一、ここにあつめた四篇は、それぞれ獨立の作品であるが、いづれも作者の國史趣味乃至和文趣味を反映してゐると云ふ點で、何處かに共通した匂ひがある。作者は今後もかう云ふものを書くかも知れないが、さしあたり、引きつづいて此の方面へ進んで行かうとは考へてゐないので、取り敢へず此れだけを一冊に纏めてみた。
一、作者が昔文壇へ出た時の處女作は、榮花物語から材を取つた「誕生」と云ふ戲曲であつた。左樣に作者の國史國文趣味は古くからのことであり、處女作以後にもその傾向を代表する作品が少なくない。しかし此處に集めたやうなものが出來たのは、去る大正十二年以來近畿の地に移り住んで古典に由緣ある風土や建築や音樂の影響を受け、容貌言語習慣等に今も往々數百年來の傳統をとどめてゐる土地の人々との接觸に依つて、ひとしほ作者の持ち前の趣味が培養された結果である。さう云ふ意味で、これらの作品は關西に於けるいろいろな交友、旅行、遠足、遊宴などの思ひ出と結び着き、作者に取つてなつかしいものばかりである。就中「吉野葛」を書くに就いては、大阪の妹尾健太郞氏、大和上市の樋口氏、飯貝村の尾上氏、吉野櫻花壇の辰巳氏等の好意と配慮とを煩はしたところが頗る多い。
一、此の書の裝幀は作者自身の好みに成るものだが、函、表紙、見返し、扉、中扉等の紙は、悉く「吉野葛」の中に出て來る大和の國栖村の手ずきの紙を用ゐた。此れは專ら樋口喜三氏の斡旋に依るのである。
一、口繪のコロタイプは、北野恒富畵伯筆「茶茶」の畵面の一部である。此れは嘗て院展に出品されたことのある名高い繪で、元來縱に細長い構圖であるが、此の書の形態上その全畵面を載せることが出來ず、畵伯の許可を得て人物の居ない上半部を切り去ることにした。今此の繪は大阪の根津淸太郞氏の藏幅になってゐる。作者は此れが「盲目物語」の口繪として甚だ適當であることを思ひ、日頃懇意な間柄の恒富氏並びに根津氏に乞うて、幸ひに卷頭を飾ることを得た。
一、函、表紙、扉、中扉等の題字は根津夫人の染筆である。聞くところに依ると、恒富氏は茶茶の顏を描くのに根津夫人の容貌を參考にしたと云ふ。そんな因緣があるのと、夫人の假名書きが麗しいのとで、特に揮毫をお願ひした。
一、尙此の他に、大阪の菊原檢校高野山の梶原凉風氏等の名前も逸し難い。作者はそれらの人々の友情や刺戟のお蔭で斯う云ふ本が出來たことを深く感謝する次第である。
昭和かのとひつじの歲十二月
倚松庵に於いて
作者しるす
作者しるす
本文目次 | |
盲目物語 | 一丁 |
吉野葛 | 百十一丁 |
紀伊ノ國ノ狐凴ク㆓漆搔キニ㆒語 | 百六十七丁 |
覺海上人天狗になる事 | 百八十一丁 |
挿繪目次 | |
九里道柳子筆三絃甲所の圖 | 八十七丁 |
同 箏名所の圖 | 百五十五丁 |
以上 |