小説
小説の中で二回ほど出てくる曲『ブルー・ムーン』が、ビクトル・エリセの『エル・スール』(1983) の中で使われているクリップがあった。この小説は、’80 年代くらいに見て記憶が薄れてしまっている映画のことをあれこれ思いださせてくれる。それで、ビクトル…
終わらない小説なのでいつまでも読んでいられるなあ。どうして読み終えたらよいのだろうか。描写の味わいはトリュフォーの『恋愛日記』 (1977) のキャメラであるネストール・アルメンドロスのようだと感じたが、トリュフォーの映画は ’80 年代に見たきりで、…
『映画、柔らかい肌』でサム・ペキンパーの映画の話を山田宏一としているところを読んでいたら「老保安官のジョエル・マクリーが老眼鏡を使って手配書だか契約書をこっそり読むところなんか、嫌味じゃなくて、いいのよね」というところがあってわかったのだ…
前回の記事で『黄色いリボン』が出てきた必然として、黄色の帯に「それはジョン・フォードにはじまる」とあって『黄色いリボン』のジョン・ウェインとジョーン・ドルーのスティル写真がある金井美恵子の『映画、柔らかい肌』(1983) に行き着いたのであるが、…
前の記事を書いてからあまり読んではいないが、「ロング・グレイ・ライン」のところを見ていると「家具の埃をはらっていた女中が歌を口誦む」ところがあって、最初その歌は、“Oh, Genevieve” だと思っていたんだが、歌詞はこう書いてある。 お、お、いと、し…
冒頭の文を読んでから、現在のところ謎であるというしかない「なだらかな、かぼそい声は波の上に消えて行ったのかもしれない。」という短い文を挟んで、次の文を読むと「灰緑色に塗りかえたばかり」であったはずのフェンスのペンキはすでに剥げおちてしまっ…
表紙の後ろ姿の裸の女性はゴダールの『カルメンという名の女』(1983) のマルーシュカ・デートメルス——蓮實重彥は彼女のことを「世界で最も美しい肉体の持ち主」と評した——だと思うが、金井美恵子の『柔らかい土をふんで』(1997) はいままで読んだことはなか…
「めくらぶだう」が「野ぶどう」に変えられていたが、宮澤賢治の『めくらぶだうと虹』の抜粋が小学校の国語のテキストにあった。抜粋部分には「めくらぶだうの實が虹のやうに熟れてゐました」 に該当する処が含まれていなかったので、小学生には野葡萄の実の…
はしがき一、ここにあつめた四篇は、それぞれ獨立の作品であるが、いづれも作者の國史趣味乃至和文趣味を反映してゐると云ふ點で、何處かに共通した匂ひがある。作者は今後もかう云ふものを書くかも知れないが、さしあたり、引きつづいて此の方面へ進んで行…
しかし逃げたのはわたくしばかりではござりませなんだ。おほぜいのものが火の粉をあびてぞろぞろつながつてはしりますので、わたくしもそれといつしよになつて、うしろからえいえい押されながらかけ出しましたが、お堀の橋をこえましたとたんに、ぐわら、ぐ…
寄せ手は廿二日のあさ一番どりの啼くころよりおひおひ取りつめてまゐりましたが、御城下の町々、かいだうすぢの在々所々を燒きたてましたので、おびただしいけぶりが空にまんまんといたしまして日のひかりもくらく相成、おしろから四方をながめますと、いち…
さうかうするうちに天正じふねんのとしもくれまして正月をむかへましたけれども、ほつこくはまだかんきがはげしく、雪は一向にきえさうもござりませぬし、かついへ公は「小癪な猿めが」と仰つしやるかとおもへば、「にくらしい雪めが」と雪を目のかたきにあ…
さて御城內におきましては、十八日からひろまにおより合ひなされまして御ひやうぢやうがござりましたが、くはしいことは存じませぬけれ共、亡君のおん跡目相續のこと、明地(あきち)闕國(けつこく)の始末についての御だんがふ(談合)らしうござりました。それ…
そんなぐあひで、そのころのおくがたは、花さく春のふたたびめぐりくるときをお待ちあそばす御樣子も見えましたが、やはりむかしのおつらかつたこと、くやしかつたことを、きれいにお忘れにはならなかつたらしうござります。それと申しますのは、わたくし、…
さう云へば萬福丸どのを討ちはたすやうに仰せがござりましたとき、ひでよし公のたうわくなされかたは尋常でなかつたと申します。あればかりのわかぎみ一人おゆるされになりましたとて何ほどの事がござりませうや、それより淺井どののみやうせきをおつがせな…
のぶなが公はおいちどのや姪御たちをお受けとりになりますと、たいそうおよろこびになりまして「ようふんべつして出て來てくれた」と、ねんごろに仰つしやつて、「あさゐにもあれほどことばをつくして降參をすすめたのに、どこまでもきき入れないのは、あつ…
あるひのこと、あまり肩がこつてならぬから、すこしれうじをしてほしいと仰つしやいますので、おせなかの方へまはりまして揉んでをりますと、おくがたはしとねのうへにおすわりなされ、脇息におよりあそばして、うつらうつらまどろんでいらつしやるのかと思…
盲目物語 谷崎潤一郞わたくし生國(しやうこく)は近江のくに長濱在でござりまして、たんじやう( 誕生 )は天文にじふ一ねん、みづのえねのとしでござりますから、當年は幾つになりまするやら。左樣、左樣、六十五さい、いえ、六さい、に相成りませうか。左樣で…
その六 入(しほ)の波(は)「で、今度の旅行の目的と云ふのは?───」 二人はあたりが薄暗くなるのも忘れて、その岩の上に休んでゐたが、津村の長い物語が一段落へ來た時に、私が尋ねた。 「───何か、その伯母さんに用事でも出來たのかい?」 「いや、今の話に…
その五 國栖(くず)さて此れからは私が間接に津村の話を取り次ぐとしよう。さう云ふ譯で、津村が吉野と云ふ土地に特別のなつかしさを感ずるのは、一つは千本櫻の芝居の影響に依るのであるが、一つには、母は大和の人だと云ふことをかねがね聞いてゐたからであ…
その四 狐噲(こんくわい)「君、あの由來書きを見ると、初音の鼓は靜御前の遺物とあるだけで、狐の皮と云ふことは記してないね。」 「うん、───だから僕は、あの鼓の方が脚本より前にあるのだと思ふ。後で拵(こしら)へたものなら、何とかもう少し芝居の筋に關…
その三 初音の鼓上市から宮瀧まで、道は相變らず吉野川の流れを右に取つて進む。山が次第に深まるに連れて秋はいよいよ闌(たけなは)になる。われわれはしばしば櫟(くぬぎ)林の中に這入つて、一面に散り敷く落葉の上をかさかさ音を立てながら行つた。此の邊(…
その二 妹背山津村は何日に大阪を立つて、奈良は若草山の麓の武藏野と云ふのに宿を取つてゐる、───と、さう云ふ約束だつたから、此方は東京を夜汽車で立ち、途中京都に一泊して二日目の朝奈良に着いた。武藏野と云ふ旅館は今もあるが、二十年前とは持主が變…
吉野葛 谷崎潤一郞 その一 自天王私が大和の吉野の奧に遊んだのは、既に二十年程まへ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、今とは違つて交通の不便なあの時代に、あんな山奧、───近頃の言葉で云へば「大和アルプス」の地方なぞへ、何しに出かけて行く氣…
對髑髏 蝸牛露伴作 (一) 旅に道連れの味は知らねど 世は情けある女の事〳〵但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮かれ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき…
(八)自分は以上の所說に少しの異存もない。殊に東京市の町外れを題目とせよとの注意は頗る同意であつて、自分も兼ねて思付いて居た事である。町外れを「武藏野」の一部に入れるといへば、少し可笑しく聞こえるが、實は不思議はないので、海を描くに波打ち際…
(六)今より三年前の夏のことであつた。自分は或友と市中の寓居を出でゝ三崎町の停車場から境まで乘り、其處で下りて北へ眞直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向つて、「今時分、何にしに…
(五)自分の朋友が嘗て其鄕里から寄せた手紙の中に「此間も一人夕方に萱原を步みて考へ申候、此野の中に縱橫に通ぜる十數の徑の上を何百年の昔より此かた朝の露さやけしといひては出で、夕の雲花やかなりといひてはあこがれ、何百人のあはれ知る人や逍遙しつ…
(四) 十月二十五日の記に、野(• )を步み林を訪ふと書き、又十一月四日の記には、夕暮に獨り風吹く野(• )に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。「自分はたちどまつた、花束を拾ひ上げた、そして林を去つて(﹅﹅﹅﹅﹅)のら(◦◦)へ出た…
(三)昔の武藏野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以て絕類の美を鳴らして居たやうに言ひ傳へてあるが、今の武藏野は林である。林は實に今の武藏野の特色といつても宜い。卽ち木は主に楢(なら)の類(たぐひ)で冬は悉く落葉し、春は滴る計りの新綠萠え出づる、…