と言えば、 とか、 とか、 とかが代表曲だと思っていたんだけど、瀬川さんが、日本軍の真珠湾攻撃の晩に大きな音で聞いていて両親から「今日だけは遠慮してくれ」と言われたというこの演奏がいまや蓮實さんによってすっかり有名になってしまった感がある。 …
一葉の『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』のヒロインは、よく知られているように、作品の中で「厭や」または「嫌」という。『にごりえ』の女主人公、お力はその名高い独白の中で、 あゝ嫌だ嫌だ嫌だ という科白を二度も繰り返す。『たけくらべ』の美登利…
ジョージ・キューカー監督の『恋をしましょう』(Let's Make Love, 1960) は、とにかくイヴ・モンタンがおかしいし、コール・ポーターの “My Heart Belongs to Daddy” のシーンは、マリリン・モンローが素晴らしく大好きな映画である。ミルトン・バール、ビン…
ちょっと癒される曲を雑多に聞くことに。 歳下の霧島昇と結婚した松原操は、当初は覆面歌手「ミス・コロムビア」としてデビューした。これは、ヴィクターに入社した歌手、小林千代子が、謎の覆面歌手「金色仮面」として歌っていたのに対抗するためだったらし…
天野喜久代の『愛の古巣』(1929)。 この原曲は、1928 年のポール・ホワイトマン楽団の “I'm Winging Home”。歌っているのは、リズム・ボーイズ。ビング・クロスビーは、1926 年にポール・ホワイトマン楽団に入団。リズム・ボーイズが結成され、そのメンバー…
Hiro Studio さん、ありがとうございます。まさか、映画『ショーボート』(1936) でポール・ロブスンが川辺に座って、ナイフで木を削りながら歌っていた、あの “Ol' Man River” を『河邊に唄ふ』として中野忠晴が 1937 年に歌っていたなんて、本当に吃驚しま…
ジョージ・ガーシュイン作曲、アイラ・ガーシュイン作詞によるこの曲は「リズム・チェンジ」と呼ばれるコード進行とともに誰もが知っていると思う。目下のところ YouTube でこのジャズ・スタンダードを検索するとアクセス数一位に日本人のアーティストが出て…
1928 年がサッチモの奇跡の年であるのは間違いないだろう。 でも、それ以外の年でも震える演奏はある。あたり前だけど。
慌ただしくインドから帰ってくると、予約注文していたユリイカの総特集『蓮實重彥』が届いていた。もちろん、詳細に眼を通す時間なぞないが、今回初めて確認したのは、僕が東大の蓮實さんの映画ゼミに出席していたのは 1979 年から 3 年間で、中田秀夫が初め…
Mildred Bailey の歌っている “I Let a Song Go Out of My Heart”。 これは 1938 年に歌われたものであるが、オリジナルは、もちろん同年のデューク・エリントンのもの。 さらに同年には、ベニー・グッドマンがマーサ・ティルトンの歌で演奏したものも残され…
寝られなくなって、グル・ダットの監督処女作である『賭け』(Baazi, 1951) の音楽の部分だけ集めたクリップを見ていた。14:50 のところで、「ウスクダラ」として知られている曲を絶妙のアレンジと振付けでやっている。 この曲、Eartha Kitt のものが一番よく…
明日からごく短い間だけどインドへ行く予定。というわけで、たまには、インド映画から。といっても、製作本数でいうと世界一位のナイジェリア、二位のインドの作品をほとんど見てきていない。さすがにグル・ダットぐらいは何本か見た。世界映画史の中の一本…
ラテン系音楽の名曲として『アマポーラ』がある。スペインの国民的英雄で、若くしてこの世を去ったテノール歌手ミゲル・フレータが 1925 年、ということは、彼の栄光の絶頂期にこの曲を歌っていたことになる。 Jimmy Dorsey 楽団のものも素晴らしい。 驚くの…
英語の文章を読むときに頭から読む訓練をしなさいということが言われるが、具体的には英語の複文を動詞が出現する順序をなるべく崩さずに読むことかなあ。 日本語だと、動詞の連体形 (名詞にかかるときの動詞の活用)でほとんどどんな名詞でも修飾できてして…