たとえば、プルーストの『失われた時を求めて』なんかは、明らかに「主題論」と「説話論」の連携としての「記憶」の不可思議な仕組みについて書かれた小説のように思える。しかし、ここでは、もっと具体的な効用として、退屈な文章の主題を取り替えてみるという例を紹介する。これは『日本批評大全』にあった例で、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』というのは谷崎の書いたものの中ではいまひとつ面白くない本であると思うが、この本の主題を「女体の神秘」に設定して(= 取り替えて) 読んでみると面白さが際立つから不思議である。やっぱりその筆力は尋常ではない。以下はもともとは「漆器」の良さについて書いている部分なんだが、主題を変更し、適当に省略したり、伏せ字に改めたりすると、少しだけど妖しい官能の世界に興奮させられるような気がする。
漆器の美しさは、そう云ふぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんたうに發揮されると云ふことであつた。(中略) それを一層暗い燭臺に改めて、その穗のゆら〳〵とまたゝく蔭にある××や××を視詰めてゐると、それらの塗り物の沼のやうな深さと厚みとを持つたつやが、全く今までとは違つた魅力を帶び出して來るのを發見する。(中略) 事實、「闇」を條件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云つていゝ。(中略) もしそれらの器物を取り圍む空白を眞つ黑な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代へるに一點の燈明か蠟燭のあかりにして見給へ、忽ちそのケバ〳〵しいものが底深く沈んで、澁い、重々しいものになるであらう。(中略) つまり××は明るい所で一度にぱつとその全體を見るものではなく、暗い所でいろ〳〵の部分がとき〴〵少しづゝ底光りするのを見るやうに出來てゐるのであつて、豪華絢爛な模樣の大半を闇に隱してしまつてゐるのが、云ひ知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカ〳〵光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穗のゆらめきを映し、靜かな部屋にもをり〳〵風のおとづれのあることを敎へて、そゞろに人を瞑想に誘ひ込む。もしあの陰鬱な室內に漆器と云ふものがなかつたなら、蠟燭や燈明の釀し出す怪しい光りの夢の世界が、その燈のはためきが打つてゐる夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであらう。まことにそれは、疊の上に幾すぢもの小川が流れ、池水が湛へられてゐる如く、一つの燈影を此處彼處に捉へて、細く、かそけく、ちら〳〵と傳へながら、夜そのものに××をしたやうな綾を織り出す。(中略) 漆器は手ざはりが輕く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、×× を手に持つた時の、掌が受ける汁の重みの感覺と、生あたゝかい溫味(ぬくみ)とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよ〳〵した肉體を支へたやうな感じでもある。漆器の ×× のいゝことは、まずその蓋を取つて、口に持つて行くまでの間、暗い奧深い底の方に、容器の色と殆ど違はない液體が音もなく澱んでゐるのを眺めた瞬間の氣持である。人は、その ×× の中の闇に何があるかを見分けることは出來ないが、汁がゆるやかに動搖するのを手の上に感じ、椀の緣がほんのり汗を搔いてゐるので、そこから湯氣が立ち昇りつゝあることを知り、その湯氣が運ぶ匂に依って口に啣(ふく)む前にぼんやり味わいを豫覺する。(中略) それは一種の神祕であり、禪味であるとも云へなくはない。