ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

古論理

前回、シルヴァーノ・アリエティの『創造力 原初からの統合』を図書館で借りて拾い読みしたと書いたが、それは、彼が「古論理」とか「パレオ・ロジック」とか「フォン・ドレマスの原理」とか呼ぶものに少し興味があったからである。ちなみに、フォン・ドレマスは精神医学者で、スキゾフレニー (統合失調症) の患者にこの種の論理が特徴的にみられることを指摘した。

「古論理」の例は、「私は処女である。」「聖母マリアは処女である。」という二つの前提から、「私は聖母マリアである。」と結論するような場合で、もちろん、通常の論理 (アリストテレス論理) の枠組では誤謬とされる。この「古論理」では述語がどれかひとつでも一致すれば、主語は同一化されてしまうという性質をもっており、通常の論理と違って極めて制約が緩く、アリエティは「創造力」に密接に関わる論理ではないかというのである。なお、「古論理」は誤謬であるかもしれないが、

S は P1, P2, P3, … である。
T は P1, P2, P3, … である。

と 主語 S と T において一致する述語が、P1, P2, P3, … と、どんどん増加していけば、S = Tである蓋然性はだんだん高くなっていくことはいえる。

「S は P である。」「T は P である。」が二つ成り立つならば、S と T は P において類似しているということは言えるから、「古論理」というのはある点で類似しているものを同一化して S=T としてしまう論理であるということができるだろう。

蓮實重彥の「主題論的批評」は、人間の無意識が従うこの「古論理」とどこか通じあっているような気がする。これを大著『「ボヴァリー夫人」論』の中でも非常に好きである「塵埃と頭髪」の章の一部分をあげながら説明してみる。

シャルルがエンマと最初に出逢うときに、シャルルはエンマの髪に注目する。

首は白い折襟(おりえり)から出ていた。髪は頭の真ん中で分けられて、分け目の細い筋は頭蓋の曲線に沿って軽く窪んでいる。左右に流れる黒髪はとてもなめらかで、それぞれがひと続きのようで、耳たぶをわずかに見せながら、こめかみにかけて波打ち、後ろへいってひとつになりたっぷりとしたシニョンに束ねてあった。こめかみのウェーブなど、この田舎医師は、生まれてはじめてそこで目にした。

この肖像画のように記述されている、エンマの乱れをしらぬ黒髪が、作品を通してどのように乱れていき、シニョンも崩れていくかを追っていくことは、貴重な読書体験のひとつであると思うが、その予兆として、次のような記述がある。

彼女はいつも玄関の一番下の段まで彼を見送るのだった。彼の馬がまだ連れてこられていないと、彼女はそこに残っていた。別れの挨拶は済んでいて、もう話さなかった。強い風が彼女を包んで、項(うなじ)の短いほつれ毛を乱雑に煽り、腰のところでエプロンの紐を揺さぶって吹き流しのようによじらせていた。

蓮實さんはこう書いている。

このとき見落としてならないのは、初めて会った日のともすれば肖像画の不動性におさまりがちな整った黒髪の描写とは異なり、ここでの描写が対象の総体からはこぼれ落ちかねない「ほつれ毛」という非中心的な細部を対象としており、しかも (中略) 視線の周辺化をうながすものが大気の流れとだということである。

つまり、最初の段階では、シャルルは田舎育ちの自分の見たことがないエンマの髪型を見てどぎまぎしたかも知れないが、それは新規なファッションへの興味といった側面においてである。二度目の「ほつれ毛」のときは、シャルルは明らかにエンマに強く惹かれているが、そこでは黒髪全体の描写ではなく、むしろ周辺的な「ほつれ毛」が風に煽られるという細部にシャルルの眼が釘付けになっているかのように描写されていることが重要なのである。

次は、『ボヴァリー夫人』の中でも最も美しいところのひとつなので長めに引用する。

ある日、彼は三時ごろ着いた。みな野良にいた。台所に入ったが、最初はエンマに少しも気づかなかった。窓の庇は閉められていた。桟(さん)の隙間から陽射しが何本も差しこんで石畳の上に細長い光線を伸ばし、家具の角のところで砕け、天井でゆらめいていた。蠅がテーブルの上に出されていたコップをつたいあがり、底に残ったりんご酒に溺れてぶんぶんといっていた。暖炉から陽光が下りていて、鋳物のプレートに付いた煤にビロードのような光沢を帯びさせ、冷めた灰を微(かす)かに青く光らせていた。窓と暖炉のあいだで、エンマは縫い物をしていた。スカーフすらつけておらず、露わな肩にはこまかな汗の玉が見えていた。田舎の流儀にしたがって、彼女はなにかお飲みにならないと勧めた。彼は断ったが、彼女はきかず、最後は笑みをたたえながら、リキュールを一杯だけお相伴しますことよと彼に申しでた。それから彼女は戸棚にキュラソーの瓶を取りに行って、小さなグラスを二つ取りだし、ひとつは縁までいっぱいに注ぎ、もうひとつはもうしわけ程度注いで、グラスを触れあわせてから、口に運んだ。グラスはほとんど空だったので、彼女は身をそっくり返して飲んだ。そして頭をそらし、唇を突きだし、首をのばしてもなにも感じられないことに笑いながら、舌の先を美しい歯並のあいだから出して、グラスの底をちろちろ舐めた。彼女は再び腰をおろして、縫い物をまた始めた。白木綿の長靴下を繕っているのだった。彼女はうつむいて働いていた。彼女は黙っていた。シャルルもまた黙っていた。扉の下から入ってくる風が、石畳みの上にわずかな埃を立てていた。彼はそれが移動していくのを見ていた。彼に聞こえていたのは、こめかみが脈打つ音と、遠くの庭先で卵を産む雌鶏の鳴き声だけだった。エンマは、ときどき両の手のひらを当てて頬を冷まし、それがすむとその手のひらを大きなたきぎ台の鉄の頭で冷やすのだった。

上の引用の「扉の下から入ってくる風が、石畳みの上にわずかな埃を立てていた」という文をある批評家は気にとめることもなしに無視し、ある批評家はこの埃は「永遠の空しさの象徴」であるなどと、この充実しきった場面に対して信じられない指摘をしている。そうなってしまったのは「主題論的な思考」が欠落しているからと蓮實さんは書いている。つまり、この文章の「繊細な感性」を受け止めるには、目の前の文章を読んでいただけでは駄目で、それに類似していることが他の場所で生起していないかを検討することが必要である。その検討なしに、もし何かを断言しようとしてしまえば、『旧訳聖書』を起源とする西欧の伝統に従って「塵埃」は人間の「虚しさ」や「虚栄」の象徴であるという一般的なイメージにもとづいて断定するしかなくなってしまう。したがって「わずかな埃」と「短いほつれ毛」を類似させてしまう「主題論的思考」が必要なのだが、その類似は両者が「大気の流れで乱れ動くもの」であるという古論理にもとづいた対応づけでなされていることに注意したい。

同じような「塵埃」と「頭髪」の類似が、薬屋オメーの見習いであるジュスタンの記述にも認められる。

そう言うがいなや、彼はマントルピースに手をのばしてエンマの靴をとった。その靴は泥に、逢い引きの泥にすっかりまみれていた。指が触れると泥は散り散りに粉となり、彼はそれが一条の日差しを浴びながら静かに舞いのぼるのをじっと見ていた。

彼は子供たちといっしょに上の部屋へあがって、扉のわきに立ったまま、じっと動かず黙っていた。ボヴァリー夫人は、それを気にもとめないで身じたくにかかることがよくあった。彼女は、まず櫛を抜いて頭をさっとひと振りするのだった。その髪全体が漆黒の巻毛をくりのべて膝の裏まで垂れおちるのを、このあわれな小僧がはじめて目にしたとき、突然なにか新しい尋常ならざる世界に入ったようで、その眩い美しさに戦慄したのだった。

こうしてみると、頭髪と塵埃の類似は、「表面を離れて動くもの」ということなのかもしれない。

シャルルの死。そこでは、まるでシャルルという存在の中身が散り散りと塵埃になって大気に拡散し溶け込み、空っぽになってしまったかのような描写となっており、その手には動かなくなったエンマの黒髪を握っていることで、その類似が決定的な結末を導いてしまったことにいい知れない戦慄を覚える。

翌日、シャルルは青葉棚のベンチへ行って腰をおろした。陽光が格子の間から射しこんでいた。葡萄の葉は砂の上に影を描き、ジャスミンは芳香をはなち、空は青く、咲きほこる百合のまわりでハンミョウは羽音をたてていた。そしてシャルルは、まるで青年のように、つかみどころのない恋の高まりに切ない胸が張り裂けそうで息が苦しかった。七時になると、午後のあいだずっと父親の姿を見ていなかった娘のベルトが夕食に呼びにきた。父親は仰向けに頭を壁にもたせかけ、眼を閉じ、口を開け、そして両手に長いひとふさの黒髪を握っていた。「お父さま、いらっしゃいな ! 」娘は言った。そして、父親がふざけているのだと思って、娘はそっと突いた。彼は地面に倒れた。死んでいた。三十六時間後、薬剤師の求めに応じて、カニヴェ先生が駆けつけた。死体を開いたが、なにも見つからなかった。