ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陳歌辛

人間がどこまで愚かになれるかということを知りたければ、人の心を慰める数々の名曲を残し「歌仙」とも呼ばれたソングライターの陳歌辛にどんなに数々の酷たらしい仕打ちをしたかを調べてみるとよいと思う。そして、その愚かな仕打ちをしてきた者の中には日本人も含まれているのだ。

すでに紹介したものも含め、改めて彼の代表曲のほんの一部をあげておく。

1928:

1939:

1940:

1942:

1943:

※ 作詞

1946:

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同い年

周璇が 1920 年生まれだとすれば、李香蘭と周璇は、二人とも同じ年に生まれたことになる。もっとも、1937 年に『馬路天使』で主役を演じ映画の大ヒットでアイドルになった周璇に対して、李香蘭は、日本と満州国ではスターだったものの、中華民国においてアイドルになるのは「賣糖歌」を歌った『萬世流芳』が大ヒットした 1943 年のことである。すでに李香蘭の「賣糖歌」は過去の記事で紹介済みだがもう一度あげておく。

 ※ さらに四方田犬彦に著作『李香蘭と原節子』があるように、李香蘭と原節子は同じ 1920 年生まれである。つまり、当時の中国、満州、日本を代表する女優は三人とも1920年生まれなのである。しかし、四方田の著作には周璇の名前は僅かにしか出てこない。

李香蘭と周璇が初めて出会ったのは、1944年に李香蘭が『夜来香』のレコーディングをしている最中だったときだという。

私は周センのファンだったし,彼女の歌が好きだった。だから前奏が終わってうたいだす直前に憧れのスターに気づいた私は,感激と興奮のあまり思わず「アイヤア! 周璇」と叫んでしまったのだった。もちろん予期せぬ間投詞の闖入で録音は NG。

同じく前の記事で『夜来香』という曲の2小節にわたるリズムパターンはキューバの基本リズムである「ソン・クラーベ」であると書いた。

ところで『何日君再来』もキューバのリズムというかハバネラのリズムを持っている。

今回、『何日君再来』とほぼ同じ時期に録音された下の曲を見つけたが、これは『ラ・パロマ』であり、この曲もハバネラのリズムを持っている。

なお、この動画の画面に見える『薔薇處處開』は、有名な下の曲とは異なる曲である。

上の有名な方の『薔薇處處開』は1942年のもので、もちろん下に再掲した渡邊はま子の戦後の曲の原曲である。

周璇 その1

1920 年に生まれ、37 歳のとき上海で悲劇的な死を遂げた、「金の声」を持つと称えられる不出世の偉大な歌手、周璇の曲ですら、まともに聞いていないので、ごく一部をとりあえずまとめてみた。追加や修正はおいおいやっていくことにしよう。『何日君再来』は、周璇が最初に歌ったことぐらいは知っていたが、そのアレンジと思われる『蘇州の夜』を彼女が1943年に歌っていたことすら全然知らなかった。また、下の曲は今回初めて聴いたけれど、本当に美しい。

※ なお、英語 (および日本語)のWikipediaは彼女の生年を1918年にしているが、中国語のページからの情報に従って1920年とした。

周璇が初めての人は、彼女が16歳か17歳であった1937年の曲から聴くと良いと思う。そこには20世紀のアジアにおいて最も重要な歌があるといっても過言ではない。

1934:


※ この『夜来香』は、黎錦暉が作詞作曲したもので、黎錦光が作詞作曲し、1944年に李香蘭がレコード吹込みをした良く知られた曲とは異なる。

1935:

1936:

1937:


※ 袁牧之監督『馬路天使』(1937) で天涯歌女が使われる場面



1938:

1939:

1940:

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Yao Lee (姚莉)

Frankie Laine という歌手の名前はしらなくても、この曲はある一定以上の年令の人ならば、必ず知っていると思う。

とはいっても「ローハイド」について語りたい訳ではなく、Frankie Laine が有名にした次の曲を紹介したかっただけである。

1930 年代〜40 年代に上海で活躍していた 7 人の女性歌手を上海七大歌后と言ったりする。つまり、周璇、白光、白虹、龔秋霞、姚莉、李香蘭、呉鶯音のことである。この曲は、その一人である Yao Lee (姚莉) がもとは 1940 年に歌ったものである。Yao Lee は 1922 年生まれで 13 歳の時から歌っていた。

『支那の夜』の 1943 年の録音が残っている。

その他の曲。いつ歌われたのか不明なものが多い。なお、合唱している姚敏は、彼女の5歳上の兄で、歌手としてでなくソングライターとしても著名なひとである。

1937:

1940:

1941:
 

1942:

1943:

1945:

1946:

1947:

1948:

 

不明:

 

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Reveille with Beverly

第二次世界大戦中に日本軍が連合国軍側に向けて行ったラジオによるプロパガンダ放送の女性アナウンサーが「東京ローズ」と呼ばれたのは周知のとおりであるが、Jean Ruth Hay は、女性のディスク・ジョッキーで、当時世界中に従軍している兵士達が眠りから覚めるように、早朝 5 時半から 1時間の AFRS (Armed Forces Radio Service) の プログラムである “Reveille with Beverly” をオンエアしていた。reveille とは「起床ラッパ」のことであり、Beverly は 彼女自身のことを reveille との語呂合わせでそう呼んだのだろう。プログラムで流されていたのは、当時全盛だったスイング系の音楽であったという。

彼女 (Ms. Hay) 自身のことを忠実に映画化したわけではないが、それを題材にして作られた映画が、Charles Barton 監督の “Reveille with Beverly” (1943) であり、アン・ミラーが主演している。以下のクリップは、この映画のトレーラーであり、Jean Ruth Hay 自身が出演して映画の紹介をしている。

クリップを見るとわかるように、この映画の興味は、当時の人気ミュージシャンが映画に出演して実際に演奏していることにほぼ尽きる。

まず、デューク・エリントン楽団が『A列車で行こう』をやっていてベティ・ロッシュが歌っており、これが何よりもいい。

ミルズ・ブラザーズは二曲やっている。

黒人達にも人気があったエラ・メイ・モースが歌う “Cow-Cow Boogie”。

カウント・ベーシー楽団は、“One O'Clock Jump” をやっている。

フランク・シナトラは、コール・ポーターの “Night and Day” を演っているが、トミー・ドーシー楽団から独立して歌うようになった最初期の映像という資料的価値がある。

ビング・クロスビーの弟であるボブ・クロスビーの楽団が演じる “Big Noise from Winnetka”。

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野玫瑰之戀

物心ついて服部良一が作曲した曲に触れた最初が恐らくこれだというのが、やはり60 年代以降に生まれたものの限界なんだと思い少し哀しくなる。やはり、どんな時代に生まれるかも才能なんだ。

気を取り直して、香港映画『野玫瑰之戀』(1960) は、服部良一が音楽を担当していて、グレース・チャン (葛蘭) が歌っている。これがなかなか良い。中国語はわからないんだが、『嘆きの天使』(1930) と「カルメン」をベースにした映画とある。原題は、「野バラの恋」という意味。

次の曲『ジャジャンボ』は笠置シヅ子が歌ったときには、ヒットしなかったけれど、グレース・チャンが歌ったら大ヒットしてしまった。なんかわかるような気がする。

『カルメン』の「ハバネラ」。

『リゴレット』の「女心の歌」。

『蝶々夫人』までやっている。

これは、『メリーウィドウのワルツ』

おまけに、フラメンコまで披露している。

最後にこれは服部良一ではないけど、雪村いづみがチャチャチャ(『チャチャチャは素晴らしい』『チャチャチャはいかが』)を歌っていたときとほぼ同じ時期である。

二人は、次の曲も共有している。

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渡邊はま子

ハイキング・ソング:

エミール・ワルトトイフェルの『スケーターズ・ワルツ』って、日本人が世界的に突出して好きな曲らしいが、仁木他喜雄のアレンジ能力もやっぱり当時突出している。このレコードが出た 1938 年頃は、戦前の名フィギュア・スケーターである稲田悦子さんが大活躍していた時期でもある。

銀盤に踊る: 

渡邊はま子が唄う『ラモナ』。

ラモナ:

ちなみに、『ラモナ』が収録されたレコードの裏面は、淡谷のり子の『ルムバ・タムバ』であった。

ルムバ・タムバ:

中野忠晴とのデュエット。

春はトロットで:

広東ブルース:

次の曲の編曲は、当然ながら仁木他喜雄である。

長崎のお蝶さん: 

次の曲は、李香蘭も歌っているはずであるが見つからない。

いとしあの星:

明日の運命:

『風は海から』(1943) は、服部良一作曲/編曲、西條八十作詞。マキノ正博監督の映画『阿片戦争』(1943) の主題歌で本当にいい歌だと思う。映画は、D・W・グリフィス監督の『嵐の孤児』(Orphans of the Storm, 1921) の翻案。高峰秀子と原節子がリリアンとドロシー・ギッシュの姉妹に相当する役をやっている。


※ 『評伝 服部良一』から
服部は省線電車の代々木駅で下車すると、よく練兵場に向かう学徒出陣の学生と行き合うことがしばしばあった。彼らは服部が作曲した《風は海から》を口ずさんでいた。

1 風は海から 吹いてくる
  沖のジャンクの 帆を吹く風よ
  情あるなら 教えておくれ
  わたしの姉さん どこで待つ

2   青い南の 空見たさ
  姉と妹で 幾山越えた
  花の広東 夕日の街で
  悲しく別れて 泣こうとは

3 風は海から 吹いてくる
  暮れる港の 柳の枝で
  鳴いているのは 目の無い鳥か
  わたしも目の無い 旅の鳥

1951:
マンボ・チャイナ:

チャンウェイ・チャンウェイ:

1952:
チャイナ・ボーイ:

さくらんぼの実る頃

『さくらんぼの実る頃』(le temps des cerises) を直前の記事に出てきたコラ・ヴォケールで聴く。

この有名な曲は、いろいろな映画で使われたが、ジャック・ベッケル監督の『肉体の冠』(Casque d'or, 1952) でルカが銃で撃たれるシーンでこの曲が流れていたのを強く思い出す。

この映画、冒頭からして、蛇行した川の岸辺に置かれたキャメラによる固定画面の奥からこちらへやってくる四艘の小舟によって胸が痛くなるほどの叙情を感じさせながら、物語の登場人物たちの関係性を説明抜きで一挙に導入していく語り方が素晴らしいと思った。シモーヌ・シニョレが小舟を漕ぐシーンは、この冒頭以外にも田舎でセルジュ・レジアニと落ち合うところであるが、その場面もまた、たとえようもない美しさであった。映画の中で、シニョレは腰に手を当てる仕草をいろんなところでしていたのを覚えているし、普段の冠のような髪型のシニョレが腰まである髪の毛を下ろしているところも震えた。特にシニョレが鎧戸を開けるシーンでは、その下ろした髪が実に印象的だった。そして、あの有名な「平手打ち」。いったい何回出てきただろう。冒頭のワルツのシーンと後半の銃撃戦の部分の構図の反復や、「扉を閉める」主題が最後にいったいどんな意味をもつかなど詳述してみたい気もするが、時間のあるときに見直してからにしよう。

撮影はロベール・ルフェーブル。ニコール・ベルジュが出演したクロード・オータン・ララ監督の『青い麦』(1954) を撮影した人である。

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肉体の冠 [DVD]

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モンマルトルの丘の哀歌

学生時代、映画を見に行った帰り、どこかしら『じゃりん子チエ』のヒラメちゃんの雰囲気を漂わせる気仙沼出身の子と池袋の喫茶店で話しをしていて、いままででどの映画が一番好き?と聞かれたことがある。ちょうど京橋のフィルム・センターで『フレンチ・カンカン』を見たばかりの頃で、フランソワーズ・アルヌールがカンカンをおどる可愛らしい踊り子姿に身を扮し片脚を大きくあげている場面が瞬間脳裏をよぎったのと、人をただ純粋に幸せにするこんな映画がこの世界には存在しているんだという驚きに未だ醒めやらぬころだったので、ルノワールの『フレンチ・カンカン』と答えたら大笑いされたことがある。しかし、それはけっして不快な感じのものではなく、その豪快な、横に引きのばされた笑い方をいまでもよく覚えている。『フレンチ・カンカン』(French Cancan, 1954) は、八十四歳のときにロサンゼルスの地で亡くなったジャン・ルノワール監督が六十歳のときに祖国フランスで演出した作品である。

この作品の中では、監督自身による作詞の “La Complainte de la Butte” (モンマルトルの丘の哀歌) が二度使われている。一度目は、窓の向こう側に見えるアパルトマンの部屋の中で、アンナ・アメンドラがこの曲を口ずさみながら家事をしていると、手前の向かいあった部屋にいるジャン・ギャバンが窓からその歌声が流れてくるのに気がつき彼女を発見するという場面で、ルノワールの他の作品にもみられるような——『ピクニック』(1936) のブランコのシーンを代表とする——縦の構図から、内と外がいきなり通底してしまう演出となっている。二度目は、下の YouTube で示すようにムーラン・ルージュで唄われる。なお、アンナ・アメンドラの声は吹き替えられていて、実際に唄っているのは、シャンソン歌手、コラ・ヴォケール Cora Vaucaire である。

※ 下の方には歌詞をつけたが、日本語は歌詞を直訳しただけのものである。風情があまりなくて申しわけない。

“La Complainte de la Butte” (モンマルトルの丘の哀歌)

En haut de la rue St-Vincent
Un poète et une inconnue
S'aimèrent l'espace d'un instant
Mais il ne l'a jamais revue

サン・ヴァンサン通りの丘の頂で
詩人と見知らぬ娘は
束の間の愛を交わした
だが彼は彼女に再び会えなかった

Cette chanson il composa
Espérant que son inconnue
Un matin d'printemps l'entendra
Quelque part au coin d'une rue

だから詩人はこんな曲をつくったのだ
あの見知らぬ娘が
ある春の朝に通りのどこか片隅で
耳にしてくれると願いつつ

La lune trop blême
Pose un diadème
Sur tes cheveux roux
La lune trop rousse
De gloire éclabousse
Ton jupon plein d'trous

青く冴えわたる月の光が
おまえの赤毛の上に
冠のように輝く
まっ赤な月の光が
おまえの穴だらけのペチコートを
栄華で染めあげる

La lune trop pâle
Caresse l'opale
De tes yeux blasés
Princesse de la rue
Soit la bienvenue
Dans mon cœur blessé

蒼冷めた月の光が、
倦み果てたおまえのオパールの眼を
やさしく愛撫する
街角のお姫様
ようこそ
傷ついたぼくの心へ

Les escaliers de la butte sont durs aux miséreux
Les ailes des moulins protègent les amoureux

丘の石段は貧しいものたちにつらいけれど
風車の羽根は愛しあうものたちを見守ってくれる

Petite mandigote
Je sens ta menotte
Qui cherche ma main
Je sens ta poitrine
Et ta taille fine
J'oublie mon chagrin

可愛い物乞いの娘よ
ぼくは感じる
華奢な手がぼくの手をさがすのを
ぼくは感じる
ふくよかな胸となよとした腰を
すると自分の哀しみを忘れてしまう

Je sens sur tes lèvres
Une odeur de fièvre
De gosse mal nourri
Et sous ta caresse
Je sens une ivresse
Qui m'anéantit

ぼくは感じる
おまえの唇に
痩せ細ったちいさな娘の
熱い吐息の匂いを
おまえの愛撫に
ぼくは酔いしれ自分を失ってしまう

Les escaliers de la butte sont durs aux miséreux
Les ailes des moulins protègent les amoureux

丘の石段は貧しいものたちにつらいけれど
風車の羽根は愛しあうものたちを見守ってくれる

Mais voilà qu'il flotte
La lune se trotte
La princesse aussi
Sous le ciel sans lune
Je pleure à la brune
Mon rêve évanoui

けれどほら雨が降ってきた
月は早足で隠れ
お姫様もまた何処へ
月のない空の下
暁に涙を流す
消えてしまった夢に

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フレンチ・カンカン Blu-ray

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1927-8 年のデューク・エリントン

1928 年のルイ・アームストロングは確かに凄いが、デューク・エリントンもハーレムのコットン・クラブに 1927 年 12 月から出演するようになる。同じ年の 10 月にはアデレード・ホールとあの “Creole Love Call” をレコーディングしている。ボリス・ヴィアンはこう言っていた。

「この世で 2 つだけ存在し続けるものは何か? それは可愛らしい少女と一緒にいて感じるような愛、そして、ニュー・オリンズとデューク・エリントンの音楽だけである。それ以外のものは総て消え去るべきである。ただ、ただ醜いだけなのだから……」

Creole Love Call:

Black and Tan Fantasy:

East St. Louis Toodle-Do:

Jubilee Stomp:

Swampy River:

The Black Beauty:

Take It Easy:

The Mooche:

Hot and Bothered:

I Must Have That Man:

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休憩 (2)

ちょっと癒やされる曲を聞くことに。

ビートルズは嫌いだけどプレスリーは好きなんだなあ。本当に普通の人では絶対に出せない声をしている。どうやって発声すればこんな声が出せるんだろう。

これなんかも、プレスリー以外がやったら絶対に許さないんだけど。

話はまったく変わるが、『マドロスの唄』というのが戦前にあった。

* 動画削除

歌っている男の方の奥田良三は戦前のテノール歌手として有名な人だが、女性の方の矢追婦美子は映画『隣の八重ちやん』(1934) の帝劇のシーンの後にある劇中歌を歌った人だということに気がついた。

この曲の原曲は、アルベール・プレジャンが歌っている。

まったく見たことがない『掻払いの一夜』という映画の劇中歌だったらしい。大体「掻払い」とは何のことかわからなかったが「かっぱらい」と読むと知った。聞いたこともないオッソーという映画会社で 1931 年に作られたフランス映画 “Un Soire de Rafle” の邦題が『掻払いの一夜』で、監督はカルミネ・ガローネというイタリア出身の人であるが、名前も知らなかったし、まして作品はまったく未見である。脚本がアンリ=ジョルジュ・クルーゾー、出演がアルベール・プレジャン、アナベラと聞くと少しホッとしてくる。

それで、戦後に戻って癒やされる曲は、最近お亡くなりになられたので遅まきながらの追悼として、まずこれをあげる。

笠置シヅ子が「ブギの女王」だというのは知っているが、未だに解決していない謎はタイトルに「ブギ」が入っている曲を一体彼女は何曲歌ったかということである。ご当地ブギの『黒田ブギー』は聞いたことがない。好きなのは、これ。戦前に中野忠晴が最初に歌った『六甲颪』と一緒に挙げておこう。

美空ひばりの『A列車で行こう』。

ベティ・ロッシュと比較して見るのも面白い。

後はハワイものでそろそろやめにしよう。

Mound City Blue Blowers

“Tea for Two” が1924年に作られたとわかって、同じ年に “Mound City Blue Blowers” の初めてのレコード・リリースとなった “Arkansas Blues”  を思い出した。

Mound City という名称の市は実際にミズーリ州にあるが、ここで言う Mound City とは St. Louis のニックネームのこと。Red McKenzie が使っている楽器はカズーまたは、その代替である櫛 (に紙を巻きつけたもの) である。

それで自然に、やたら厚い装飾的音楽とは対極的で簡潔な味わいのある 1929 年の “Hello Lola!” を久しぶりに聴いた。

 

テナー・サックスはコールマン・ホーキンス、ドラムスはジーン・クルーパ、クラリネットはピー・ウィー・ラッセル、トロンボーンはグレン・ミラー、ベースはポップス・フォスターが参加している。後は、Mound City の面々で、レッド・マッケンジー(カズー)、エディー・コンドン(バンジョー)、ジャック・ブランド(ギター)。

同じ 1929 年の動画が残っている。マッケンジーの隣で叩いているのはトランク (スーツケース)。

こんな頃にロック・ミュージックは、まだまだ後の時代のことだと思うかもしれないが、ミード・ルクス・ルイスは、1927 年に有名な “Honky Tonk Train Blues” をパラマウント・レコードという会社で吹き込んでいる。会社が潰れてしまいテスト盤が少しだけ製作されただけに終わり、実際に陽の目を見るのは数年たって別のレコード会社で吹き込んでからだが、その音はジャズ(ブギウギ)というより、ロックンロールに聞こえてしまう。

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Tea for Two (2)

この曲が最初に登場したミュージカル “No, No, Nanette” の初演を 1925 年と書き、この曲も1925 年に初めて登場したかのように記載する Wikipedia (英語版と日本語版双方) は、明らかに正確さを欠いている。ミュージカル “No, No, Nanette” はブロードウェイで上演される前の1924 年にすでにシカゴで上演されヒットしたために一年以上そこで公演を続けたという事情があるからだ。この曲は、そのシカゴ公演の際にミュージカルに初めて追加されたものである。実際、初期のレコーディングを探すと 1924 年のものの方が多いと思う。以上からこの曲が初めて登場したのは 1925 年ではなく、1924 年のことである。

Benson Orchestra of Chicago (1924):
※ 1924 年 8 月 28 日レコーディング

Helen Clark and Lewis James (1924):1924 年 9 月 22 日レコーディング

Green Brothers Novelty Band (1924):
 ※ ザイロフォン奏者として有名な George Hamilton Green が所属していた楽団。この楽団は、ウォルト・ディズニーの『蒸気船ウィリー』(1928) を始めとするアニメーションに楽曲を提供していることでも名高い。

マリオン・ハリス(1925):

※ Marion Harris は、白人の女性歌手で初めてブルースやジャズ風味の曲をレコーディングしたことで名高い。

Palace Theatre Orchestra (1925?):
※ブロードウェイ公演と同じ 1925 年に、 ロンドン、パレス劇場でも “No, No, Nanette” は公演されている。

レッド・ニコルズ(1930):

テディ・ウィルソン(1936):

ベニー・グッドマン・カルテット(1937):

ジャンゴ・ラインハルト(1939):

コニー・ボスウェルとビング・クロスビー (1940):

アニタ・オデイ、ジーン・クルーパ (1945):

ダイナ・ショアとフランク・シナトラ (1947):

ドリス・デイ(1950):

ジョー・スタフォードとゴードン・マクレー(1950):

リー・ワイリー(1952): 

江利チエミ(1952 or 53):

デューク・エリントン(1956):

トミー・ドーシー(1958):

アニタ・オデイ(1958):

付録:

ドミートリイ・ショスタコーヴィッチ編曲(1927)

The Tahiti Trot:

Tea for Two

人は「真摯なメッセージ」など一切含まず「他愛ない」とすら思われているこの曲が、1924 年に登場して以来、現在に至るまであらゆるところに遍在し、重要なアーティストが繰り返し取り上げていることにひたすら驚く感性すら喪っている。

アート・テイタム(1933):

ファッツ・ウォーラー(1937):

アート・テイタム(1939):

アート・テイタム(1940):

アート・テイタム(1943 / 1952)

アート・テイタム(1945 / 1954)

デイブ・ブルーベック (1949):

オスカー・ピーターソン(1951):

バド・パウエル(1953):

アート・テイタム(1953):

ナット・キング・コール(1957):

セロニアス・モンク(1959):

セプテンバー・ソング

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写真は、ウィリアム・ディターレ監督『旅愁』(September Affair, 1950) のジョゼフ・コットンとジョーン・フォンテイン。ジョーン・フォンテインが 10 代から 30 代の女主人公を演じてみせた、マックス・オフュルス監督の『忘れじの面影』(Letter From an Unknown Woman, 1948) は、中田秀夫監督に言わせると古今東西ベストワンの映画だそうであるが、それはマックス・オフュルスの映画という理由にとどまらないのだろう。

 映画の中で流れる『セプテンバー・ソング』の作曲はもちろんクルト・ヴァイルでウィリアム・ディターレ監督とは知己であった。クルト・ヴァイルは 1950 年に心臓発作で亡くなっており、イタリアを舞台にしたこの同年の映画でイタリアの音楽とはかけはなれた『セプテンバー・ソング』が流されることには特別の意味があったとしか思えない。なお、この映画でかけられるレコードで歌っているのは、ジョン・ヒューストン監督の父親である俳優、ウォルター・ヒューストンである。

日本でもザ・ピーナッツ、伊藤ゆかり、フランク永井、他多数によって歌われているし、合衆国では、フランク・シナトラ、ビング・クロスビー、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、他多数のカバーが存在する。

When I was a young man courting the girls
I played me a waiting game
If a maid refused me with tossing curls
I'd let the old Earth take a couple of whirls
While I plied her with tears in lieu of pearls
And as time came around she came my way
As time came around, she came

When you meet with the young girls early in the Spring
You court them in song and rhyme
They answer with words and a clover ring
But if you could examine the goods they bring
They have little to offer but the songs they sing
And the plentiful waste of time of day
A plentiful waste of time

Oh, it's a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn't got time for the waiting game

Oh, the days dwindle down to a precious few September, November
And these few precious days I'll spend with you
These precious days I'll spend with you

クルト・ヴァイルの曲:

 

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