ジャズが生まれたのは港町ニューオリンズだし、エルビスを生んだメンフィスだってミシシッピ川沿いの中継港だし、ビートルズを生んだのも港町リバプールである、アルゼンチン・タンゴだってラ・プラタ川沿いのブエノスアイレスやモンテビデオ付近で生まれたといわれる。
交易を行う港町は、様々な文化をバックグラウンドに持った人達が集まるコスモポリタンな性格を持った特有の解放感がある。港町は国家 (ネーション) のアイデンティティに縛られることもなく、土地に定着して農業を行う地域とも異なり、交通によって国家の枠を超えて線上にネットワークのように世界中に拡がっている。
つらつら考えるに、海岸線はフラクタルなので、長さを測るには適当な約束がいるものの、日本列島の海岸線の長さは世界有数であることに間違いなかろう。その長い海岸線には、かつて活気のあった数多くの港町が存在しており、その数も世界有数でこれは、明らかに日本を特徴づけている。
昭和の歌謡曲で港町が多く歌われたことはすでに書いた。その歌謡曲の源流ともいわれるものの一つに大正時代の『船頭小唄』があるというのを思い出してみるのも無駄ではないだろう。
日本のジャズの発祥は横浜であり、国産初のレコードは、横浜育ちの美空ひばりによって歌われた『港町十三番地』のある場所で生産された。森進一の『港町ブルース』は、太平洋側の港町に限定しているという時代の文化的貧しさはあるものの全国の港町を六番まである歌詞で歌っている。
しかし、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(1975) ぐらいが分岐点であろうか、次第に歌われることが少なくなっていく。平成に入ると、神戸や東日本の大震災は港町に深刻な打撃をもたらした。世界的に見れば成長産業であり、今後も AI の導入や海洋センシング/ネットワーク/ロボット/水中ドローンの導入によって更に成長が見込める漁業は、日本では世界の中で唯一の国といっていい衰退産業であり、働く人の高齢化が進み、魚を食べる人も減り、目利きできる人も、調理できる人も減って和食の文化も「虚食化」していっている。輸送の主流は陸上輸送に移り、道が狭く平野部の少ない港町は陸上輸送には逆に不便で、また坂の多さは高齢者には生活が辛いため過疎化が急速に進んでいる。
日本の港町は、課題だらけでちょっと考えてもできることがいっぱいありそうである。もちろん、すでに色々な方の色々な取り組みがあって、それにいちいち感心している。