ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

「盲目物語」はしがき

はしがき一、ここにあつめた四篇は、それぞれ獨立の作品であるが、いづれも作者の國史趣味乃至和文趣味を反映してゐると云ふ點で、何處かに共通した匂ひがある。作者は今後もかう云ふものを書くかも知れないが、さしあたり、引きつづいて此の方面へ進んで行…

未央柳

梅雨寒の午後に歩いていると、小雨に濡れてビヨウヤナギの黄色い花が道辺に咲いているのが目にとまった。漢字では「未央柳」と書かれるこの落葉低木は、谷崎潤一郎『盲目物語』終盤の北の庄落城の場面にも出てきたように、楊貴妃の美しさを喩えるため「太液…

盲目物語 (9)

しかし逃げたのはわたくしばかりではござりませなんだ。おほぜいのものが火の粉をあびてぞろぞろつながつてはしりますので、わたくしもそれといつしよになつて、うしろからえいえい押されながらかけ出しましたが、お堀の橋をこえましたとたんに、ぐわら、ぐ…

盲目物語 (8)

寄せ手は廿二日のあさ一番どりの啼くころよりおひおひ取りつめてまゐりましたが、御城下の町々、かいだうすぢの在々所々を燒きたてましたので、おびただしいけぶりが空にまんまんといたしまして日のひかりもくらく相成、おしろから四方をながめますと、いち…

盲目物語 (7)

さうかうするうちに天正じふねんのとしもくれまして正月をむかへましたけれども、ほつこくはまだかんきがはげしく、雪は一向にきえさうもござりませぬし、かついへ公は「小癪な猿めが」と仰つしやるかとおもへば、「にくらしい雪めが」と雪を目のかたきにあ…

盲目物語 (6)

さて御城內におきましては、十八日からひろまにおより合ひなされまして御ひやうぢやうがござりましたが、くはしいことは存じませぬけれ共、亡君のおん跡目相續のこと、明地(あきち)闕國(けつこく)の始末についての御だんがふ(談合)らしうござりました。それ…

盲目物語 (5)

そんなぐあひで、そのころのおくがたは、花さく春のふたたびめぐりくるときをお待ちあそばす御樣子も見えましたが、やはりむかしのおつらかつたこと、くやしかつたことを、きれいにお忘れにはならなかつたらしうござります。それと申しますのは、わたくし、…

盲目物語 (4)

さう云へば萬福丸どのを討ちはたすやうに仰せがござりましたとき、ひでよし公のたうわくなされかたは尋常でなかつたと申します。あればかりのわかぎみ一人おゆるされになりましたとて何ほどの事がござりませうや、それより淺井どののみやうせきをおつがせな…

盲目物語 (3)

のぶなが公はおいちどのや姪御たちをお受けとりになりますと、たいそうおよろこびになりまして「ようふんべつして出て來てくれた」と、ねんごろに仰つしやつて、「あさゐにもあれほどことばをつくして降參をすすめたのに、どこまでもきき入れないのは、あつ…

盲目物語 (2)

あるひのこと、あまり肩がこつてならぬから、すこしれうじをしてほしいと仰つしやいますので、おせなかの方へまはりまして揉んでをりますと、おくがたはしとねのうへにおすわりなされ、脇息におよりあそばして、うつらうつらまどろんでいらつしやるのかと思…

盲目物語 (1)

盲目物語 谷崎潤一郞わたくし生國(しやうこく)は近江のくに長濱在でござりまして、たんじやう( 誕生 )は天文にじふ一ねん、みづのえねのとしでござりますから、當年は幾つになりまするやら。左樣、左樣、六十五さい、いえ、六さい、に相成りませうか。左樣で…

吉野葛 (6)

その六 入(しほ)の波(は)「で、今度の旅行の目的と云ふのは?───」 二人はあたりが薄暗くなるのも忘れて、その岩の上に休んでゐたが、津村の長い物語が一段落へ來た時に、私が尋ねた。 「───何か、その伯母さんに用事でも出來たのかい?」 「いや、今の話に…

吉野葛 (5)

その五 國栖(くず)さて此れからは私が間接に津村の話を取り次ぐとしよう。さう云ふ譯で、津村が吉野と云ふ土地に特別のなつかしさを感ずるのは、一つは千本櫻の芝居の影響に依るのであるが、一つには、母は大和の人だと云ふことをかねがね聞いてゐたからであ…

吉野葛 (4)

その四 狐噲(こんくわい)「君、あの由來書きを見ると、初音の鼓は靜御前の遺物とあるだけで、狐の皮と云ふことは記してないね。」 「うん、───だから僕は、あの鼓の方が脚本より前にあるのだと思ふ。後で拵(こしら)へたものなら、何とかもう少し芝居の筋に關…

吉野葛 (3)

その三 初音の鼓上市から宮瀧まで、道は相變らず吉野川の流れを右に取つて進む。山が次第に深まるに連れて秋はいよいよ闌(たけなは)になる。われわれはしばしば櫟(くぬぎ)林の中に這入つて、一面に散り敷く落葉の上をかさかさ音を立てながら行つた。此の邊(…