ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

柔らかい土をふんで (6)

終わらない小説なのでいつまでも読んでいられるなあ。どうして読み終えたらよいのだろうか。描写の味わいはトリュフォーの『恋愛日記』 (1977) のキャメラであるネストール・アルメンドロスのようだと感じたが、トリュフォーの映画は ’80 年代に見たきりで、その後ほとんど見直していないので単なる印象である。思えば、’80 年代の東京の映画環境でもトリュフォーの映画は比較的よく名画座等 (たとえば、文芸座、銀座ロキシー、飯田橋佳作座、八重洲スター座、高田馬場パール座、日仏学院、アテネフランセ) で上映されており、1982 年には渋谷で特集上映もあって見ることが比較的容易だった。これは ’80 年代の東京が誇ってよいことだろう。

「ブルー・ガーディニア」の章は、ラングの『ブルー・ガーディニア』からの引用というよりも、この小説の中で官能的に反復されるクチナシ (gardenia) の花とその香りからの素直な連想であろう。ラングの映画の中では、レストランで盲目の老女がテーブルに売りにきた八重咲きのクチナシの花を、アン・バクスターがタフタ地の黒っぽいドレスの胸元にピンで留めるシーンがある。(そのクチナシの花は男ともみあったときに床へ落ちることになる。)

『牝犬』と『スカーレット・ストリート』の細部の違いが混淆しているのが興味深い。 混淆しているだけでなく、モノクロ映画に色彩がつけられていたり、創作されている部分もある。「ラフィット・ヤーンを鉤針で編んだ白と黒が標的のように丸く重なっているバッグ」を持って「灰色の半透明に光っているビニール製のレインコート」を着ているのは、『スカーレット・ストリート』のジョーン・ベネットの方である。女を殺害する凶器として「ペーパー・ナイフ」が使われるのは『牝犬』の方で『スカーレット・ストリート』の方はアイス・ピック(クラッカー) である。それにしても、ジョーン・ベネットとエドワード・G・ロビンソンが一緒にラム・コリンズを飲む場面は改めて見て素晴らしいと思った。下の写真は左からフリッツ・ラング、ジョーン・ベネット、トラヴィス・バントン (服飾デザイン) である。なお、この小説に出てくるジョージ・キューカーの『椿姫』(1936) で「マルグリット・ゴーチェに扮したグレタ・ガルボ」が身につけている衣装はエイドリアンによるものだ。

『スカーレット・ストリート』と同系の『飾窓の女』(1944) からの引用は認めにくいが、強いていえば、最後の方のエドワード・G・ロビンソンが自殺をはかる場面でコップの水に粉薬を入れて飲むところだろうか。この小説で「私」は頭痛と乾きを覚えて鎮痛剤と水を飲む場面がよく出てくる。