ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

一葉の習作

武藏國 (武州) 江戶は、明治維新の折に江戶府となりすぐに東京府となつた。其處へ東京市が制定されたのは、明治十一年のことであり、一葉の生きた時代、東京市は十五區よりなつてゐる。一葉の作品は言ふまでもなく、其のほとんどが東京市を舞臺としてゐる。…

ほとゝぎす

明治二十九年七月十二日の一葉の日記にこの随筆を短期間で書いたことが記されている。発表されたのは、六月十五日の明治三陸地震による津波被害義捐のための文芸倶楽部の臨時増刊(七月二十五日)であった。なお、一葉の日記は同年の七月二十二日で途絶えてい…

小鍛冶 —— 『たけくらべ』の引用

『たけくらべ』は一葉の作品であるから数々の引用がそのテクストに含まれていることはいうまでもない。たとえば、 (前略)いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郞位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都…

洋傘

京マチ子の『濡れ髪牡丹』(1961) や梶芽衣子の『修羅雪姫』(1973) に出てくる刀が仕込まれた傘とまではいかなくとも、和装の女性は和傘を携えるという凡庸な思い込みがあったので、一葉が日記に「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたへがたければ、傘にて前を…

一葉の作品は、ときどき出來すぎてゐて笑つてしまふことがある。『にごりえ』のこゝもさうである。 ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ凉しく、見おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆ…

「暗夜」と「にごりえ」

「家は本鄕の丸山福山町とて、阿部邸の山にそひて、さゝやかなる池の上にたてたるが有けり。守喜といひしうなぎやのはなれ坐敷成しとて、さのみふるくもあらず、家賃は月三圓也。たかけれどもこゝとさだむ。」と日記に書いた貸家へ、樋口一家は 一八九四年五…

新開

『魅せられて 作家論集』の冒頭に収められている、蓮實重彥の樋口一葉論『恩寵の時間と歴史の時間』は、蓮實が大学行政に携わって多忙だった時期に発表されたものを改稿しているので、やや中途半端な感も受け、『にごりえ』を論じたその文章は、800ページを…

お茶の水橋

明治二十四年十月の一葉の日記。後藤明生の『挾み撃ち』の主人公が「ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早…

文久店

松原岩五郞の『最暗黑の東京』(1893) に「文久店」とあるのは、一葉が龍泉寺で開いてゐた駄菓子屋とおなじものと考へてよいのだらうか。當時の1錢は現在の200圓ぐらゐに考へれば、當たらずも遠からずといふことらしい。寬永通寳眞鍮四文錢は、明治5年9月24日…

一葉の墓

一葉の『暗夜(やみよ)』を読んで、なぜか泉鏡花の『貧民倶樂部』を読んだ。もちろん一葉の『暗夜』には、鏡花の『貧民倶樂部』のように人間が動物に生成し、跳梁するようなところはない。以下は鹿鳴館を思わせる六六館を貧民が占拠するところの『貧民倶樂部…

たま襷

この作品は、もともと『萬葉集』の高橋虫麻呂の歌にある蘆屋の菟原処女(うなひおとめ)伝説を思い出させる。この菟原処女伝説は平安時代には『大和物語』で舞台を生田川に移して語られ、明治時代に入っても森鷗外が伝説をもとに戯曲『生田川』を書いたことは…

五月雨

リュミエール兄弟の『工場の出口』がパリのグラン・カフェで上映されたのは、1895 年 12 月 28 日であるが、その頃、一葉は傑作『十三夜』を発表したばかりである。一葉の作品をちょっと思い出してみれば、一葉が「出入り口」にことの他執着した作家であるこ…

闇桜

いまの年齢の数え方だと十九歳のときに、一葉が書いた小説が『闇桜』というメロドラマである。メロドラマはこの作品中に引用されている『生写朝顔話』からもわかるように距離の演出だが、この作品ではお千代が自ら心の中で距離を作りだし、その距離をお千代…

われから

『われから』を読んで、あるときから、一葉はもしかしたら黙示録を書いたのではないかという愚にもつかない想像が頭から離れない。まず、『軒もる月』でお袖が櫻町の殿の艶書を裂いて燃やす場面の描写に較べて、美尾が家出したときの與四郎のそれはなんとつ…

うつせみ

蓮實重彥が黒沢清の映画について書いた時評に次のような文章がある。 活劇やホラーが「説明責任」の無視に終始するなら、ラヴストーリーは「説明責任」だけで成立している。 この「説明責任」という言葉を使わせてもらうと、一葉の作品『軒もる月』の話者は…