ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

柔らかい土をふんで (5)

『映画、柔らかい肌』でサム・ペキンパーの映画の話を山田宏一としているところを読んでいたら「老保安官のジョエル・マクリーが老眼鏡を使って手配書だか契約書をこっそり読むところなんか、嫌味じゃなくて、いいのよね」というところがあってわかったのだが、『柔らかい土をふんで』の「ホリゾンズ・ウェスト」の章で「初老の保安官は、殺人犯の手配書を見るためにジャケットの内ポケットに入っている鉄縁の老眼鏡を取り出してかけなくてはならず」というところは、『黄色いリボン』のジョン・ウェインというよりも、『昼下りの決斗』(1962) の最初の方で金を輸送する仕事の契約書をジョエル・マクリーがトイレで読む場面の引用なんだとわかった。それでサム・ペキンパーの映画が見たくなって『砂漠の流れ者』(1970) をみた。この作品はまさに「水」が主題の映画である。そういえば、ペキンパーの映画の「契約」と「水」の深い関係が『映像の詩学』(1979) で論じられていたなあ。『映像の詩学』のサム・ペキンパーのところを読み直してみると、ジョエル・マクリーが老眼鏡をかけるところがやはり出てくる。

金井が後書きに書いているように、プルーストの『失われた時を求めて』の「逃げさる女 (消えさったアルベルチーヌ)」(1925) は引用というよりも『柔らかい土をふんで』という小説のモデルであるが、「スカーレット・ストリート」の章にある「カサカサした連続音を時々たち切って i の頭の点や t の横棒を書き加える短い音が耳にとどき」というところは、「逃げさる女」からの引用といってよいかもしれない。尚、プルーストの小説の「私」がアルベルチーヌのために購入しようとしたヨットの名前は「白鳥」である。