表紙の後ろ姿の裸の女性はゴダールの『カルメンという名の女』(1983) のマルーシュカ・デートメルス——蓮實重彥は彼女のことを「世界で最も美しい肉体の持ち主」と評した——だと思うが、金井美恵子の『柔らかい土をふんで』(1997) はいままで読んだことはなかった。ただ、雑誌「ルプレザンタシオン」(1992秋号) に部分掲載された「水の色」の章のところだけは読んだことがあって、そこにはどう読んだって、フローベールの『ボヴァリー夫人』でシャルルが惹かれていくエンマの髪の細部の描写をさらに徹底させた錯乱するような官能的描写があったことを覚えている。
『柔らかい土をふんで』の古本を見つけたので他の部分も読んで見ることにした。パラパラとめくってみるとその章の見出しにジャン・ルノワール、バッド・ベティカー、フリッツ・ラング、ジョン・フォードの映画の題名が使われているなあ。中でもフリッツ・ラングは、『外套と短剣』(1946)、『スカーレット・ストリート』(1945)、『ブルー・ガーディニア』(1953) と米国時代の作品が三本も使われている。「水の娘。浴みする女」という章のタイトルの「水の娘」はルノワールの監督処女作『水の娘』(1924) だが、「浴みする女」の方は、雑誌「リュミエール」で金井美恵子の「ジャン・ルノワールの映画についての覚え書」を愛読していたので、エドガー・ドガの絵画のことで、その絵はさらにルノワールの『牝犬』(1931) や『フレンチ・カンカン』(1954) につながるのだろうと想像する。なお、ラングの『スカーレット・ストリート』はルノワールの『牝犬』のリメーク作品である。章のタイトルにすらこれだけ映画の引用があるのだから本文の中にも沢山あるのだろう。
それで最初から読むことにした (普通そうすると思う)。下に挙げたのが最初の一文である。長いけれども、金田一春彦が岩波新書の『日本語』(1988) で「長いセンテンス」の例の一つとして挙げている『表層批評宣言』(1979) の冒頭の文章よりもはるかに読みやすい。途中、園まりの流行歌『逢いたくて逢いたくて』(1966) が引用されているが「あいした人はあなただけわかっているのに心の糸が結べない」の「あいした人」が「あいたい人」に変わっているのは何故なのか考えてしまった。ちなみに園まりの流行歌『逢いたくて逢いたくて』の元歌はザ・ピーナッツの『手編みの靴下』(1962) である。それとヒキガエルの卵の描写である「灰色がかったトコロテンにそっくりな半透明の紐」は、この後の章「ロング・グレイ・ライン」と結びつくのか結びつかないのかはまだわからない。いずれにしてもヒキガエルの卵は同じ文章の中でヒキガエルになっている ——「カエルのカップルは一方が死ぬともう片方がエサを食べなくなって死ぬ」 という部分はラングの『暗黒街の弾痕』(1937) からの引用で、その場面では睡蓮が咲き、カエルが鳴く池の傍でヘンリー・フォンダとシルヴィア・シドニーが語らう。冒頭の「猫」と最後の「黒トラの柄の猫」が同じ猫だという保証はどこにもないなあ。つまり時間は通常のように流れず (一文の中でさえ) 複雑に入り乱れると思って読む必要がある。
読んでわかるとおり、この文章は「水」が主題であるということを示している。大理石にまで海洋生物である三葉虫の化石が浮かんでいる。そして長方形の池の水に浮かぶ姫睡蓮と緑の葉・黄色の花がプリントされているローン地のかさかさしたサマードレスが作為的に関連づけられているので、いきなり「彼女」と表現されている「小さな湿り気をおびたパンティー」(“湿り気をおびた小さなパンティー” と読むべきだろう) を付けた女は水面に顔が映るところを見ても水の主題と結びついた「水の女」のように感じられる。
さっと読むような本ではないことがわかったので、これからゆっくり読んでいくことにした。
柔らかい土をふんで、そうでなくとももともと柔らかいあしのうらは音など滅多にたてずごく柔らかなふっくらとして丸みをおびた肉質のものが何かに触れる微かな音をたてるだけなのだが、固いコンクリートや煉瓦の上や、建物の一階分だけ正面の壁と床にチェス盤のようにだんだらに張った灰色と黒の大理石——小さな三葉虫の化石の断面が磨かれた石の表面に浮かびあがっていることを教えてくれたのは、一週間おきに日曜日ごとの午前中に清掃会社から建物の廊下と窓を掃除にくる青い色のつなぎ服 (襟のところに赤い線があって、胸に赤い色で会社の名前がローマ字で書いてあるのだが、それをわざわざ読んでみたことはない) を着たカタコトの日本語を喋る青年だったか (いつもカセットで台湾語か中国語の流行歌手の歌う歌をヴォリュームをあげてかけっぱなしにしていて、それは時々、知っているメロディーのことがあり、夕方散歩に出て気がつくとその歌を——あいたい人はあなただけわかっているのに心の糸が結べない——口ずさんだりしていることがある) それとも新聞配達の青年だったろうか——には三葉虫の形がきれいに浮かびあがっていて、夏でも冷んやりとしているのだが、固いコンクリートの上や大理石の上を歩く時には、前肢の爪を物をつかもうとする時のようにいくらか広げて伸ばし気味になるので、微かにカチカチと鳴る乾いた音、薄紫がかった中が空洞になって幾重にもキチン質の組織が重なった半透明の小さな鉤爪の尖端が固い床に触れる音をたてるのだが、今は柔らかい湿った赤土のように見える散りおちた赤茶けた松葉の混った土地の上を忍び足ではなくゆったりとして落ち着きはらった足取りでゆっくりと歩いて——湿っててザラザラしたオレンジ色の鼻孔を少しふくらませ白く光っているヒゲの先きに小さな水玉をきらめかせながら——猫がやって来るのが見え、朝日のあたっている煉瓦で周囲を敷きつめた池のはたでたちどまり、煉瓦一個の横幅分の高さの縁が、長方形の丁度畳で三畳分の大きさの姫睡蓮の葉の浮かぶ池の周囲にはあり、夏の夜になると、青白いぼうっとした生ぬるい水のような色をした棒状の誘蛾燈が池のほとりにともされるのだったが、淡い桃色の幾重にも重なった花弁は先きの方では微かに緑色がかった青味をおびて白くなり萼に近いあたりは赤紫色の筋が毛細血管のように細かに分岐し、底に泥の溜った池の水は、煉瓦敷の地面の下に埋め込まれた管で入れかえることが可能ではあったけれど、誘蛾燈では何の効力も発揮しない蚊が発生し、蚊の大群の対策のために管理人が近くの公園の日本庭園の池から、ヒキガエルの卵をビニールの袋に入れて持って来て池に放つことを思いつき、降りつづいていた雨のあがった五月のある朝、灰色がかったトコロテンにそっくりな半透明の紐のなかに褐色の豆粒が規則的に並んだ卵を持って来て、小学校の時理科の時間に、オタマジャクシのグループ観察日記というのを書かされた、町の真ン中にあった学校で、グループの班長をやっていたので、オタマジャクシを探すのにえらく苦労した、とそれを見物していた住人たちに言い、後になって、三階の三〇二号室の太った奥さんが、グループでオタマジャクシの観察日記を書いて班長をしていたって言っていたから、あの管理人さん、思ってたよりずっと年が若いのね、班長なんてさ、あたし、軍隊の、なんて言うの、ナイムハンって言うの? そういうとこの班長かと思っちゃうわよ、と言っていた、と彼女は笑いながら話したものだったが、小型の睡蓮の濃い緑色をした丸い葉の浮かぶ池の煉瓦の縁に腰をおろして——誘蛾燈のぼうっとした青白い炎が薄明るく緑色の葉と黒い水面を光らせている——素足を湿った煉瓦に載せ、松とハリエンジュと濃い桃色の夾竹桃と白い芙蓉の間を風が吹いてきて、灰緑色に塗りかえたばかりの坂道に面した庭のフェンスの鉄枠のペンキの匂いと、坂道を下って四車線の道路を越し郊外と中心部を結ぶ私鉄の線路に沿って流れている川が大雨であふれた時に川沿いの家の庭や床下や道路に残していった川底の腐敗した泥の臭気が混じりあい、池の水からも生ぐさい金魚の鱗から出る分泌液のような匂いがするのだったが、白い極く薄い麻のローン地に小さな黄色い花——キンポウゲ、レンギョウ、ヤマブキ、ツワブキ、ミモザ、どれだったろうか——と緑色の葉のプリントの肩と腕と胸の見えるウェストのところでたっぷりギャザーの寄ったサマー・ドレス——肩に細いストラップが三本 (間にプリントの葉の緑色をはさんで小花と同じ黄色のストラップが二本) ずつ付いていて、深く刳った背の部分と、ナイロンで裏打ちしたラバーのブラジャーのカップがワンピースと一体になっている前身頃をつなげている——を彼女は着ていて、少し身体を動かすたびに薄い麻の布地はかさかさしてくぐもった衣ずれの音をたて、そのサマー・ドレスはファスナーが背中に付いているのではなく、左の脇の下からウェストの一番細い部分で一度途切れて小さな銀色の針金で出来た二個のホック留めになり、さらに腰の方からウェストに向けて下から上に引き上げる仕組みのファスナーが付いているものだから、それを脱がせようとするたびに——彼女はその黄色い小花模様のローン地のサマー・ドレスの下に小さな湿り気をおびたパンティーしか付けてはいないのに——ちょっとした混乱がおき、細いストラップが身頃に縫い付けられている部分の糸がほつれ、かさかさした大量の布地のスカートと、スカートの裏地を持ち上げて頭から脱ぐ時に、後にかきあげた髪の毛を耳の上でとめた小さな金色の音符形の飾り付きのヘアーピンが落ち、ブラッシングしたウェーブのある髪がもつれてファスナーにからみついたりもするし、いやな服なのだが、青白い光を反射する水面に彼女の青白い顔が映り、庭のくさむらにひそんでいたヒキガエルが二匹煉瓦を敷きつめた池のはたに軽くジャンプしてあらわれ、そのままじっとしているのを見ながら、カエルのカップルは一方が死ぬともう片方がエサを食べなくなって死んでしまうんだって話を聞いたことがあるけれど、どこでだったのだろうか、と言い、私は微かに声をたてて笑い、黒トラの柄の猫は池の煉瓦の縁に軽くとびのって首を長く伸ばし、桃色のしなやかにしなう舌で水面を鞭打つようにして水を舐めはじめる。