映画はもちろんその文章も大好きなので、小森はるかさんが「文學界」今月号の特集 「『ジョン・フォード論』を読む」に寄せている文章——「掴む」が旧字で「摑む」となって『「アクション」を摑む』と題されている——をそれはもう熱心に読んだ。決して長くはない本文を読むとこの題名は『「まごうかたなき運動」を自分の目で摑む』と云うことなのかもしれない。「まごうかたなき運動」とは、『静かなる男』(1952) でジョン・ウェインが吸いかけの煙草を中断したり、『若き日のリンカン』(1939) でヘンリー・フォンダが川面に向かって石を投げるというような、説話論的持続へ緩やかに介入する主題 *1としてのごくさりげない運動のことに他ならない (『ジョン・フォード論』第二章 p.103 参照)。それは、ミュージカル映画で男女のダンスがまさに始まろうとする瞬間に登場人物が不意にターンするような動きのことだ。フォードが素晴らしいのは、物語を心理的な脈絡にそって説明するのではなく、物語にどう貢献するのかもすぐには明らかでないごく些細な身振りを思いもかけないやり方で組織化したからだ (『ジョン・フォード論』第五章 p. 276 参照)。小森さんは「いつか自分の目で摑む」と「いつか」を加えているが、『息の跡』(2015) で棒状の氷が井戸水でゆっくり押し出される瞬間を摑まえた作家のなんという謙虚さであろう。
同じ号の「文學界」にある松浦寿輝さんの『植物立国構想』も面白かった。天皇ご一家は京都に戻っていただき、その皇居の跡地——キュー王立植物園とほぼ同じ面積だそうだ——に世界に冠たる大植物園を創設してはどうかという構想が紹介されている。植物に未来を託すという理念を掲げ日本が世界を牽引することを目指す政党が出来たら間違いなく松浦さんと自分の二人は投票するなあ。
*1:『シネマの記憶装置』(1979) 所収の「仰視と反復——スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』」で、蓮實は「UFOが降下してきたから彼らが空を見上げていたのではない。彼らが空を見上げていたがゆえに、UFOが空から姿を見せたのである」と書き、では「なぜ連中が飽きもせず瞳を空に向けていた」かというと、それはハワード・ホークスが深く関わった『遊星よりの物体X』(1951) の最後の台詞が “Watch the sky.” だったからだと述べている。「対称バイアス」は、潜在的なものを顕在化させる創造的、発見的なものの見方にしばしば不可欠である。