ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

柔らかい土をふんで (7)

小説の中で二回ほど出てくる曲『ブルー・ムーン』が、ビクトル・エリセの『エル・スール』(1983) の中で使われているクリップがあった。この小説は、’80 年代くらいに見て記憶が薄れてしまっている映画のことをあれこれ思いださせてくれる。

それで、ビクトル・エリセに蓮實重彥がインタビューした文章を読んでいたら『ブルー・ムーン』のことが書かれていた。そうか、ダグラス・サークの “There's Always Tomorrow” (1956) に主題歌として使われていたんだ。「むろん私はその曲で彼女と踊ったこともなかったし」と小説にはあるが、この映画ではバーバラ・スタンウィックとフレッド・マクマレイが『ブルー・ムーン』で踊っていたと思う。


すでに書いたが、この小説の中で一番すごいなあと思うのは、『ボヴァリー夫人』の次の描写、

髪は頭の真ん中で分けられて、分け目の細い筋は頭蓋の曲線に沿って軽く窪んでいる、左右に流れる黒髪はとてもなめらかなので、それぞれがひと続きのようで、耳たぶをわずかに見せながら、こめかみの方へ波打ち、後ろへいってひとつになりたっぷりとしたシニヨンに束ねている。この田舎医師は、そんな髪を生まれてはじめてそこで目にした。

別れの挨拶は済んでいて、もう話さなかった。強い風が彼女を包んで、頸の短いほつれ毛を乱雑に煽り、腰のところでエプロンの紐を揺さぶって吹き流しのようによじらせていた。

を以下のように書いているところだ。金井流だとほつれ毛は風に煽られるのではなく、湿ってはりついたり、指にからみつくのである。

ウエーヴのかかった量の多い髪を真ン中からわけ耳が少し隠れるようにして後でまとめているのだが、額やこめかみのあたりに生際のウエーヴのかかった髪が短かすぎてとめきれずに少し乱れて額に滲んだ汗に濡れてはりつき、髪のわけ目は額の中央から格好のよい丸味で後頭部のふくらみにつながっている頭頂部の白い皮膚を真っすぐに見せていて、後でまとめている髪は太い三つ編みにゆるく編まれてからくるくると巻き貝のようにこんもりと丸め何本ものヘアピンで留めてあり、ヘアーピンはU字型の二本の棒を長くひき伸ばした形のごく細かくねじられた凹凸のある紫色がかった鈍い光沢の黒い針金でできていて、髪をとかずに枕やシーツに押しつけられると、それほど鋭くはないヘアーピンの先きが頭皮かうなじに突きささって——血が出るほどではないのだが——小さな悲鳴をあげ、髪をほどいてくれるようにと彼女は言う。ヘアーピンは柔らかな弾力のある針金でできていてこんもりと後頭部とうなじにかかって盛りあがった髪のなかから何本も何本も抜きとらなければならないので苛立たしくなってしまうし、紫色がかった黒い鈍い光沢のあるコーティングをしたヘアーピンは髪の重い束のなかに埋れていて乱暴に引きぬくとそこにからみついている髪の毛を一緒に引っぱることになり汗で微かに湿っている細い髪の一筋が今度は指にからみついて(以下略)