『たけくらべ』は一葉の作品であるから数々の引用がそのテクストに含まれていることはいうまでもない。たとえば、
(前略)いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郞位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利れそうだねえと覗き込む長吉が顏、あぶなし此物を振廻してなる事か。
に出てくる「京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀」は、能楽の『小鍛冶』が引用されていると思う。一条天皇の命で刀匠三條小鍛冶宗近が剣を打つよう命じられる。宗近は相鎚を打つ者がいないために打ち切れないと答えるが、聞き入れられない。宗近は、氏神の稲荷明神に参詣して神に助けを求める。すると宗近は、不思議な少年に声をかけられる。少年は、相鎚を勤めようと約束して稲荷山に消えていく…… というのが、能楽『小鍛冶』の内容の一部だが、長吉が喧嘩の助けを信如に相談に行ったのがこの場面なのだから、引用されていると考えられるのである。
この部分、「よく利(き)れそうだねえ」という長吉の言葉から、「切ること」を巡る主題論さえ展開したくなる。実際、冒頭から「あやしき形に紙を切りなして」と熊手の製作の描写があるこの作品で、美登利は「切れ離れよき気象を喜ばぬ人なし」と描写されている。「一つ一つに取たてては美人の鑑に遠けれど」とも書かれている美登利は、「欲深様のかつぎ給ふこれぞ熊手の下ごしらへ」と関聯づけられているのかもしれない(第十四段の酉の市の場面で、美登利の変貌が「初々しき大嶋田結ひ綿のやうに絞りばなしふさふさとかけて、鼈甲のさし込、總つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のただ京人形を見るやうに思はれて」と描かれることになる)。信如は大黒屋の門前で「鼻緖を踏み切り」、美登利が「切れ」とも「裂れ」とも書かれている「紅入り」の布を持つ場面は、「針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出」すとある。ここは、冒頭にあげた「机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して」という文章が反映しているのは言うまでもない。主題体系の中では信如は美登利を殺害したのである。
能を観る。「小鍛冶」公演映像ノーカットでお届けします!"KYOTO de petit能 2021/文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業" - YouTube