ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

敬語

わけあって、『おくのほそ道』を読みなおした。そのときに、下にある引用中の「(をり)〳〵にの給ひ聞え給ふを」の部分を「機会ある度に言葉をかけて下さり私にお聞かせになるので」と読んだのだが、これで良いかどうかは分からない。ただし、同じ『おくのほそ道』の「天龍寺」のところに「金澤の北枝といふ者、かりそめに見送りて、此處までしたひ來る。所々の風景過さず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞ゆ(﹅﹅)。」とあって、ここでも「聞ゆ」は「私に聞かせる」と読まれる。

「謙譲語」——時枝誠記の『國語學原論』にある「敬語論」によれば話題として客体化された素材 (表現の対象) と素材の間の相対的上下関係の識別にもとづいた語彙のことだが——として使われる「聞ゆ」は芭蕉の時代ではとっくに普通の語法ではなくなっているのだろうし、「聞え給ふ」の「給ふ」も「給ふる (ハ行下二段連体形)」ではない。芭蕉の時代の「聞ゆ」は現代の「猫 (金魚) に餌をあげる」「植木に水をあげる」といった表現とどこか関連性があるのかもしれない。時枝は、母が子に対して「お母様が読んであげましょう」という例をあげて「母子一体の気持ちが表現されている」と云っている。

『源氏物語』では、貴人における親から子へ、夫から妻 (愛人と呼ぶべき対象も含む) への場面においては、一般的な上下識別の原則に反している「聞ゆ」がしばしば使われている。たとえば、「桐壺」で帝は入内して間もない藤壺へこう依頼している。

うへも、かぎりなき御思ひどち (注: 藤壺と源氏) にて、「(注: 源氏を) なうとみ給ひそ。あやしくよそ (注: 亡くなった桐壺の更衣) へ聞こえつべきここちなむする。なめしとおぼさで、らうたくし給へ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見え給ふも似げなからずなむ」など聞こえつけ給へれば、

後に出てくる「奉る」もそうだが、「聞ゆ」の上下関係の規定性はそれほど強くはなく融通無碍に使うことができ、そこが「参る」(現代語は含まない: 「じゃあ、せっかくですからご一緒にホテルへまいりましょう」 ) や「申す」(同じく現代語は含まない) とは異なっている。そしてその融通無碍さは、明らかに作品を活気づけていると思う。言い換えると上下の秩序に必ずしもおのれ (の語り) を調和させることが出来ない存在が引き起こす波乱が物語を活気づけるのである。

時枝の論では「くださる」について理論的に考えられる「くだす」(「くださる」は「下す」に「る」がついて尊敬語化されている) は謙譲語——というより語りの対象となる素材同士が置かれた上下関係を話者が理知的に場面から認識し選択する比喩的語彙——であり、それがたとえ「くださる」になっても謙譲語の意味合いは強く残っていると考えるべきである。「のたまふ」も「言葉をくだす」という上下関係の把握という意味での「謙譲語 」の側面はなくなっていない。(尊敬語の側面を強めるとき「のたまはす」のようになる。)

※ 素材間の上位から下位にある事実が及ぶとき上位側の立場にあると「たまふ」、下位側の立場にあると「たまふる」(一人称以外にも用いられる) であり、やがて「たまふ」だけは話し手の素材への尊敬を表わす表現としても使われるようになった。「る・らる・す・さす」の添加や「お—になる・お—になられる」「—ある・—ます (例: おいである, おはします)」による尊敬語化 (話し手から素材への尊敬を表現する) はみなある種の「婉曲法」に頼るものだが、「たまふ」による (話し手から素材への) 尊敬表現だけは成立原理が異なっていると時枝は言っている。尚、素材と素材の間の表現において「たまふる」の逆が「たてまつる」であるが、「たてまつる」は上位側の立場にある場合にもそのまま用いられ、その場合は、「献上や奉仕を受ける」という意味になる。たとえば、『源氏物語』の「桐壺」にある源氏の元服の場面には、

かうぶりし給ひて、御休み所にまかで給ひて、御衣(みぞ)奉りかへて、おりて拝し奉り給ふさまに、みな人なみだ落し給ふ。

とあるが、「御衣奉りかへて」を奉仕者の側に立って「御衣をお着替えさせ申して」のようにするのは変で「御衣をお召し替えになり」と読めばよいのである。

(これ)より殺生石(せつしやうせき)(ゆく)館代(くわんだい)より馬にて送らる。此口付(このくちつき)のをのこ「短冊(たんざく)得させよ」と(こふ)。やさしき事を望侍(のぞみはべ)るものかなと、

野を橫に馬(ひき)むけよほとゝぎす

殺生石は溫泉(いでゆ)(いづ)山陰(やまかげ)にあり。石の毒氣いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、眞砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。

又、淸水(しみづ)ながるゝの柳は、蘆野(あしの)の里にありて、田の(くろ)に殘る。(この)所の郡守戶部某(こほうなにがし)の、「此柳(このやなぎ)見せばや」など、(をり)〳〵にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日(けふ)(この)柳のかげにこそ(たち)より(はべり)つれ。

田一枚(うゑ)立去(たちさ)る柳かな