ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

蓮實重彥

Sunny Skies

蓮實重彥の『監督 小津安二郎』の「晴れること」の中間部分を省略して “Sunny Skies” として英訳されたものが、Cambridge University Press の “Ozu’s Tokyo Story” に収められているので読んでみた。よく訳されているとは思うものの、次の 3 点はさすがに気…

見える化(2)

前回の記事で触れたことは、よく言われるような長期的な視点での資源配分がなされず短期的な視点ばかりが強調されることにも確かに通じてはいると思うのだが、こういった現状批判を具体性を欠く理念的なもので行なっても意味はあまりないと思う。 過去の事象…

見える化

アブダクションがもたらす仮説の質の高さは、空間的にせよ時間的にせよどこまでの範囲の情報を考慮し、共存させているかに依存する部分が大きいのでないかと思う。アイザック・ニュートンが運動の三法則をアブダクションしたときに、「林檎の実」が彼の眼の…

塵埃と頭髪

詳しくは、「『ボヴァリー夫人』論」を参照。 『ボヴァリー夫人』で「塵埃」と「頭髪」の機能の類似にはっきりと気づかせてくれるのはジュスタンのところである。 ジュスタン1: そう言うがいなや、彼はマントルピースに手をのばしてエンマの靴をとった。その…

シンセシス (3)

今まで述べたような側面がある一方で、蓮實重彥はドゥルーズの著作のひとつを『マゾッホとサド』という邦題で翻訳したように、本来、それぞれの領域は絶対的な差異として存在しており、両者の間には多様な関係があって良いはずのものを安易な一般概念で重ね…

シンセシス (2)

蓮實重彥に関してはその比喩においてもアブダクション的なものを感じる。たとえば、この前の「群像」の 1 月号に掲載されていた「パンダと憲法」にしたところで、「民主主義は体質的に好きになれない」といいながら、論理的に説明できないので比喩を使うしか…

シンセシス

アブダクションとは仮説的なものを発見する推論であり、シンセシスを行うための基礎となるものであるというのは、吉川弘之先生から大昔に教わった。学生のときの思い出などほとんど残っていないが、たまたま東大総長を勤められることになる吉川先生と蓮實重…

席を立ちたくなった映画

今月号の文芸誌 「新潮」にあった「映画から動画へ」という文章を読んでその「ポスト・ツゥルース」時代に相応しい文章に辟易する。「スター・ウォーズ」のシリーズ第一作を封切当時に見たときから、これといって心を動かされた体験をした記憶がない自分とし…

Jean Wiener

この前の記事で出てきた Nina Simone の名前の由来は、シモーヌ・シニョレからであったなとふと思い出し、そこから自然に映画史の傑作であり、その端正ともいうべき古典的な語り口の簡潔さと生々しいフィルム的感性を奇跡のように両立させた稀有な作品である…

Hoagy Carmichael

1924年にBix Beiderbecke がいたWolverines 楽団の演奏による “Riverboat Shuffle” がホーギー・カーマイケル作曲の最初の録音である。ホーギー・カーマイケルが最初にビックス・バイダーベックと会ったのは、1922 年頃とされている。 Ethel Waters w/ Ed Ma…

ドリーの冒険

物語形式の映画には古典的といってもよい画面構成のやり方があって、それは、キャメラのトラヴェリングやトラックバックやパンといった移動撮影技法がたとえなくても構成できるし、俯瞰や仰角といった撮影アングルにも無関係にありえるし、またクローズアッ…

畏怖の念、謙虚さ、覚醒

『「ボヴァリー夫人」論』の序章、特にはそこの註 (1) を読むとその謙虚さにうたれる。そこにはまず一次的な言説である「作品=テクスト」に対する限りない「畏怖」が存在する。次に「テクストをめぐるテクスト」である批評は、作品 (= 一次的言説) の「意味…

ボヴァリー夫人

『「ボヴァリー夫人」論』(蓮實重彥, 2014) を読みながら、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary, 1857) のほんの一部を訳した。これ以上は訳すことはないと思うので、整理して以下の記事にしておく。 エンマの「美しさ」は、「美…

おもしろい (完)

新聞を読まなくなって久しいが、ちょっと前に昼メシを食べに店に入ったら、テーブルに新聞が置いてあり、何とはなしに新井紀子さんが書いたものが目に留まったので読んでしまった。その内容は既にどこかで読んだものと大差なかった。 その真偽はよく分からな…

おもしろい(7)

夏目漱石の『三四郞』が、「水」抜きでは語れないぐらいのことは今や周知の事実であり、それをここに繰り返すのはジャイアント・パンダを「かわいい」と誰もが芸もなく繰り返すぐらい醜悪なことだと思いつつも、「主題論」と「説話論」の連携がここまで完璧…

おもしろい(6)

主題体系と説話体系とか便宜上言っているけど、これはもともとひとつの「記号」を頭の中に二つの異なる体系を同時に走らせて読みとるということで、英語の音を聞きながら同時に日本語の意味を理解しているのと結構近いのかなという気もしたりする。 フェルデ…

おもしろい(2)

説話論と主題論の実例。 正岡子規には『わが幼時の美感』という文章があって、下はその冒頭部分を引用したものである。 極めて幼き時の美はたゞ色にありて形にあらず、まして位置、配合、技術などそのほかの高尙なる複雜なる美は固より解すべくもあらず。そ…

おもしろい

前の記事でジル・ドゥルーズの『差異と反復』(Différence et répétition, 1968) の冒頭を引用した後、その続きをしばらく読んでいた。なんでこの本、何度読んでもこんなにおもしろいんだろう。例えば、冒頭から続く次の一節。 祝祭というものには、「再開不…

逆光

2013 年 10 月発行のユリイカの特集『小津安二郎』にある蓮實重彥と青山真治の『梱包と野放し』と題された対談を何かの拍子で読んでいると、蓮實がこのような作品が許されてしまう日本の社会は、50 年かけて着実に退歩していると言う山田洋次監督の『東京家…

あらゆるメディアは二度誕生する

「あらゆるメディアは二度誕生する」と、メディアを歴史というか「持続」の中の断層として捉えた蓮實重彥の仮説を「ビッグデータ」という空間的な拡がりをイメージさせる語を聞くときでさえ想起してしまう。 蓮實が言っている「第二の生誕」とは、メディアが…

帝国の陰謀 / ローラ殺人事件 / ウディ・ハーマン楽団

二十歳にもなっていない大学の新入生になったばかりの者のもとへ、それを待ち続けていたわけでもないのに、これこそを待っていたんだと思わせるような『夏目漱石論』(1978)『映画の神話学』『映像の詩学』『シネマの記憶装置』『「私小説」を読む』『表層批…

臨時増刊号

慌ただしくインドから帰ってくると、予約注文していたユリイカの総特集『蓮實重彥』が届いていた。もちろん、詳細に眼を通す時間なぞないが、今回初めて確認したのは、僕が東大の蓮實さんの映画ゼミに出席していたのは 1979 年から 3 年間で、中田秀夫が初め…

幸運の星

フランク・ボゼージ監督の『幸運の星』(Lucky Star, 1929)。 YouTube がなぜ存在しているかというと、それはもちろん、この映画を世界中の人々が見て泣くためにきまっている。あらかじめ断っておくが、この映画を見て泣くのに抵抗することは、この世でもっと…

とんがらがっちゃ駄目よ

キャロル・ロンバードより生まれは7年遅いが、ロンバードより 2 歳若い 31 歳で他界した桑野通子のモダンガール振り抜きでは、小津安二郎監督の『淑女は何を忘れたか』(1937) の魅力は語れない。 蓮實重彥の『伯爵夫人』にも引用された「地球儀」の場面。 …

『脱出』のことなど

2014 年の 8 月に 、ローレン・バコールが89 歳でお亡くなりになったときのニューヨーク・タイムズの追悼記事はその後も何度か読んだが、その記事では、彼女の映画デビュー作となった『脱出』のこともよく触れられていると思う。ネルソン・マンデラは言うに…