ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (125)

スイセンって色々な種類があるんだなあ。黄色のスイセンだけでもいくつかの種類がある。この時期、どこでも見かける「ノースポール」はサカタのタネの商品名で、カンシロギクという和名もあるんだということを最近知った。あとはクリスマス・ローズが咲いて…

陥没地帯 (124)

もうひとつ、ロイ・エルドリッチが出演している映像で印象的なのが、“After Hours” (1959 *1 ) という、おそらく 16 mm で撮影された 25 分程のショート・フィルムである。テレビプログラム向けに制作されたらしいが、結局スポンサーが見つからないまま放映…

陥没地帯 (123)

沈丁花の蕾が紅く色づきはじめたのを見ながら、花が咲く時期を楽しみにしている。塾で物理を教えはじめたときには、下から数えた方が早かった高校二年生の子が、いまは成績上位のクラスに入ったと報告してくれた。時間が経つのは早いなあ。先日はダイオード…

陥没地帯 (122)

『ジョン・フォード論』の第一章-lll-3 「歌が歌われ、踊りが踊られるとき」を読んでいると『アパッチ砦』(Fort Apache, 1948) で “Oh, Genevieve” が歌われているところが出てきた。歌っているのは、ディック ・フォーランで、ジョン・ウェイン、アンナ・リ…

陥没地帯 (121)

フィルムは現存しているものの、上映機会が限られ、未だに DVD にもなっていない、30 歳を超えたばかりの、しかしすでにベテランの域に達しているジョン・フォードが監督した『香も高きケンタッキー』(Kentucky Pride, 1925) が、たとえ劣化したコピーであろ…

陥没地帯 (120)

ついに、ついに、このジョン・フォード映画が見られる日がきた。『香も高きケンタッキー』(Kentucky Pride, 1925)

陥没地帯 (119)

再び映画に戻る。『ショットとは何か』の V でアンナ・マニヤーニが出演した映画が 2 本取り上げられている。それで、『映画千一夜』で淀川長治さんが彼女についていっていたことを読み返したりした。 アンナ・マニヤーニは、あんな顔しとって、全身これ女ね…

陥没地帯 (118)

「アメリカから遠く離れて」しまった現在の日本でこんな記事を書いてもしょうがないんだが、Clarence Williams' Blue Five が演奏する “I've Found a New Baby” を最近、YouTube で見つけてうれしかった。以前探したときには、この “I've Found a New Baby” …

陥没地帯 (117)

もし、 映画における男女の心の機微は、ダンスという運動の持続とともにしか描けなかったというのが、映画史的な現実なのです。 というのならば、当然、ダンスでもないシーンをすべてダンスにしてしまったようなマキノ雅弘の映画を語らねば、片手落ちのよう…

陥没地帯 (116)

ゴダール の『はなればなれに』(1964) のダンスシーン。当時の出演者達は、このダンスをマディソン・ダンスと呼んでいたらしいが、50 年代の終わり頃から米国で流行したマディソン・ダンスとは音楽も振付も違うものである。当時のマディソン・ダンスはそのい…

陥没地帯 (115)

文芸誌「群像」に連載されていた、蓮實重彥の『ショットとは何か』の連載が完結した。最後の V はとりわけ素晴らしく、さすがに 100 回は見ていて記事にしたこともある『バンドワゴン』(1953) の “Dancing in the Dark” でシド・チャリシーが音楽の高鳴りと…

陥没地帯 (114)

「群像」最新号の『ショットとは何か V ショットを解放する』を読みはじめた。ただ、ただ、素晴らしい。 映画における男女の心の機微は、ダンスという運動の持続とともにしか描けなかったというのが、映画史的な現実なのです。 マックス・オフュルスの『たそ…

陥没地帯 (113)

塾へ行く道すがらにソヨゴの木があって、いつも赤い実と葉のバランスに見惚れている。入試が控えているので塾が忙しい。今日は普段やらない高校入試国語の「文学的文章」という奇妙な名称のもので、仕様がないので問題集の中から独断と偏見で幸田文の『木』…

陥没地帯 (112)

藪柑子が出てくる俳句をいろいろと見ていると、岡田史乃という方の 日没は四時三十二分薮柑子 という句もとても面白いなあと思って、日の出、日の入りの時刻をネットで調べていたら、中学の理科とかでは太陽の南中する時刻は (同じ経度で) 一定と習うけれど…

陥没地帯 (111)

自生しているヤブコウジ (藪柑子、別名は十両) をようやく雑木林に見つけた。「十両」と呼ばれるようになったのは江戸期なのか明治期なのかしらないが、いかにも俗な名称という気がする。もっとも、寺田寅彦が筆名に「藪柑子」を使ったりしていることからも…