ま金吹く丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が戀ふらくは (3560)
金を精錬する丹生の赤い辰砂のように、はっきり表に出して言わないだけだ、わたしの恋は。
※ ま金ふく丹生のま朱: 丹生は地名。ま朱は辰砂 (もともとは「丹」といった) 、つまり赤色の硫化水銀 () のこと。辰砂を空気中において約 600 ℃ の温度で加熱することで水銀を作る ()。砂金が混じる土砂に水銀を接触させて金をアマルガム (水銀との合金) として回収する。その回収されたアマルガムを加熱して水銀を揮発させると金が得られる。
かなし妹をいづち行かめと山菅のそがひに寢しく今し悔しも (3577)
可愛いわたしの妻に限ってどこへも行くはずがないと、(山菅の葉のように) 背中を向けて寝たことが今となっては悔やまれて仕方ない。
※ 山菅: ヤブランのことだという説がある。
海原に浮き寢せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに (3592)
海原の船の上で浮寝をするだろう夜には、沖の風よひどく吹かないでおくれ。傍に妹がいてくれることもないのに。
草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の經ぬらく (3719)
(草枕) 旅に久しく出ていようか、すぐにでも戻って来るよと妹に告げたことなのに、いつの間にか年も替わってしまったことだ。
あしひきの山路超えむとする君を心に持ちて安けくもなし (3723)
(あしひきの) 山路を越えようとしておいでになるあなたを心に抱いてわたくしは安らかにおられません。
我妹子に戀ふるに我はたまきはる短き命も惜しけくもなし (3744)
あなたに焦がれて、わたしは (たまきはる) 短い命も惜しいと思わない。
愛しと我が思ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし (3755)
わたしの愛する人よ、山や川が二人の間を隔てているので心落ち着く日はありません。
安積香山影さへ見ゆる山の井の淺き心を我が思はなくに (3807)
安積香山の姿までも映し出す山の井、そのような浅き心で私はあなたさまをお慕い申し上げるではござりやせんのに。
寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子產まはむ (3840)
寺々の女餓鬼たちが口々に申しますには、あの痩せた大神の男餓鬼をお壻さんにお迎えしてその子を生みたいとのことでございます。
あらき田の鹿猪田の稻を倉に上げてあなひねひねし我が戀ふらくは (3848)
新たに開墾した田を鹿や猪が来て荒すのをやっと刈って倉に上げたら干からびてしまったようになんと恨めしいことだ、自分がお前を思うことは。
ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に來鳴きとよむる (4092)
ほととぎすが小憎らしいことは、時もあろうに橘の花が散る時分にやって来て鳴きたてることだ。
矢形尾の眞白の鷹をやどに据ゑ搔き撫でみつつ飼はくしよしも (4155)
矢形尾の真白な鷹を家に置いて、撫でさすったり見いったりしながら飼うのはよいものである。
言とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常をなみこそ (4161)
物いわぬ木でさえ春は花咲き秋となれば色づき散るのは、ものなべて無常であるからだ。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも (4167)
四季折々になおも懐かしく咲く花を、折ってみるにせよそのままにせよ眺めることは目を楽しませてくれる。
年のはに來鳴くものゆゑほととぎす聞けば偲はく逢はぬ日を多み (4168)
毎年来て鳴くものなのに、ほととぎすの声を聞くと懐かしく思われる。その鳴き声を耳にしない日が多いので。
我がここだ偲はく知らにほととぎすいづへの山を鳴きか越ゆらむ (4195)
自分がこんなにも待ち焦がれているとも知らず、ほととぎすはどこの山を鳴きながら飛び越えているのだろうか。
あしひきの山の黃葉にしづくあひて散らむ山路を君が越えまく (4225)
(あしひきの) 山の紅葉に時雨の雫が落ち添うて共に散る、そんな寂しい山道をあなたは越えて行ってお仕舞いになられるのですね。
しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき夕かも (4250)
(しなざかる) 越中の国に五年もの間住み続けて、立ち別れることが名残惜しい今宵であるよ。
家の妹ろ我を偲ふらし眞結ひに結ひし紐の解くらく思へば (4427)
家の妹ろが自分のことを思っていてくれるらしい。本結びに結んだ紐がこんな風に解けたことを思うと。