ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

竹取物語 (5)

かくやひめあやしかりてみれははちの
中に文ありひろけてみれは
うみ山のみちに心をつくしはてないし
のはちのなみたなかれけ(き?)かくやひめひ
かりやあるとみるにほたるはかりのひかりた
になし
をくつゆのひかりをたにもやとさまし
をくらの山にてなにもとめけん
とて返し出すはちを門にすてゝ此歌の
返しをす
しら山にあへはひかりのうするかと
はちをすてゝもたのまるゝかな
とよみて入たりかくやひめ返しもせす
なりぬみゝにもきゝ入さりけれはいひかゝ
つらひてかへりぬかのはちをすてゝ又いひ
けるよりそおもなき事をははちをす
つるとは云けるくらもちの御子は心たは
かりある人にておほやけにはつくしの國
にゆあみにまからんとていとま申てかくや姫

の家には玉のえたとりになんまかるといは
せてくたり給ふにつかうまつるへき人々
みな難波まて御をくりしける御子いと
しのひてとの給はせて人もあまたゐてお
はしまさすちかうつかうまつるかきりして
出給ひ御をくりの人々見奉り給ひて三日
はかりありてこき給ぬかねてことみな仰
たりけれは其時一つのたからなりける
かちたくみ六人をめし取てたはやすく
人よりくましき家をつくりてかまとを
三へにしこめてたくみを入給ひつゝ御
子もおなしところにこもり給ひてしら
せ給ひたるかきり十六そをかみにくとを
あけて玉のえたをつくり給かくやひめ
の給ふやうにたかはすつくり出つとかし
こくたはかりてなにはにみそかにも
て出ぬ船にのりてかへりきにけりと殿に
つけやりていといたくくるしかりたる
やうして居給へりむかへに人おほくまいり

たり玉のえたをはなかひつにいれて物
おほひてもちてまいるいつか聞けんくらも
ちの御子はうとんてゑの花持てのほ
り給へりとのゝしりけりこれをかくや姫
きゝて我は此御子にまけぬへしとむね
つふれておもひけりかゝるほとに門をた
たきてくらもちの御子おはしたりと
つく旅の御すかたなからおはしたり
といへはあひ奉る御子の給はくいのち
をすてゝかの國のえた持てきたるとて
かくやひめに見せ奉り給へといへはおきな
もちていりたり此たまのえたにふみ
そつけたりける
いたつらに身はなしつとも玉のえを
たをらてさらにかへさらまし
これをもあはれとも見てをるに竹取
のおきなはしり入ていはく此御子に
申給ひしほうらいの玉のえたを一つ
の所をあやまたすもておはしませり
なにをもちてとかく申へきたひの御す

かたなからわか御家へもより給はすし
ておはしましたりはや此御子にあひ
つかうまつり給へといふに物もいはすつ
らえ(つゑ)をつきていみしくなけかしけに
おもひたり此御子いまさへなにかといふへから
すといふまにえんにはひのほり給ぬ
おきな理におもふ此國に見えぬ玉の枝な
り此度はいかてかいなひ申さん人樣もよ
き人におはすなといひゐたりかくやひめ
のいふやうおやのの給ふ事をひたふるに
いなひ申さんことのいとおしきに取かた
きものをかくあさましくもてきたる
事をねたくおもひおきなはねやのう
ちしつらひなとすおきな御子に申やう
いかなる所にか此木は候ひけんあやし
くうるはしくめてたき物にもと申御
子こたへてのたまはくさおとゝしの二月の
ゆかん方もしらす覺えしかとおもふ事
ならて世中にいき何そせんとおもひし
かはたゝむなしき風にまかせてありく

いのちしなはいかゝはせん生てあらんかきり
かくありきてほうらいといふらん山にあふや
と海にこきたゝよひありきて我國の
內をはなれてありきまかりしにある時は
なみあれつゝうみのそこにも入ぬへく有
時は風につけてしらぬ國にふきよせられ
ておにのやうなる物出來ころさんとし
きある時にはこしかた行すゑもしらてう
みにまきれんとし有時にはかてつきて
草の根をくひものとしある時いはんかた
なくむくつけなるものゝきてくひかゝ
らんとしきある時はうみのかいをとりて命
をつくたひのそらにたすけ給ふへき人も
なき所にいろ〳〵のやまひをして行方空
も覚えす舟の行にまかせてうみにたゝ
よひて五百日といふたつのこくはかりに
うみの中にはつかに山みゆ舟の内をなんせ
めて見るうみのうへにたゝよへる山いとおほ
きにてあり其山のさまたかくうるはし
これやわかもとむる山ならむとおもひてさす
かにおそろしくおほえて山のめくりをさし

めくらして二三日はかり見ありくに天人の
よそほひしたる女山の中より出きてしろ
かねのかなまりをもちて水をくみありく
これをみて舟よりおりてこの山のなを何
とか申ととふ女こたへていふこれはほうらい
の山なりとこたふ是を聞にうれしき事
かきりなし此女かくのたまふはたれそと
とふわか名ははうかんなりと云てふと山の
中に入ぬその山をみるにさらにのほるへき
やうなし其山のそはひらをめくれは世中
になき花の木ともたてりこかねしろかね
なり色の水山よりなかれ出たるそれには
いろ〳〵の玉のはしわたせりそのあたりに
てりかゝやく木ともたてり其中に此取て
もちてまうてきたりしはいとわるかりし
かともの給ひにたかはましかはとこの
花をおりてまうてきたるなり山はかきり
なくおもろし世にたとふへきにあらさ
りしかと此えたをおりてしかは更に
心もとなくて船にのりておひ風ふきて

四百餘日になんまうてきにし大願力に
や難波よりきのふ南(なん)都にまうてきつ
るさらに塩にぬれたる衣たにぬきかへ
なてなん立まうてきつるとの給へはおきな
きゝて打なけきてよめる
くれ竹のよゝのたけとり野山にも
さやはわびしきふしをのみ見し
これを御子聞てこゝらの日ころおもひわひ
侍つる心はけふなんおちゐぬるとのたまひて
返し
わかたもとけふかはけれはわひしさの
千草のかすもわすられぬへし
との給ひかゝるほとにおとことも六人つらね
て庭に出來一人の男ふはさみ文をは
さみて申くもむつかさのたくみあやへの
うちまろ申さく玉の木をつくりつかふま
つりし事こ國(こく)をたちて千余日に力を
つくしたる事すくなからす然にろく
いまた給はらすこれを給てわろきけこに
給せんといひてささけたり竹取のおきな
此たくみらか申事は何事そとかたふき
おり御子はわれにもあらぬけしきにて
※注: 以下「きもきえゐ給へり是をかくやひめ聞て」に相當すと思はれる一行分が寫眞撮影枠內より缺けゐるにて判讀不能。

此奉る文をとれといひてとれは文に申たる
やう御子の君千日いやしきたくみらと
もろともおなし所にかくれゐ給ひてかし
こき玉のえたをつくらせ給ひてつかさも
たまはらむと仰給ひきこれを此頃あんする
に御つかひとおはしますへきかくや姫の
くるゝまゝに思ひわひつるこゝちわらひさか
へておきなをよひとりていふやうまことにほう
らいの木かとこそおもひつれかくあさまし
きそらことして有けれははやかへし給へと
いへはおきなさたかにつくらせたる
ものと聞つれはかへさんこといとやすしと
うなつきをりかくやひめの心ゆきはてゝ
ありつるうたの返し
まことかときてみつれはことのはを
かされる玉のえたにそありける
とのたまひて玉のえたも返しつ竹取
のおきなさはかりかたらひつるにさすかにお
ほえてねふりをり御子はたつもはした
ゐるもはした
にてゐ給へり
日の暮ぬれは
すへり出給ひぬ

かのうれへせしたくみをはかくやひめよ
ひすへてうれしき人ともなりといひて
ろくいとおほくとらせ給ふたくみらいみしく
よろこひておもひつるやうにもあるかなと
云ひて帰る道にてくらもちの御子ちの
なかるゝまてとゝのえさせ給ふろくえしかひ
もなくみなとりすてさせ給ひてけれは
にけうせたりかくて此御子一しやうのはち
是に過るはあらし女をえすなりぬのみに
あらす天下の人のおもはん事のはつかし
き事との給ひてたゝ一所ふかきやまへ
いり給ぬ宮つかささふらふ人々皆手
をわかちてもとめ奉れとも御死にもやし
給ひけんえみつけ奉らすなりぬ御
子の御供にかくし給はんとてとし頃
みえ給はさりけるなりこれをなん玉さかる
とはいひはしめける