ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

主題論的批評


最近は、蓮實重彦の批評スタイルを「主題論的批評」と呼ぶことにする申し合わせがどこかでなされたのか、ネットでよく目にする。

しかし、そこで語られる「主題論的批評」は昔よく使われていた「表層批評」とほとんど変わり映えしていない。

「主題論的批評」とはなにか。平たく言えば、画面に映るものだけを考察の対象とみなし、画面の細部へと、徹底的に目を凝らして発見を得る批評だ。

とにかく、この手のレッテル貼りをまたぞろ目にするのだ。肯定したり批判したりする前に、そもそも蓮實さんの批評はここで要約されているような「主題論的批評」なのだろうか。そうすると、最近記事で取り上げたロラン・バルトの『イメージの修辞学』も「主題論的批評」だし、ミッシェル・フーコーが『言葉と物』の第 1 章「侍女たち」でスペインの画家、ディエゴ・ベラスケスの「侍女たち (ラス・メニーナス)」について書いた名高い記述も「主題論的批評」ということになるらしい。前者は一枚の写真、後者は一枚の絵画に「徹底的に目を凝らして」いるではないか。後の文脈を読むと、エヴィデンスにもとづく無邪気な実証主義も「主題論的批評」に含まれてしまうような気がする。

「群像」の最新号 (2019 年 9 月号) に寄せている随筆 『貴女のためなら何でもするぞとまたしても口にしそうだ』には、合衆国の女子サッカー選手であるメガン・ラピーノ嬢が 2011 年のワールドカップ決勝戦の後半 20 分を過ぎたころ、自陣深くでボールを拾い、そのボールを思い切りよく蹴り出してロングパスを決め、それが前線のアレックス・モーガン嬢への見事なアシストとなってゴールが決まった瞬間にひたすら痺れ、「貴女のためなら何でもするぞ」と思ったと書かれているが、蓮實さんの批評の魅力とは、まさにこの「ロングボール」のことではないだろうか。


言葉と物―人文科学の考古学

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群像 2019年 09 月号 [雑誌]

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