メディアで名前をよく見かける紀藤正樹弁護士は靑木正兒の甥にあたるんだということをたまたま知った。最近、青空文庫にその靑木正兒が書いた『九年母』(1956) という随筆——鶴屋八幡の広報誌 「あまカラ」60 号に掲載されたもの——があるのを読んでいたら、こんな箇所があった。
さて雲丹は大人の食うものとして、われわれ子供に適したものにニイナといって、サザエに似てしかも小さな小さな貝があった。夏に家の近くの海で泳ぐ時、もぐっては石崖に付着しているこの貝を取るのが面白く、十数個もたまると持って帰って茹でてもらい、木綿針の先で、ぐるっと廻して、ほじり出しては食べる。よい加減の塩気があって磯くさく、旨いというほどでもないが、楽しいことであった。
靑木正兒の子供時代は明治のことだろう。靑木が感じた懐かしさが何十年も後の昭和にうまれた自分に伝わって、その子供時代の懐かしさに同じように共感してしまうのは不思議なことのようでもある。最近よく思うのは、コミュニケーションとか教育とかいうものが「即時性」に価値があるのだという考えがもし暗黙裡にあるなら、その前提こそ「脱構築」の対象なのかもしれないということだ。
という訳でもないが、’60 年代の映画が見たくなって山田洋次の『吹けば飛ぶよな男だが』(1968) を見た。脚本は森﨑東である。この映画で流れるメロディーに戸川純が詞をつけて歌っていることも関係したのかもしれない。緑魔子はテレビの「探偵物語」の第一話 (村川透監督、1979) にもシスター役で出演していたなあ。「吹けば」はこの年度のキネマ旬報ベストテンの 10 位に入った映画だが、そもそも山下耕作の傑作『博奕打ち・総長賭博』が同年のベストテンのどこにも入っていない同時代的評価のランキングなどあてにできる訳はないのである。