ノリの悪い話
説話論と主題論の実例。 正岡子規には『わが幼時の美感』という文章があって、下はその冒頭部分を引用したものである。 極めて幼き時の美はたゞ色にありて形にあらず、まして位置、配合、技術などそのほかの高尙なる複雜なる美は固より解すべくもあらず。そ…
前の記事でジル・ドゥルーズの『差異と反復』(Différence et répétition, 1968) の冒頭を引用した後、その続きをしばらく読んでいた。なんでこの本、何度読んでもこんなにおもしろいんだろう。例えば、冒頭から続く次の一節。 祝祭というものには、「再開不…
柄谷行人やドゥルーズが指摘していたように、“Universal Health Coverage” の universal は言葉を素直に受け止めるならば、「普遍性」ということ。それを「一般性」(= general) とみだりに混同してはならない。「普遍性」に対応するものは「特異性」(= singu…
数学というゲームが古典論理に基づくのは、そのゲームをする上での規則みたいなもので、それに従うことには全然違和感はない。一方、ロジカル・シンキングの信奉者には申し訳ないが、実世界に適用された (古典) 論理そのものは、凡庸で退屈で単純すぎるし、…
新聞にまたくだらないことが書いてあると思いながら、若者の最近の消費性向に関する論評を何気なく読んでしまった。美術館にオリジナルの絵を見に行くのは、大量に出回っているコピーでその絵を「知っている」と思いこんでいる人間が、オリジナルもまたコピ…
現代の超=虚構から解放されるためにロラン・バルトはこう言っている。遠い過去の音楽や映画や文学や遠く離れた空間の出来事は、今、自分がいる時間や空間とは違うことが存在しているので、現在とともに聴いたり、見たり、読んだりする意味があるのだ。異なる…
ジャン・ルノワール監督が書いたものは、みすず書房から発行されている翻訳の『ジャン・ルノワール自伝』しか読んだことがないし、それとて何度も繰り返し読んだという記憶はない。学生時代に買ったものだが、奥付けをみると 1977 年 7月 5 日発行になってい…
昨日の “These Foolish Things” の歌詞は、『上海特急』にも出演している Anna May Wong をモデルにして書かれたという記事を読んで吃驚した。 ところで、ジル・ドゥルーズの「何を構造主義として認めるか」にある、 零度なくして構造主義はない。 という極…
これだけ「わかりやすさ」が求められる時代にあって「わかりやすさ」は、いまや「嘘をついている」ことの同義語である。「わかりやすさ」とは、すなわち「世の中の常識」という「嘘」の別名を無批判、無自覚に適用することに他ならない。世の中で語られてい…