字を読めるようになった頃、家に置いてあった本の一部は教えられた通りに読もうと思っても正しく読めないのが不思議だった。その最も初期の体験がこの『魔法の杖』という本を開いたときであろう。ときどき、改めて読んでみたいと思っていたが、昭和二十一年 (最初に出版されたのは本当は昭和十六年のことらしい) に太田黑克彥という人がジョン•バカン——アルフレッド・ヒッチコック監督の英国時代の作品でマデリーン・キャロルがヒロインを演じた映画『三十九夜』(The 39 Steps, 1935) を真っ先に思い出してしまう——の唯一の児童向け小説 “The Magic Walking Stick” (1932) を翻案したものだと最近知った。 復刻版も出ているらしく、藤子不二雄の二人が少年時代に夢中になって読んだとある。自分は国会図書館のデジタルコレクションで 1946 年発行のものを随分久しぶりに読んだ。挿絵もよく覚えていた。以下、はしがきのところだけあげる。
お話のはじめに
みなさんは、たとへば、高い〳〵山のいたゞきを、ふもとからふりあふいで、
「あゝ、あの山のいたゞきへ、ちよつと行つてみたいなあ。もしも、たつた今、一二の三で、いきなりあそこへ行くことができたら、どんなにいゝだらうなあ。」
と、思ふことがあるでせう。
また、しゆくだいのさんじゆつなどができなくて、
「あゝ、ちよつと先生のところへ行つて、こゝのところを、をしへていたゞきたいなあ。」
と、思ふこともあるでせう。
けれど、山は高いし、先生のお宅はとほいし、一足とびに、いきなり、そこへ行つてしまふことはできません。
ところが、こゝに、ふしぎな一本の杖があつて、その杖にたのめば、杖はどこへでも、みなさんののぞむところへ、またゝくまに、みなさんをつれて行つてくれるとすれば、どうでせう。みなさんは、山のいたゞきへでも、先生のお宅へでも、いきなり、行つてしまひます。そればかりではありません、イギリスへでも、アメリカへでも、どんなとほいところへでも、またゝくまに行つてしまつて、もつとすてきな、いろ〳〵なことができます。
この物語の主人公の、ビルといふ少年は、さういふふしぎな杖を手に入れました。そして、ビルが、その杖を、いろ〳〵なことに使ふ物語をのべたのが、この本であります。
ビルは、その杖をつぎ〳〵と、どんなことに使ふでせうか? ビルの杖の使ひかたは、もしもみなさんがその杖を、かりに手に入れたと思ふときの使ひかたと、にてゐるでせうか、ちがつてゐるでせうか? そんなことを、くらべてみたりしながら、みなさんがこの本をよんで下されば、この物語は一そうみなさんの心を、たのしませたり、ハラ〳〵させたりするでせう。そして、人は、たとへどんなすばらしいものを手に入れても、その心が淸く、その行が正しくなければいけない、とかんがへるでせう。
「魔法の杖」の物語を書いたのは、ジヨン・バツカンといふ人であります。それを私が、日本のみなさんにむくやうに、やさしくかきかへました。
昭和二十一年六月 太田黑克彥