潮滿てば入りぬる磯の草なれや見らくすくなく戀ふらくの多き (1394)
潮が満ちてくると海の中に没してしまうあの磯の海藻のようなものであろうか、自分の思う人は目に見ることは少くて恋い焦がれてばかりいる。
我が背子をいづち行かめとさき竹のそがひに寝しく今し悔しも (1412)
わたしの夫に限ってどこへも行くはずがないと (さき竹の) 背中を向けて寝たことが今となっては悔やまれて仕方ない。
薦枕相枕きし子もあらばこそ夜の更くらくも我が惜しみせめ (1414)
薦枕を一緒にして寝たいとしいあの妹が今もいるならば、夜が更けゆくことを惜しみもしようが。
春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも (1421)
春山の (山桜が) 枝もしなうほど咲き乱れているあたりで、若菜を摘んでいる妹の着物のくっきりした白い紐を見るのは本当によいなあ。
芽花拔く淺茅が原のつほすみれ今盛りなり我が戀ふらくは (1449)
つばなを抜きとる浅茅が原につぼすみれが今を盛りと匂っているのに優るとも劣らない、わたしの恋する気持ちは。
注: 芽花はチガヤの春先の若い花穂のこと。抜きとって食用にする。
秋の田の穗田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも (1539)
稲穂が出揃って刈取りを待つ秋の田の上を雁がまだ暗い夜明け方に鳴き渡ってゆく。
この岡に小鹿踏み起こしうかねらひかもかもすらく君故にこそ (1576)
この岡で猟師が牡鹿を蹴起こして追い立て窺い狙うようにあれこれと心をつくすのはみなあなたゆえのことです。
秋の野の尾花が末を押しなべて來しくもしるく逢へる君かも (1577)
秋の野に生い茂っている尾花の穂先を押しなびかせて参りました甲斐あって、あなた様にこうしてお目にかかることがかないました。
めづらしき人に見せむともみち葉を手折りそ我が來し雨の降らくに (1582)
お懐かしい人にご覧に入れようと存じて、もみじをこうしてわたくし手折って参りました、雨が降っているのもかまわず。
めづらしき君が家なる花すすき穗に出づる秋の過ぐらく惜しも (1601)
懐かしい君のお家の花すすきがいっせいに穂を出す秋が過ぎてゆくのはなんとも惜しまれます。
秋されば春日の山の黃葉見る奈良の都の荒るらく惜しも (1604)
秋になるといつも春日の山の紅葉を眺めて楽しむ奈良の都が (今は旧都となって) 荒れてゆくことがまことに惜しい。
宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も妻に戀ふらく我には增さじ (1609)
宇陀の野の秋萩を踏みしだいて鳴く鹿も、妻に恋い焦れていることでは自分にとうていかなうまい。
大口の眞神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに (1636)
(大口の) 真神の原に降る雪よそんなにひどく降らないでおくれ。宿を借るような家もないのに。
注: 真神はおおかみのこと。
天霧らし雪も降らぬかいちしろくこのいつ柴に降らまくを見む (1643)
空をかき曇らせて雪が降ってこないものか。そうしたら真白にこの茂った雑木林へ降り積ってゆくのを見るだろうに。
高山の菅の葉しのぎ降る雪の消ぬと言ふべくも戀の繁けく (1655)
高山の菅の葉をおし伏せて降りしきっている雪もついには消えてしまうとは言うけれど、自分の恋心はますます募ってゆくばかりです。
梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくしよしも (1660)
梅の花を散らす嵐の音のように、音 (噂) にだけお聞きしていたあなたに今こうしてお逢いできて嬉しい限りです。
旅なれば夜中にわきて照る月の高島山に隱らく惜しも (1691)
旅の身空にあると、夜中にひとしお照りまさる月が高島山に今しも隠れようとしているのがまことに惜しく感じられる。
家人の使ひにあらし春雨の避くれど我を濡らさく思へば (1697)
これは家の者からの使いであるらしい。春雨がいくら避けようとしてもわたしを濡らすことを思うと。
かくのみし戀ひしわたればたまきはる命も我は惜しけくもなし (1769)
こんなにひたすら恋いつづけていると、自分は (たまきはる) 命も惜しくなくなった。
我が背子に我が戀ふらくは奧山のあしびの花の今盛りなり (1903)
私があの人をひそかに思っているのは、奥山の馬酔木の花が今満開になっているみたいで、これ以上恋しようありません。
かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく戀ふらく思へば (1907)
こんなことだったら、なんで山吹なんか植えたんだろう。見せようと思ったあの人は通ってもこず、やむ時もなく恋しくてたまらないのに。