ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

通俗書簡文

半井桃水の『開化の復讐(あだうち)』『水の月』を読んだ。いずれも1891年の出版(出版社は日本橋區新和泉町にあった今古堂)で一葉が桃水に師事したころの小説である。『水の月』の序を書いている「梅園主人」とは誰なのだろうか。その序文は一葉の『月の夜』を想起させる。『胡砂吹く風』はまだ読んでいないが、序にある一葉の和歌だけは確認した。変体仮名が正しく読めているならば、以下のような歌である。一葉の日記には「歌は一首、よからねども林正元を読めるの成けり」とある。林正元は『胡砂吹く風』の主人公である。

朝日さすわが敷島の山ざくらあはれかばかりさかせてしかな

いくら明治は遠くなったといっても、かつてこれが日常的、実用的な手紙の規範的な文例であったということにやはり驚く。一葉が書いたこの手紙のお手本には読点など一切ついていないのでそのまま載せるべきだが、つい付けてしまった。

事ありて中絕えたる友のもとに

此ほど上野の公園にて御影(おんかげ)ほのかに見參らせしかど御心のほどはかりかね御あとも追ひ候はず空しうながめてたち歸りしこのかた果敢(はか)なき思ひ日ごとに沸(わき)かへり、よし御怒(おんいか)りにふれなんまでも御詫び申こゝろみてと此文(これ)をばやう〳〵したゝめ申候、さりとは筆のかひなさよ思ふ心の千が一つも書得られ候はず紙おしまろめて屢々(しば〳〵)打ちなき候ひぬ、さもあらばあれ墨のにじみに思(おぼ)しやらせ給ひて自(おの)づからの御憐(おんあは)れびも給はらんや、斯く隔たり參らせたる事のもとすゑ靜かに思ひめぐらせば、如何ならん違(たが)ひめより月日を渡りて御心とけず門(かど)の柳に月かすむ夜(よ)いざ合奏(あはせもの)せん疾(と)く來よの御誘(おんさそ)ひもなく增して春雨のつれ〴〵に歌よまばやとての御音(おんおと)づれなどかき絕て忘れし樣にはもてなさせ給ふらん、御心安さの餘(あま)り禮なき言葉をうちつけになど其は昔しながらの習慣(ならはし)と御見ゆるしもたまはるべく、其ほかには如何なる事や御氣(おんき)にはさはりけん屢々(しば〳〵)おもひて更に考へつき候はず、今は打あけ思召(おぼしめし)のほど伺はんよりほか詮かたなく候、私國もとを立出(たちい)でゝ始めて彼處(かしこ)の女學校へ伯父に連れられ參りし時、御友(おんとも)だちも無くて物の耻(はづ)かしきこと言ふばかりなく唯(たゞ)汗に成りてかゞまり居(をり)つるを御前樣(おんまへさま)御覽じかねてや年はいくつぞ今までは何處(いづこ)の學校にてか學ばれしなど優しき問ひを給はりし時の辱(かたじけ)なさ、夫れよりは唯御袖(おんそで)にのみ縋りて退校(ひけ)も昇校(のぼり)も御一處にと過ぎ來つゝ卒業したりし後、人々は大かた引わかれて逢ふは同窓會の春秋(はるあき)のみ夫れもこと〴〵くは寄合ふ事をせぬほどの中に、猶あけくれ御睦(おんむつま)しうして中よき友の手本といへばやがて引出(ひきいだ)さるゝほど珍しき物に言ひさわがれしを此ほどの有樣よそ目いか計(ばかり)怪しみ候はん、是れはた我が身の罪なりや身に覺えなしと言はんは舌長きやうなれど自(み)づからは知り候はず誠(まこと)心からの過ちもせぬてにて候へば唯々(たゞ)世の中かはれるやうに如何なる事と淺ましう思はれ申候、さりながら此は我まゝの申條、知らざらんほどに若し過(あやま)てる事なども候はゞ斯く〳〵の言葉おもしろからず此事心にも適はねば夫ゆゑの怒りぞとも宣まはんに、御辯解(いひわけ)すべきはし謝(わ)び參らすべきは如何やうにも仕(つかまつ)るべく、私は唯姉上と存じ居り候を、御心にかなはずとて物のたまはぬは情なきおぼし召に候、私いさゝか思ひ當れるは去る人さる仔細ありて私をば御前樣より引はなつやう心がくるには有らぬやの疑ひに候へど、然(さ)りとも言ふまじきは人の上もし過ちならんには罪の上に罪を重ねて其人よりの憎しみ恐ろしく候、もはや何もえ書き候はじ、思ふこと胸にたゝまりて中々の筆三味うるさく候、よろづに思し廻らされ此方(こなた)あやまりなきほどを若し御見出しも下され候はゞ、よしや昔しの御交(おんまじは)りに復(かへ)らんことは六づかしうもあれ夫れまでの身と思ひ絕えて憂きをも申歎くまじ、唯かゝるさまにて御疎々(おんうと〳〵)しう成なんこと口惜しう、此方(これ)よりは隔て參らせぬ心ばかりをと思ふものからあはれ書き盡しがたうも候かな
かしこ