ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

情報の貧困

インターネットにはありとあらゆる情報があるというのは、もちろん嘘だと思う。「情報の洪水」などという言葉は幻想である。こと映画に限ってみても、作品の題名を検索すると往々にして一番上位にでてくる Wikipedia の記事をあまり気乗りはしないが読んで感じることは、まことしやかに何かを書いてはいるものの、結局は事態の検証に欠けた二次的なデータを大量にこれ見よがしに流通させているだけだということで、そのことに暗澹たる気持ちにさせられる。ネットの検索結果というものに多くの人が依存するようになってしまっているにもかかわらず、その優秀な検索アルゴリズムとやらが優先的に提示する括弧付きの情報は、いささかも本格的ではなくしばしば紛い物に近いということは、大きな文化的不幸である。優秀な検索アルゴリズムには申し訳ないが、「本格的な情報」がいったい何処にあるのか、それを見つけ出すためにいつも四苦八苦しており、日毎に大量に増え続ける二次的情報はその努力を困難なものにしている。

そんな愚にもつかないことを考えたのは、Wikipedia に「上海リル」の項がいつのまにか作成されていたからで、これには少しうれしくなって、履歴をみると、2018 年 7 月頃に初版作成となっている。

上海リル - Wikipedia

その一年ほど前の 2017 年に下の記事を書いたときには、

この曲 (上海リル) が最初に使われたのが映画 『フットライト・パレード』(Footlight Parade, 1931) で、最初に歌ったのがジェームズ・キャグニーだということをきちんと指摘している情報は、日本語のインターネット・サイトには調べた範囲では存在していなかった。なお、『フットライト・パレード』の DVD はその時期 (2017 年) には、すでに日本で入手可能であった。つまり一次的な情報である作品は、誰にも手が届くところにあり、誰もがいつでも見ることが可能な状態でありながら、現実には二次的な「情報」はそのことに一切言及していなかった。

Wikipedia が「上海リル」という曲の由来がどこにあるかをとうとう記載してくれたことは文化的に喜ばしいことであるかもしれない。しかし、その記載はいかにも「まことしやか」というしかないものである。もし、本当に『フットライト・パレード』という作品 (一次的情報) に少しでも敬意が払われているのならば、せめて一度ぐらいはその作品 (一次的情報) をきちんと見てから書いて欲しい。もし、見たのだったら「上海リル」がこのバスビー ・バークレーがショーの振付をした映画の「挿入歌」あるいは「劇中歌」ではあったとしても、「主題歌」であるなどとは書けるはずがないと思う。やっぱり、淀川長治さんは偉大な人だった。その情報処理能力は凄いし、なによりも作品に対する愛情と敬意が感じられる。

四十二番街 | IVC


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