前回の記事で『黄色いリボン』が出てきた必然として、黄色の帯に「それはジョン・フォードにはじまる」とあって『黄色いリボン』のジョン・ウェインとジョーン・ドルーのスティル写真がある金井美恵子の『映画、柔らかい肌』(1983) に行き着いたのであるが、この『映画、柔らかい肌』を読んでみると、『柔らかい土をふんで』の映画の引用がもう少し分かるようになってきた。金井は『黄色いリボン』についてこう書いている。
ジョン・フォードの作品のなかで、この『黄色いリボン』が特に好きなのは、これが記憶のなかの最古の映画であるというばかりではなく、無数のラスト・シーンと無数のファースト・シーンを持つことによって、この映画が夢想的ですらあるからだ。
個人的に忘れ難いベルナルド・ベルトリッチの『ルナ』(1979) は、1980 年の 4 月に「みゆき座」で見たことも、撮影がヴィットリオ・ストラーロであったことも覚えているが、その『ルナ』の金井評に
月とは、いつでもだしぬけに空にかかるもの。定期的に繰り返されているのにもかかわらず、ある唐突さでシューシュー音をたてながら上昇して、空に吊される、《記憶》だ。それも決して忘れられてはならない《記憶》。
とある。「水蜜桃のような月が、シューシュー音をたててのぼりはじめ」というところは、『ルナ』にも関係しているわけだ。そうすると、その前に出てくる自転車に乗ったショート・パンツの若い女——まさか、ジル・クレイバーグではあるまい——は誰なのか詮索したくなるが、「ショート・パンツといえば今でもシルヴァーナ・マンガーノ」と山田宏一との対談で金井は言っているので、自転車をこいで坂道を上り、途中で額の汗をぬぐうのはきっとシルヴァーナ・マンガーノなのだ!ジュゼッペ・デ・サンティスの『にがい米』(1949) はモノクロ映画だが、色をつけると「淡いカバ色の脚」というのも、あの視線の外し方もピッタリのような気がする。『にがい米』は、すさまじい雨、用水路の流れ、田に漲られた水など、様々な水の表情の描写があってそれぞれ素晴らしいのだが、それにも増して素晴らしいのは、「米」そのものが水の流れのように見えたり、砂丘のように見えたりする演出がある点である。
それから「柔らかい土をふんで」というのは埋葬シーンで始まり埋葬シーンで終わり、しかも作品が雨で湿っているマンキウィッツの『裸足の伯爵夫人』(1954) も関係しているなあ。主演はもちろんエヴァ・ガードナーである。