。絕嗣(ぜつし)の墳墓*60は、好色の狂徒にあらざるなく、妓女の祖宗(そそう)は、盡く是れ貪花(たんくわ)*61の浪子(らうし)*62なり。富むべき者は玉樓に籍を削られ*63貴かるべき者も金榜(きんばう)*64に名を除かる。笞杖徒流大辟(ちぢやうづるだいびやく)*65、生ては五等の刑に遭ひ、地獄餓鬼畜生、沒しては三途(さんづ)の苦を受く。從前の恩愛、此に至つて空と成り、昔日の風流而(しか)も今安(いづく)にか在る。其後悔以て從ふなからんよりは、蚤(はや)く思ふて犯す勿(な)きに胡(いづ)れぞ。謹(つゝしん)で靑年の佳士、黃卷(くわうくわん)の名流*66に勸む、覺悟の心を發し、色魔の障(しやう)を破らん事を。芙蓉の白面は帶肉(たいにく)の骷髏(ころ)に過ぎず、美艷紅妝(びえんこうしやう)*67乃ち是れ殺人の利刀なり。縱(たと)ひ花の如く玉の如きの貌(かんばせ)に對するも、常に姉の如く妹の如くするの心を存(そん)して、未行者(みぎやうしや)*68は失足*69を防ぐべく、已行者(いぎやうしや) *70は務めて早く囘頭(くわいとう)*71せよ。更に望む、展轉(てん〳〵)流通(るつう)*72し、迭(たがひ)に相化導(あひくわだう)*73し、必らず在々(ざい〳〵)齊(ひと)しく*74覺路(かくろ)*75に歸し、人々共に迷津(めいしん)*76を出でしめんことを。すなはち首惡既に除き、萬邪(ばんじや)自(おのづか)ら消(しやう)し、靈臺(れいだい)*77 滯りなく世榮(せいえい)遠きに垂れん矣。」とうろ覺えの文帝遏慾(かつよく)文*78を唱へける我見地(けんち)の低さ鄙(いや)しさ。

*1:頭は先端の意味。角(つの)の先。

*2:西行と歌問答した江口の君である遊女の名前は「妙」である。遊女妙の返歌「世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」が後に引用される。

*3:『源氏物語』宇治十帖の八の宮の姫君たちと薫の関係を引用しているのかもしれない。

*4:香煎は、米や大麦などに漢方薬の原料となるウイキョウ、陳皮など数種類を合わせて香ばしく煎り、粉末状にして焼き塩で味付けしたもの。白湯に入れて香煎湯として供される。江戸時代には宿場や茶屋に普通に置かれ、旅人の身心を癒やすものとして知られていた。

*5:露伴は、18歳の時に北海道余市の電信局に赴任したが、明治20年8月25日余市を脱出し、同年 9 月 29 日東京へ戻った。このときの紀行文が『突貫紀行』である。露伴はこの後の明治 22 年 2 月〜8 月、「都の花」誌に処女作『露團々』を発表した。

*6:この部分は「それより露伴と戒名して」「それより我身を露の友として」とする異なる版が存在している。

*7:ここは、自身を露の滴に喩えている。

*8:この当時燐寸(マッチ)を「摺附木」と呼んでいた。

*9:芭蕉の『野ざらし紀行』に、「西(行)上人の草の庵の跡は、奧の院より右の方二町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のみわづかに有て、險しき谷をへだてたる、いと尊し。彼(かの)とく〳〵の淸水は昔にかはらずとみえて、今もとく〳〵と雫落ける。『露とく〳〵心みに浮世すゝがばや』」とある。

*10:大言壮語すること。また、そのさま。

*11:心の平穩はなく、出處進退は自らの宿業の風に吹かれて轉々とする。『虛堂和尙語錄』「慶元府萬松山延福禪寺語錄」から。

*12:身が焼かれるような。

*13:当時の中禅寺は、中禅寺湖北岸の中宮祠付近にあったことに注意。中禅寺は、明治35年の土石流被害で湖中に押し出され、大正2年に現在地である中禅寺湖東岸に再建された。

*14:後に出てくる「奧白根」の注参照。

*15:湯ノ湖(ゆのこ)は奥日光にある湖。北東にある三岳火山の噴火によってつくられた堰止湖。標高は 1,478 m。湖畔に日光湯元温泉がある。

*16:冗談めかして言っているのであろう。

*17:日光白根山は、片品村の北東部、群馬県と栃木県の県境に位置する日光火山群の主峰。標高 2,578m で関東以北では最も高い。周辺に座禅山、前白根山、白根隠山の外輪山を従え、その内側に弥陀ヶ池、五色沼の湖沼がある。菅沼、丸沼、大尻沼はこの山の噴火によるせき止め湖。

*18:金精峠、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境にある標高2024mの峠。

*19:日光街道の大沢宿と徳次郎宿

*20:下野の國の異称。

*21:ヤシオツツジ。栃木県の県花。ヤシオツツジといえばアカヤシオを指す場合が多い。アカヤシオの開花は4~5月で葉が展開する前に、淡いピンク色の直径5~6センチほどの花が下向きに咲く。

*22:日光南西部、足尾山系にある円錐状の成層火山。標高は1892m

*23:虚勢。

*24:強壮、強精薬である肉蓯蓉の代替として用いられる寄生植物オニク(別名:キムラタケ《金精茸》)のこと。ハマウツボ科の多年草で、日本ではミヤマハンノキの根に寄生する。

*25:声高に物を言って。わめいて。

*26:深山の緑の間にたちこめている空気。杜甫の『大歷三年春、白帝城放船出瞿塘峽、久居䕫府將適江陵漂泊、有詩、凡四十韻』に「空翠撲肌膚」とある。

*27:人間がもつ五つの欲。五官の対象である色、声、香、味、触の五境に対して執着することで起きる欲望のこと。また、財欲・色欲・飲食(おんじき)欲・名欲・睡眠欲という五つの代表的欲望を指す場合もある。

*28:「第六識」は仏教の唯識論では意識に相当し、「第六天魔王」は仏道修行を妨げる悪魔のこと。この二つを合成した露伴の造語であろう。

*29:菅沼。片品村の東部、日光白根山の北麓、標高1,731 メートルに位置する。湖岸線は複雑に入り組んでおり、大きく清水沼・弁天沼・北岐沼という名前が付いている。本州に在る湖としては最も透明度が高い。

*30:片品川。その支流が小川。

*31:群馬県利根郡片品村にある丸沼温泉。片品温泉郷を構成している。

*32:「冬のように」という意味であろう。冒頭に 4 月とあり、実際の季節は春である。

*33:約2.2 km。

*34:冒頭に引用されている江口の宿の遊女妙の返し歌を踏まえている。

*35:家の背後。

*36:むさくるしくはござりますが。

*37:フランネル。

*38:蝶足膳。足の形が蝶の羽のようであることからこの名で呼ばれる。四足の膳の中で最も格式が高いとされる。

*39:八寸(約24センチメートル)四方の膳

*40:男女二人で仲良く一つの食膳をはさんで食事をすること。

*41:「我等」は単数の「我」を卑下して言うときにも使う。

*42:了然尼の逸話を指す。

*43:「およる」は「寝る」の尊敬語

*44:孼/孽は「わざわい」の意。この世が悪業に満ちていることを海にたとえたもの。

*45:元凶

*46:俗世間。塵界。

*47:乱れてごたごたしている。

*48:詩文の才能にすぐれているたとえ。

*49:一瞬の心の動き。

*50:「淪」は、「しずむ」「おちぶれる」「ほろぶ」こと。

*51:自分の利益のための良策と受けとめて。

*52:一般の人の怒りや蔑み。

*53:道行く色っぽい女性の姿、「左」とあるのはよろしくない方向だからであろうか。

*54:美しくしとやかな姿態。

*55:策を廻らせ誘惑し、美徳をまっとうさせる邪魔をして。

*56:威をかりて迫り一生を汚して台無しにする。

*57:「〜の上に」

*58:悪い遊び仲間。

*59:「身を売る」という意味が含まれている。

*60:跡取りの絶えた一家の荒れた墓。

*61:好色。

*62:道楽者。

*63:勘当されて籍を抜かれ。

*64:科挙に合格した者の名を掲示した黄金の札。

*65:「徒」は懲役刑、「大辟」は死刑

*66:学問に抜きんでた人

*67:「紅妝」は化粧をした美人。

*68:未だ罪を犯していない人

*69:つまずいて、過ちを犯す。

*70:すでに罪を犯した人

*71:改心すること。

*72:転々流通、 不特定多数者に伝えること。

*73:衆生をお互いに教化して善に導くこと。

*74:皆等しく。

*75:悟りの道

*76:衆生がさまよう三界六道の迷いの世界。

*77:魂のある所、精神。

*78:『文帝書鈔』巻十一の「聖訓上」に「欲海廻狂寶訓」として原文がある。