ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

午後の朝鮮薊

ジョン・フォードの映画の「太い木の幹の誘惑」のように蓮實さんの文章の中に植物が出てくることはもちろん少なくはないが、植物()が文章に具体的に出てくることは少ないなあと思っていた。例外は古井由吉の『白髪の唄』を評した「榎」ぐらいしか思いあたらない。『「ボヴァリー夫人」拾遺』では《le polypier》を植物の「珊瑚樹」と訳すのは誤りで、「珊瑚などの腔腸動物の石灰化した樹木状の化石の置物」だと言っておられる。

ところが今回の『午後の朝鮮薊』——不思議な題名だ——では料理の素材としてではあるが、キク科のチョウセンアザミ (アーティチョーク) が出てくるし、珊瑚樹も出てくるし、お祖父様が「出来損ないの植物」「粗雑極まりない唐変木」と呼んで根こそぎ掘り起こさせた二本の大きな桜の木も出てくる。植物が直接出てくるわけではないが、前回登場した「蓬子」の姉が「薊子」で、蓬子が生み落とした「八百五十匁もする大柄な女児」の名を二郎は「楓子」と名付けるのだからいったいどういうことだろう。

いったいどういうことなのかよくわからないことは他にも多々あって、一部だけあげると、中村光夫の『フロオベルとモウパッサン』に「産褥熱」という言葉は出てくるのだろうか?フローべールの妹のカロリーヌ・アマールは「産褥熱」でたしかに亡くなっているけれど、はたして中村光夫がそのことを書いたのだろうか? また、中村光夫は同著でルイ-ズ・コレに宛てたフローベールによる書簡の「フェチシズムのない戀愛はない」という部分を引用しているのは確かだと思うが、今道友信がはたしてフェティシズムに言及しているかはわからない。その他、レイテ沖海戦の「空母スタンフォード」もわからない。「特攻隊員として南冥に散った」の「南冥」は漢字の勉強になった。その他、紀尾井町の李王邸やベルリンオリンピックでサッカー日本代表だった金容植への言及が特に印象に残った。須田國太郎の絵画についてもそうである。「お化け煙突」があった千住で生まれ浅草育ちという料理長の江戸弁「ございやす」が楽しい。ところが前作もそうだが「蹴球のボールを蹴っとりました」のように言っているところが西日本系もどこか混じっているようで更に楽しい。(それとも東京でこの言い方はあったのだろうか。)