ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

縞揃女辨慶 安宅の松

歌川國芳 (一勇齋國芳) の浮世絵 (『縞揃女辨慶(しまそろひをんなべんけい)』1844 年刊の十枚揃いの一枚) にある狂歌師、梅の屋による画讃は、

をさな
子も
ねた(だ)る
安宅の
松の鮓
あふぎづけなる
袖にすがりて

と書いてある。三行目の最後の「る」が読めなかった。字源の漢字は「類」らしいので、「類」の草書体を “Yunzhang Calligraphy” というアプリで調べると下の例が出てきたので納得した。最後の「て」もあまり見ないが「天」の草書体としてはある字体である。まだまだスラスラと読める域には程遠い。

江戸後期は握り寿司が普及を始めた時期で、「安宅の松の鮓」は深川安宅(あたけ)六間堀にあった江戸前寿司の名店 (高級地域ブランド?) である。弁慶格子の着物を着て、少し微笑んでいるようにも見える面長の女性が右手でもっている、箸が添えられた皿には一番上に車海老の握り寿司が一貫、その下には玉子巻が二切れ見える (他にも見えるが判然としない)。左手で抱えているのはその寿司が入っていた折箱であろう。折箱の貼り紙を拡大してみると上の二文字は判読できないが、下の方には

あたけ
松の寿し
?(一字判読不可)かゐ屋

と書いてあるようだ。
※ 追記: 店の主人の名前が堺屋松五郎とあるので、‘?’ は「さ」、つまり「さかゐ屋」であろう。

弁慶縞の着物をきせて「女弁慶」と洒落ているのだから、「安宅(あたけ)の松の鮓」には長唄の『安宅(あたか)の松』が折り込まれているのは間違いないだろう。(長唄『安宅の松』の題材は、奥州落ちをする義経の供をする弁慶が安宅の松の下にいた土地の童に扇を与えて、その子供にこれから通り抜けなければならない安宅の関への路を尋ねる場面である。) 「あふぎづけなる」の「扇 (あふぎ)」はその逸話に関連しているのだが、帯の模様に「輪宝」のような柄が見えるので、それを扇にみたてて「あふぎづけなる袖」といっているのかもしれない。