ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

おもしろい (8)

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『三四郎』の演芸会の場面では、シェークスピアの『ハムレット』が上演されているわけだが、その演芸会が終わって三四郎が下宿に帰った夜の出来事が次のように書かれている。

 

夜半から降り出した。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる低徊した。

ここでも水の主題は有効であるが、重要なのは美禰子がオフェリヤに喩えられ、三四郎は美禰子に対する罪の意識に苦しんでいるということである。夏目漱石の『草枕』は、『三四郎』と同様に「水の主題」という点で非常に密接なつながりをもっている作品であり、そこではすでにミレーが描いた「オフェリア」が登場する。このミレーという画家、ミレーはミレーでも『落ち穂拾い』や『種まく人』を描いたミレーとはまったくの別人で、そもそも英国人である。漱石は英国に留学していた折、この絵を実際に観ているといわれている。なお、オフェリアは、『草枕』の中では『三四郎』と同じように「オフェリヤ」と表記されている。

 

思い出すために『草枕』の冒頭を簡単に書くと、画工(絵描き)である主人公が、山路を登って、那古井(なこい)の温泉場に向かっていると、雨にうたれる。雨に濡れた画工が茶店に入るとそこに婆さんがいて、立ち寄った馬子との立ち話の中で、那古井(なこい)の温泉宿のお嬢さん(那美さん)が、お嫁入りのときにこの茶店に立ち寄ったという話しがでる。オフェリヤが唐突に出てくるのはこのときである。

不思議な事には衣装(いしょう)も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影(おもかげ)が忽然(こつぜん)と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった


ここで、茶店の婆さんは、村に伝わる「長良の乙女」の話しを始め、那美さんは「長良の乙女」に似ているという。

「嬢様と長良(ながら)の乙女(おとめ)とはよく似ております」

「顔がかい」

「いいえ。身の成り行きがで御座んす」

「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」

「昔(むか)しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者(ちょうじゃ)の娘が御座りましたそうな」

「へえ」

「ところがその娘に二人の男が一度に懸想(けそう)して、あなた」

「なるほど」

「ささだ男に靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩(わずら)ったが、どちらへも靡 きかねて、とうとう

 

あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも

 

と云う歌を咏(よ)んで、淵川(ふちかわ)へ身を投げて果(は)てました」

 川に身を投げた「長良の乙女」に「那美さん」が似ているということで、那美さんは、オフェリヤと決定的に関連づけられる。こうして『草枕』は、オフェリヤに見立てられた那美さんを通じて物語られることになる。しかし、『草枕』まではここでは触れないが、水の女=那美さんの裸体の描写だけは挙げておく。

頸筋(くびすじ)を軽(かろ)く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分(わか)れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑(なめ)らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢(いきおい)を後(うし)ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾(かたむ)く。逆(ぎゃく)に受くる膝頭(ひざがしら)のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵(かかと)につく頃、平(ひら)たき足が、すべての葛藤(かっとう)を、二枚の蹠(あしのうら)に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑(さくざつ)した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔(やわ)らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪郭は決して見出せぬ。

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ところでアルチュール・ランボーも「オフェリア」という題名の詩を 15 歳のとき書いている。どうして 15 歳でこんな詩が書けるのか、凡庸な自分の理解の及ぶところではないが、以下に意訳だけしておく。

 

Arthur Rimbaud

Ophélie

 

オフェリア

 

I

Sur l'onde calme et noire où dorment les étoiles
La blanche Ophélia flotte comme un grand lys,
Flotte très lentement, couchée en ses longs voiles...
- On entend dans les bois lointains des hallalis.


静かな黒い水面に星が眠っている

そこに白いオフェリアが浮かんでいる
大輪の百合のように

ゆっくりと流れていく
長いヴェールに横たわって

遠くの森から聞こえる
狩の終わりの合図の音が


Voici plus de mille ans que la triste Ophélie
Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir
Voici plus de mille ans que sa douce folie
Murmure sa romance à la brise du soir.


もう千年以上になる
痛ましいオフェリアが
白い亡霊となって
黒い長い川を流れてから

もう千年以上になる
痛ましいオフェリアが
やさしい狂気となり
夕暮れのそよ風に恋を囁いてから


Le vent baise ses seins et déploie en corolle
Ses grands voiles bercés mollement par les eaux ;
Les saules frissonnants pleurent sur son épaule,
Sur son grand front rêveur s'inclinent les roseaux.


風は彼女の乳房に接吻し
水にゆらゆらと揺すられている
大きなヴェールを花冠のように開く

ふるえる柳は彼女の肩に涙を落とし
彼女の夢みる大きな額に
葦はその身を傾ける


Les nénuphars froissés soupirent autour d'elle ;
Elle éveille parfois, dans un aune qui dort,
Quelque nid, d'où s'échappe un petit frisson d'aile :
- Un chant mystérieux tombe des astres d'or.


押しゆがめられた睡蓮は
彼女のまわりでため息をつく

彼女はときおり目覚めさせる
眠っている榛(はん)の木の鳥の巣を
そこから小さな羽音が漏れてくる

金の星々から神秘の歌がおりてくる


II

O pâle Ophélia ! belle comme la neige !
Oui tu mourus, enfant, par un fleuve emporté !
C'est que les vents tombant des grand monts de Norwège
T'avaient parlé tout bas de l'âpre liberté ;


蒼ざめたオフェリアよ!
雪のように美しい!

そう、きみは死んでしまった
幼き人よ
川の流れが連れさった!

それは、きみにそっと
ノルウェーの高嶺颪(おろし)が
苦々しい自由を語ったからだ


C'est qu'un souffle, tordant ta grande chevelure,
À ton esprit rêveur portait d'étranges bruits,
Que ton coeur écoutait le chant de la Nature
Dans les plaintes de l'arbre et les soupirs des nuits ;

 

それは、一陣の風が
豊かな髪をなびかせながら
夢見がちのきみの精神に
奇妙なざわめきを伝えたからだ

それは、きみのこころが
樹の嘆き、夜のため息のうちに
自然の歌声を聞きとったからだ

 

C'est que la voix des mers folles, immense râle,
Brisait ton sein d'enfant, trop humain et trop doux ;
C'est qu'un matin d'avril, un beau cavalier pâle,
Un pauvre fou, s'assit muet à tes genoux !


それは、途方もない
あえぎにも似た狂える潮の音が
とても情け篤く、とても物静かな
幼いきみの胸を傷つけたからだ

それは、ある四月の朝
一人の美しい蒼ざめた騎士、憐れな狂者が
無言のまま、きみの膝に座ったからだ


Ciel ! Amour ! Liberté ! Quel rêve, ô pauvre Folle !
Tu te fondais à lui comme une neige au feu :
Tes grandes visions étranglaient ta parole
- Et l'Infini terrible éffara ton oeil bleu !


天国!愛!自由!
おお、なんという夢をみたのだ
この憐れな狂女は!
雪が火に溶けるように
きみはその夢に溶けてしまった

きみの壮大な幻影は
きみが語ることを
締めつけてしまった

そして恐ろしい無限が
きみの青い瞳を怯えさせたのだ!


III

- Et le Poète dit qu'aux rayons des étoiles
Tu viens chercher, la nuit, les fleurs que tu cueillis ;
Et qu'il a vu sur l'eau, couchée en ses longs voiles,
La blanche Ophélia flotter, comme un grand lys.


さて、かの詩人が語るには
きみは、星の光をたよりに
夜ごと自分の摘んだ花々を
探しにやってくると

また、彼は見た
水の上、長いヴェールに横たわり
白いオフェリアが浮かんでいるのを
大輪の百合のように

 

 

オフェリア

 

1

天の星が波のない黒々とした夜の水面に映っている

 

その黒々とした水の上を、大きな白百合と見間違うような

 

純白の衣装に身を包んだオフェリアが流れていく

 

頭にかぶった長いヴェールの上に横たわるようにして静かに静かに流れていく

 

遠いかなたの森の方からは、鹿を追い詰める狩りの笛がきこえてくる

 

そんな鹿のように、昔昔、狂ったオフェリアは

 

自然から聞こえてくる声に追い詰められたのだった

 

純白のオフェリアが黒くて長い川を悲しそうに流されてからもう千年以上の時が流れてしまった

 

恋に狂ってしまった姫が恋の歌を静かに唄うのが、岸の夕べのそよ風に揺れるようにきれぎれに聞こえてから、もう千年以上の時が流れてしまった

 

夕方の川風が、もて遊ぶように静かに横たわる彼女の乳房にキスし、水に浮かんで拡がっている彼女のヴェールをはためかせる

 

彼女のあらわなそのなで肩をみて、岸の柳は涙を流し、芦の葉は夢見がちだった彼女のその額をいたわるかのようにしなだれている

 

彼女のまわりに浮かぶ水面の睡蓮は、憂いにみちてため息をつき

 

岸辺の木に巣をつくって眠りについていた小鳥たちは、彼女のことを悼んで静かに羽ばたきをする

 

空に輝く金の星までも、その神秘な輝きを涙するかのように曇らせている。

 

2

ああ、青白い顔のオフェリヤよ、まるで美しい淡雪がはかなく溶けてしまうように、花の乙女は亡くなってしまい水に運ばれしまった!

 

デンマーク生まれの彼女は、行ったことのないノルウェーの山からおりてくる風にあこがれるかのように、去っていってしまった

 

夢みがちなあなたのおくれ毛をなぶるかのような風に誘われるようにして、あなたは去っていってしまった

 

樹樹のざわめき、夜の静寂の物音、そんな自然の音を誰かの誘い声だと狂ったあなたは聞いて去っていってしまった

 

あえぎ声に似た暗い海の声が、温かく静かだったあなたの心を傷つけてしまった

 

そして、そもそもは、四月のある日に、あの青白い顔をした、狂った美貌の騎士、ハムレットが無言のまま、あなたの膝の上に座ったのがそもそもの始まりだった

 

ああ、天国とか、恋だとか、自由とか、この狂った女は、なんという夢をみたのだろう

 

淡雪のようなあなたは、その夢によりかかり、その熱で溶かされてしまった

 

その夢がうむ幻影は、あなたの言葉を奪ってしまった

 

その果てしない夢の過酷さは、あなたの水色の瞳から光を奪ってしまった

 

3

千年の前のことだといっても、詩人である私には、星の輝く夜な夜なに、昔摘んだ花を探すように、あなたがやって来るのがわかる

 

そして、大きな百合と見間違うような、純白の衣装に身をつつんだあなたが、長きヴェールの上に横たわって水の上を流れていくのがまざまざと見えるのだ